呼吸コントロール力2

16.呼吸と体感空間 ー 拮抗が生み出す広がる世界

 満ち足りて豊かな気分で生きているとき、誰もが体感空間が大きく広がる呼吸をしています。それは、身体の中に息を満たそうとする働きが常に維持されていて、吸うときはもちろん、吐くときにも胸腔が広がろうとする働きがなくならないからです。この状態を吸気傾向と呼んでいますが、このとき「呼吸の拮抗」という私たちの本来の呼吸システムがうまく働いています。 

 肋骨が引き上がって広がり、それに対して横隔膜が下がる、そうすると上の空間も下の空間も広がり、その働きが消えないまま、すなわち胸腔が広がる方向の「第一の拮抗」の働きのあるまま、胸腔の空気を押し出す別な働きによって吐く。この拮抗を緩めると勝手に息は出ていきますが、そのような胸郭の萎みによって吐くと心まで萎んでしまう。拮抗を緩めずに吐くからこそ、腹圧のあるまま背すじも緩まず深い呼吸ができ、自律神経が安定する。これは「吸う息の働き」と「吐く息の働き」が拮抗しているということであり、これを「第三の拮抗」と呼びます。「第二の拮抗」は、下がる横隔膜に対して骨盤底や体幹の筋肉が働き、腹腔を圧縮して腹圧が生じるということです。第一のあるまま第二・第三が働いて吐くと、息の入っている胸腔の容積は吐いた分小さくなりますが、感覚として生じる体感空間は萎みません。この三つの拮抗が内包された状態になってはじめて、自在に呼吸をコントロールすることができます。そして、そのコントロールに必要な力の込め具合のフィードバックとして生じる手ごたえが《体感空間を維持する感覚》です。言葉を変えれば体感空間を維持しようとするときに呼吸コントロールが出来るということです。
 私たちの多くが本来与えられている深い呼吸を忘れ浅い呼吸になっていることに気づいていません。それは息を入れたときに体感空間が拡がっても吐くときには萎んでしまう呼吸ですが、このような呼吸は心や身体を損ねてしまいます。そこで呼吸についても多くの健康情報が出回ります。しかし「腹圧や丹田」という自身の意識を超えて生かされて生きている全身の働きという概念、それは先人が体得によって生み出したことばですが、これも情報だけが独り歩きしても正しく伝わるとはありません。
 全身的な働き方をから導かれる腹圧をその意識だけを頼りにして行動する場合、肋骨が下向きに働いたり前後のバランスがよくない状態でも腹圧は維持できてしまします。全身を使って快い拮抗が生じ、体感空間が広がる呼吸の働きから生じる腹圧を身につけてこそ、自分の存在をいつも広く大きく、力強く感じて生きることができます。それは萎縮感、脱力感、敗北感、焦燥感、怒りや嫉妬、緊張や力みなどの心の葛藤とは全く反対の心の状態を維持するために不可欠な働きでもあります。

 ここでお話している呼吸の観点では、胸腔が広がる傾向や狭まる傾向という表現になりますが、これを細かく部分で見れば萎んだり膨らんだりが色々なところで複雑に縦横無尽に生じています。例えば、息を止めた状態で体を曲げたり反らせたりすれば、肋骨の各部が上がったり下がったり広がったり狭まったりしますが、身体の中は軟らかく、息の圧力感覚はどこにでも移動し、色々なところが膨らんだり萎んだりします。そこに、入る息と出る息が加わるので、部分的にみればとても複雑な動きをしていることでしょう。状況に応じて伸縮自在に変化し、例えば、息を吸うときにお腹が膨らむことも凹むこともあるわけです。
 このように複雑に見える呼吸の働きは、その時々の状態に合わせた最良の呼吸ができるような能力が生まれながらに与えられています。それは私たちの生命維持のための多くの恒常性維持の働きと同じく驚異的な働きです。野生動物は何も考えないでもその時々の状態に適った正しい呼吸をして闊達自在に生活することが出来ていますし、今ではほとんどいなくなった原始生活者たちもきっと同じであっただろうと思います。しかし、現代では多くの人が呼吸の正しい働き方を忘れてしまったかのように見えます。自然な生活から離れ、心身の健康を失うとともに呼吸は浅くなる一方です。この問題を解決するためになにをすればいいのでしょうか。

