病気・老化-常識的行動が常識的結果を招いている

呼吸コントロール力

10.世間の常識

ヨガの向かうところ、常識の生む結果

 ヨガだけでなく日本にも古くから伝えられた呼吸法があるようです。呼吸法の本来の目的は、私たちが生まれながらに持っている元気で伸びやかな生を謳歌する能力を開くことにあるはずです。でもその高い目標はいつの間にか手近で見えやすい目的に置き換えられます。呼吸法に限らず、貪欲な人間はその目的を自己の満足、その場限りの満足に向け、その向く先は自分の生きる環境を壊し、結局生命を危うくするような状況を作ってしまいます。その矛先の向き方は様々です。しかし、生を見つめるなら、より良い生を求めるなら、そう沢山の選択肢はないはずですが、そこに、他の人よりも早く高く強く上手くすごいことを・・・という心が生まれ、生命を活かす方向を見失います。

 ヨガという言葉一つをとっても同じです。何千年も前から伝えられてきた本来の生を謳歌するという目標がここに至って手近な目標に置き換えられています。より変わった何かを求める人たちがいて、より何か別なものを求めて、こんなことあんなものをと、生命から見るならどうでもいいことを求め始めます。最近のその動機の中には金儲け・見栄・自己顕示が入り込み、ヨガという言葉の使われ方まで様々に変化してきています。

本当のこと

 これらの傾向は本当の生き方を求める人たちにとっては邪魔なものでしかありません。本当のことは世に溢れる情報からは得られず、体験して真実を掴む以外に真偽を見極める方法はないからです。
 本当のことは自分が体験しなければわからないということは、誰かがウソを言おうがホントを言おうが、結局、分かる人にはわかるし、分からない人には決してわかることはないということです。分かる人にはウソはウソと認識されるし、分からない人、すなわち自分の頭を使わず体験もしない人達は間違った情報に踊らされ、自らを破滅させることにもなりかねません。

 現代多くの人が患う免疫系由来の疾患の多くが自律神経の不調和から生じていることとでしょう。そしてその元にあるのが呼吸不全であろうと私は考えます。ここでいう不全とは、生まれながらに与えられている深く豊かな呼吸をする能力を失調することで不全になっているという意味ですが、これらを証明する手段を持ちません。

 健康であろうとし、心豊かに生ききりたいと願って私なりに色々なことを実践してきました。そして多分、そのやり方生き方のおかげで多くの気づきを得、それなりの健康や心の豊かさを享受しています。しかし、自分のやってきたことで健康や寿命など将来がどうなるのかはわかりませんし、自分の心身で実現できたことであっても一度きりの人生では再現性を確認することもできません。自分の生命に訊いて生命の求める方向で生きてきて得たものは、人とは比べようがないけれど、自分にとってはとても大きく、“それ” を得るようになった経緯や実践と体験の内容をもっともっと多くの人に伝えなさいと、私の生命は強く訴えてきます。

現代の状況

 寝ているときは酸素の消費量が少ないので、肋骨を引き上げる働きを休ませ、横隔膜だけで息を取り込み、交感神経系を休ませています。しかし、起きているときには交感神経系がよく働かないと活動がうまくいかないし、酸素が多く必要だからこそ肋骨を引き上げて胸腔を拡げ、酸素吸収量を増やしていると考えられます。最近は血中酸素濃度のこともよく言われますが、そのためにも肋骨を引き上げない呼吸法をすべきではありません。

 もちろん、普段の生活でも同じです。毎日呼吸をして生きているのですから、起きて活動している時の肋骨の下がった生活は健康も尊厳までも失うことになります。よく鍛えた身体で肋骨が高く見えても、気力が失せたり不安感を持つことで、その肋骨が下を向くという使い方になります。これが自律神経の働きを損ないます。この正しい方向性は生命の持つ生まれながらに与えられている働きですから、自身を観察し身体の状態や心の状態を検証すればなるほどと分かることでしょう。

