2014.05.20
「生命即神」沖ヨガの教義です。
生命とは一瞬一瞬の積み重ねの上になりたちます。
一瞬の何かの選択が違えば、繋がる次の一瞬が変化し、
自分が思っていなかった方向の人生が、またその時々の一瞬の繋がりを作ります。
それでも全ては自身の選択です。
一瞬一瞬どの道を行こうがどの方向に向けられようが自身の生命、
すなわち神が選択実行した結果です。
今この一瞬が自分の未来への道。
何が起きようと自業自得の世界です。
今の思考が、行動が未来を創る。
「老婆は一日にしてならず」
昇幹夫氏が講演会で云っていたギャグですが、妙に納得したものです。
沖先生も「身体の悪い人は毎日悪くなる練習を積み重ねているのだ。」とおっしゃったそうです。「目の悪い奴は目の悪くなる練習ばっかりしているのだ」とも。
私は、どうなる練習を積み上げているのか?
最近歳の取り方について考えさせられる場面に触れることが多く、
どのように死を迎えられるのか?
死の迎え方すなわち、生き方でしかないし、
ならどう生きる?等々考えてしまいます。
歳を取ると「性格が濃くなる。その人の本質がもろに出てくる」と介護をしている友人に聞いた事があります。
はたして、自分はどの部分が濃くなり、
どの部分のオブラートが剥げ落ちるのか?冷や汗ものです。
最近逝った私の父は、痛い、辛い、苦しいという愚痴をいっさい言わない人でした。
その代り、自分の思った事は一切曲げない頑固者でした。
潔いと云えばそうですが、母は自分勝手と嘆いていました。
しかし、自分の人生を人任せにせず、決して人のせいにせず、
自分の選択を後悔した言葉は聞いたことがありません。
外に出さない分、内省心が強かったのかもしれないと今感じます。よく涙ぐむ人でした。
ひとり寂しさも、苦しさも受け入れて逝った姿はファザコンの私には価値ある教えでした。
自業自得の生き方。
一瞬の選択を間違わず、
丁寧に生命である神を感じつつ生きたいものです。
「生命即神」
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