 もちろん原始的な生活をすればそこだけは解決できる可能性は高いですが、文化になじんだ人間にはそれを捨てるのではなく、それを生かしながらバランスを取り、深い呼吸を身につける方法を身につける方がより良い生き方になると思うのですが、世の中全体としてみれば全くうまくいっていません。なぜうまくいかないのか、どうすればこの文化のなかでそれを実現して健康な心身を得、豊かな生き方ができるのか。私なりに時間をかけて少しずつ理解し、また私なりにわかったこと解決できたことを表現していきたいと考えています。

ジグソーパズル

 ヨガはマップでありジグソーパズルのようだ、と常々私は思っています。
 私にとって「あぁ、この1ピースはここかな、いやあそこだろう」と毎日々々、小さな気付きがたくさんあります。自分の身体・呼吸・心の状態、他との関係性、社会の様々な出来事などなど、自身の意識に上る多くのことがヨガのマップのワンピースです。ヨガの八段階や十段階というマップと自分の思考や体験からは、大きなジグソーパズルのような全体像をイメージすることが出来ます。

 そして毎日の自身の気づきがその全体像のどの位置にあるのかをぼんやりと特定していきます。長年やっていると自分なりのジャンル分けができてきて、毎日毎日少しずつピースを置いていくととてもゆっくりと景色が現われてきます。全部を見渡すことが出来なくても、呼吸や声、そして身体の働き方、心の状態というある程度限定した範囲では頻繁に気付きがあり、着実にジグソーパズルを埋めていくことができますし、若い時にはあまり意識に上らなかった社会的なことや歴史的なことなども、パズルの一角を埋めるようになってきます。そこである程度でまとまったひと固まりがまたワンピースとしてより大きな景色の一部として使えるようになることでしょう。また、以前に与えられた気付きの「小さい世界で起こる現象は、もう一つ大きな世界でも同じように相似形的に起こっている」ということと合わせれば、声や呼吸の世界でわかったことがもう一つ大きな世界でもワンピースとして使えるということにもなります。私の気づきが他の人とどこまで共有できるのかわかりませんが、それを出来るだけ“誰にも理解できること”として表現出来るように日々奮闘しているところです。

相似形

 さて、口の形と横隔膜との関係です。教科書の挿絵のような外から見た口の形ではなく、口から喉まで、咽頭や喉頭にかけての立体的な形という意味であり、それが体感空間と密接な関係にあるということです。この関係性はずいぶん以前に気づき、それを呼吸や声に応用したのが母音メソッドです。しかし私たちの呼吸というものを身体や心の働きとして見ていくと結局は体中が呼吸に関連しており、また反対に呼吸に支配されているという事実を体感するにつけ、結局は全身が呼吸器であるということを再認識したことです。そこでこの立体的な形の適用範囲がより大きくなり、体内空間が頭の天辺から肛門まで感じることができるということ、そしてその大きな空間を形作っている中に喉や口そして息の通り道である声門までが含まれるということ、そしてこの関連性そのものが全身が呼吸器官であるということの一つの現れだったということです。

体感空間

 体感空間は体内空間と体外空間とに分けて説明をしてきました。この空間感覚は全く主観的でいくら説明を加えてもその本質に近づくことは出来ないことでしょう。それでも、できるだけ色々な角度からとらえることで他の人と共有できる感覚を持つことが出来ると思います。

 私にとっての体内空間はぼんやりとした感覚です。呼吸が入っていると感じられる空間は、意識的に特定の部分に入れている時にはそのあたりに、例えば角のない丸い風船のような輪郭のない長球や楕円体のような空間を感じます。しかし上下や左右などに拮抗するような入れ方をして息の入るところの範囲が大きなると、輪郭の感じはもっとなくなり、例えば卵型の濃密な空間があって外に行くほど少しずつ疎になっていき、もっと外に行くほどに薄く淡くなり実体がなくなっていくような感じで身体の範囲を超え、体外空間に感じられるようになります。体内であれ体外であれ、明確な輪郭を持たない丸みを帯びた形のように感じますが、頭頂から肛門までを含めた大きな空間の中に、その一部として、口から頭頂、後頭部、そして咽頭部や喉頭部までを含めた広がり方の空間があります。また別の例ですが、三角形の底辺に平行な線でその三角形を二分すると、分けられた上部と元の三角形とは相似形になります。曖昧でぼんやりとした感じ方ですが、三角形の例のような相似形的な広がりを持った空間が大きな広がりの一部としてあるように感じます。少し違うとらえ方としては、響きを生み出す空間意識と、これまで呼吸の入り方としてお話してきた肋骨・横隔膜・骨盤底筋・肛門などで生み出される空間意識とが、声を出そうとするときには同じような形になり、その上にそれらが一つの空間意識に統合されていくというような感じ方でもあります。

 声を出す時に、明瞭な発音のために口を大きく開きましょうということがよく言われます。歌や発声の世界でも、縦に大きく開きましょう、頬を上げて、口角を横に引いて、などと色々なことを言います。このことの本来の意味は、口の形が全身的な空間意識の一部であり、横隔膜や体感空間とも相似形的関連があるということです。もちろん、口の形と横隔膜が連携して働くためには、呼吸がある程度以上健康的に働いていなければなりません。健康度の低い姿勢をしている、口先だけのペチャペチャ声を出している、心にもない笑いを顔だけで作る、などの部分的な呼吸をしていれば、心と顔が分裂するように、呼吸の本来の連携は望むべくもありません。そのままいくら大口を開けても全身的な変化は生じません。これは、全身が一つの大きな呼吸器官であるという観点から見れば当たり前のことです。

全身が呼吸器

 似た話になりますが、また別な観点でお話ししてみます。

 クラゲやミミズのような存在から高度な機能を持つ哺乳類まで、生命維持という視点で観れば全身のほとんどが、消化器官と呼吸器官であると考えられます。動物は、生きるためのエネルギー源を見つけたり手に入れるための働きとして、運動や感覚の能力を発達させてきましたが、そのために必要な酸素量は厖大で、それを取り入れるための呼吸の働きがとても大きくなりました。 

 消化は入り口と出口以外では、消化器自身が自前の機能だけで仕事をこなしますが、呼吸についてはずいぶん違いがあります。呼吸は肺でなされるといっても、肺には筋肉がなく、肋骨を動かす筋肉や横隔膜、体幹の筋肉などによって動かされています。その筋肉たちは身体を動かすための筋肉であって呼吸専用というわけではないため、他の動作と大きくかかわっています。そして、硬い素材だけで作る機械とは全く違って「骨以外は柔軟な肉を素材にしている体」を使って呼吸のための空間を確保し維持するためには、常に筋肉が働けるための足場と全方向への拮抗が必要になります。全身を使わないでも浅い呼吸はできますが、生命の要求する深い呼吸のためには、足の先から頭のテッペンまで全身に配置されている運動のための筋肉が関わらなければできません。その働きは肛門から喉、いやもっと上部の呼吸の入り口の鼻先までの全身の筋肉の協力です。
 多くの現代人たちの、全身を使わない浅い呼吸というのは、生命から見れば不完全な呼吸ということです。

 母音メソッドを初めて思いついた時に感じたことの一つ、それは、「声を出す時の口や口の中の形は、呼吸の形、すなわち体感空間と相似形である」ということでした。全身的呼吸器官が生み出している体感空間、この大きな空間の在り方の変化は喉、首、肋骨、横隔膜など、それらの状態のすべてで作り出し、またお互いが影響を与え合い支え合って呼吸の形を生み出し、その前後や左右の使い方の変化でも空間の在り方が変化します。もちろんこの感覚はイメージですから、人によって時によって感じ方の違いがある子尾でしょう。私にとっても、空間の大きさだけではなく、まるで意識の粒子が濃いところと薄く淡いところがある、というような感覚ととらえることもでき、その時々で使いやすいイメージを生み出していますが、一番普遍的とでもいえばいいと思えるのが空間意識です。そのため、他の人に表現するときには空間の形という表現に統一しています。

 「あ」のように口を縦に大きく開けて呼吸をしたり声を出したりすると横隔膜の前側が多く働いて、全体的な広がりの上に前側の空間がより広がります。「お」のように口の中を奥に開くように声を出すと横隔膜の後ろ側が、「え」のように横に開くと横隔膜の横側が多く働き、それぞれの空間意識もより広がります。もちろんその方向だけの力で広がるのではなく、常に別な方向への反対の力などが存在していることで空間意識の広がりが生じています。それを生み出すのは肋骨と横隔膜のような多くの反対向きに働く「意識的と無意識的の両方の動作」です。全身を上下に伸ばして細長くする働きと縮めて横に広げる働き、息を入れようと広げる働きと息を出そうと絞る働き、身体を上前に押し出す働きと後ろ下に引く働き、前下に押し出す働きと上後ろに引き上げる働き、などなど多くの働きがあるけれど、それらと連動して喉に近いところでも似たような働きが生じています。そのために相似形という感覚も生じるのであろうと考えています。

 例えば、全身的に体感空間が太くなるときには喉に感じる空間も太くなりますそのとき首は短くなりますが、それは全身を縮めて横や縦に広げる働きと連動しています。また声帯が位置する喉頭部も太く広がる方向に働きます。その働きを生むためには筋肉や腱だけでぶら下がっている状態の喉頭部を多くの方向に引っ張る働きが必要です。

《声と呼吸の達人-フースラーとヴィダルダス》の章で紹介したフースラーが1965に出版したSingenという著書には、「声帯の能動的働きと受動的働きがあり、能動的働きは声帯自身が縮む働きだが、受動的には声帯が多くの方向に引っ張られることで声帯が伸びて広がる」という意味のことが書かれています。そして、この多くの方向を概念としてまとめた、前上・後下・前下・後上というような力の方向があり、それによって喉頭部が多くの方向に引っ張られ、その拮抗が声帯を引き伸し、また、能動的な縮む働きとの拮抗の働きを生み、それらが声の多くの働きを生み出しているともあります。この拮抗は体感空間の広がりと同じ方向性を持ち、相似形の広がり方と空間意識をもたらしていると考えられます。この考え方は私の考える体感空間の生まれる力、呼吸の拮抗の方向性や広がりと全く同じ捉え方です。それはきっと、この書物の内容が「この多くの方向への力が呼吸の源であり、拮抗の働きそのものである」という発想の源となっていたからではないかと思います。

 「あ」「お」「え」と話していて話題の方向が少し変わりましたが、この三つの母音には広げる働きが強いという共通点があることでまとめて話しができました。五母音のうちの残る「い」と「う」どちらも締める働きの強い母音です。「い」は気を引き上げ前に集め、喉を締める意識が必要です。そのためには胸椎・肩甲骨。肋骨を締め、同時に咽喉部や表情筋も引き上げますが、それに対して後ろに引く働きと下に引き下げる働きが少ないキツイばかりの声になります。次に述べる「う」の働きが伴うことでより良い声になります。そして、「う」は気を引き下げ、下肚に意識を集めて力を込めるので、反対に体を上に伸ばす働きが必要です。「い」の働きが伴うことで良い声になります。

 また、このような母音の持つ働きはそれぞれに体感空間の傾向を持ちます。肋骨と横隔膜の拮抗で生まれる体内空間も背骨や肋骨が生み出す上向きの働きが強くなると上に広がる体感空間が大きくなり、横隔膜や重心を下げる骨盤まわりや下肢の下向きの働きが強くなると下に広がる体感空間が大きくなりますし、母音によって前後左右にも広がる体感空間が生じます。

 もう一つ体感空間や母音の働きがにとって大切なことがあります。それは横隔膜の働き方です。
 横隔膜はその中心と360度全方向に起点を持つ多くの筋肉が、肋骨の状態に合わせて前後左右などの張力を調整しながら肋骨と拮抗しているということです。前後左右どのようにも張力を調整する働き方はとても1枚の膜などと扱うことのできない優れものです。本来の深い呼吸は横隔膜のこのような働き方が十分に発揮されてこそ成り立つ働きです。

 筋肉の片方の足場は肋骨や背骨についていますが、もう一方は横隔膜の中ほどにある腱に付いていて、反対方向についている筋肉同士の引っ張り合いによってバランスを取り合っており、ここでも拮抗の働きによってうまく働くようにできています。体感空間が広がるための拮抗は前後左右、四方八方の全ての方向で拮抗の働きのバランスが取れていることが必要ですが、この張力のバランスがくずれ、ある方向に強く、そして反対側が弱くなれば空間を満遍なく開くための膜としての働きが出来なくなります。
 ピンと張ったテントのことを思い浮かべてください、いくつかのペグで地面に固定していますが、このうちのたった一つでも外れたら、テントの張りがなくなり本来の用をなさなくなるのと似ています。真ん中の支柱は上向きの力、そしてペグは下向きの力、そしてそれが前に対して後ろ、右に対して左、と引っ張り合うことでテントの中の空間が保たれます。肋骨が上向きや外側に引っ張ることで横隔膜の働く足場ができ、下向きの力を生み出し、そしてそこに前後や左右のバランスがとれることで空間が生まれます。一つの空間形成に向けて全ての呼吸器が協力して働いています。

 ここでもう一つ、解剖図を見ると分かる横隔膜の大切な働きがあります。
 それは、横隔膜の後ろ側の筋肉の停止点の下端が第4腰椎まで伸びているということです。

 横隔膜は単独で働こうとしても体感空間を生むような精妙な働きをすることはできず、肋骨の使い方が横隔膜の働き方を規定しているという面が強いのです。筋肉は縮むための負荷があって反対側から引っ張られるからこそ力を出すことができますが、緩んで下がっている肋骨に着いている横隔膜の筋肉はうまく働くことができません。ところが、腰椎下部まで伸びている横隔膜の筋肉は肋骨の状態に支配されにくく、そのため息がたくさん入っているとか少ないというような状況に関わらず、いつもある程度引っ張っておくことができ、横隔膜の張力を引き出しやすくしています。このことが、声楽で腰に息を入れるとか、武道や芸道で腰を入れるというコツの意味であると考えられます。

 息の出入りに直接関わる筋肉の働きとしては、前後左右すべてに広がった筒のように径の大きくなった肋骨が高く引き上がり、それに対して肋骨の前後左右すべてに相対したところで横隔膜が下に引っ張るように働き、そこで生まれた空間を維持するために、下では骨盤底や肛門までが働き、上では首から鼻の奥、すなわち上咽頭から声帯のある喉頭部までが働いて、上肺部から肛門までの体内空間が開く。このためには、いわゆる呼吸筋と呼ばれているもの以外にも、口や口の中を開き、目を見開き、耳や頭皮そして表情筋までも開き引きあげるというように、関わる全てを動員して初めて自己の持つ最高の空間が生まれます。

 これらの話は、口と横隔膜が関連しているというよりも、全身の広がりの一部として口を開くし、反対に口を開くことが全身の空間を開くことを手伝ってもいる、ということです。口だけを大きく開けてもそれが横隔膜を含む全身の広がりと連携していなけれは呼吸は深くならず、いい声が出てくることもありません。

 呼吸の在り方、それは身体の使い方とも言えますが、これが体感空間というイメージ空間を生み出すエネルギーの元です。深く長く力強い呼吸を体得した人だけがこの空間意識を自分の意思で拡げ、充実感に満ちた体感と豊かな心を自ら生み出すことが出来ます。

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