 街を歩いたり電車に乗って人を見ていると、多くの人が肋骨を落として歩き、また生活しています。私の子供時代は学校でも家庭でも、近所のおばちゃんですら子供の姿勢に対しての躾をするという意識があったことで、現代ほど肋骨をを低くして生きている人は少なかったように思います。最近はそれがないためか、肩を後ろに引いて胸を張ったり、無理に背中を伸ばして無理をしている人は減りましたが、反対に、胸が落ちて背中が曲がり、頭を前に出している人がとんでもなく増えています。どちらの姿勢も生命の働きを表現していないもったいない姿勢です。正しく伸びのびとした姿勢にならない限り呼吸は深くならないし、健康で喜びに満ちた生活も与えられないことでしょう。ここで言う健康は病気をしないことではありませんし、また、感覚が喜んでいるだけのその場限りの喜びではありません。正しく生きることで生命からいただくご褒美の喜びのことです。
 肋骨の低い状態、低くなるような感性で生きること、そのような身体や呼吸の仕方のすべてが、生を謳歌したいと考える人、すなわちすべての人にとってマイナスに働きます。でもこの方向性を変えようとするのは結構難しそうです。若い人の場合は、気付きさえすればまだ早く戻すことができますが、問題意識の少ない若者には気付きを得る人はとても少ないことでしょう。反対に、歳を取るほどにいい意味での分別ができ、ウソとホントの区別のできる人が増えてきます。そのような人は聞く耳をもちますが、身体や心につけた癖が年齢の分強固なので戻すのに努力や時間がより必要になります。とはいっても、肋骨の方向性が下を向いたままでは決して深く気持ち良く伸びのびとした呼吸はできませんから、何歳になっても「気づいたが吉日」で取り組む以外ありません。

 かく言う私も若いころから分かっていたはずのことですが、突き詰めていくことで、このようにやるしか方法はないと分かり、そこに焦点を合わせて生活するようになったのは随分歳を取ってからです。まだまだ思い通りにはなりませんが、多くの人を指導することで、自身もその意識が強く深くなり、身体の使い方や心の使い方をなぜそこに向かわせる必要があるのかという意味が少しずつ心に身体に浸み込むようにわかるようになってきました。また現在、世間では歳を取ったといわれる年代のたくさんの方もこれに取り組んで着実に成果を上げ、喜々と暮らしておられます。

 呼吸が深いというのは酸素を多く取り入れることができるというだけのことではありません。自律神経の働きが高く免疫力が高く、心が安定して健康度が高い状態です。呼吸の拮抗というメカニズムの観点で言えば、肋骨と横隔膜とで胸郭を拡げた状態を維持し、吐く息に意識と力がこもり、吐いた後は息の方から流れ込むように入ってくる、呼吸の深い、楽で気分の豊かな状態のことです。

 この呼吸は生まれながらに持っている生命を謳歌する働きであり、幼いころ、子供のころには当たり前に働いていた機能であるのに、多くの人たちが年齢と共に忘れてしまう傾向にあります。もちろん、健康度の高い人たちはその機能を衰えさせず使っているからこそますます健康度が高くなりますが、その機能を失いつつある人たちはどんどん呼吸が浅くなり、そのために健康度が下がればますます呼吸が浅くなるという悪循環に入ってしまいます。街を歩くと、もちろん元気な若者もいますが、心の萎んだ若者の多さには驚きます。呼吸が広がればその分心の萎みもなくなるということを知って、価値観・呼吸・身体の使い方など、生活の全てが生命を活かす方向に変わって欲しいと願います。

医学の情報 

 この生きていることを謳歌するという一番大切なことを実現するために決して欠かせないのが呼吸です。でも呼吸を変えるということ、これには自分の頭を使い、自分の意識をそこに向け、自分の努力で心と身体をそちらに向けなければ、他の誰が何を手伝っても決して実現することはありません。現代はただ依頼心を増長させて金儲けをしたい人が多いのでその罠にはまらないようにすることがまず必要な人も多いと思います。〇〇に効くサプリそのものに問題があるかないかではなく、そこに頼りたくなる依頼心そのものが一番大きな問題です。医療の問題も同じです。

 医学の発達には目覚ましいものがあります。たしかに以前はどうにもできなかったことができるようになってきており、特に外傷やある種の腫瘍などへの対処には素晴らしい技術が生まれてきました。しかし、いわゆる《病》の把握については根本的な誤りが多くあります。それは全般的な話としてですが、《病は悪いものである、痛みや症状は取り除くべきものである》という考え方です。もちろん痛みや症状が軽減する方向に向ってほしいとの願いはありますが、現代の多くの病気は不可抗力によって起きたものではなく、心や身体の使い方、生活の仕方によって生じているものがほとんどであるということ。また、それによって生じている痛みや症状そのものが元凶なのではないということです。それは、自身の生活や行動によって生じているアンバランスに対する生命からの警告や元に戻すための働きが痛みや症状である、ということです。生活の間違いによって生じたのならその生活を正すことが最優先されるべきですが、この観点がほぼ欠如しています。「暴飲暴食はほどほどにね、痛み止めを処方しておきましょう」と痛みを止めることがその方のためになるのでしょうか。特に風邪に対する対処法などは無茶苦茶です。(この話は長くなるのでここまでにします、話を聞きたい方はお問い合わせページから質問してください)。
 また、例えば体重や体温、血圧などは大勢の平均値を標準にして、意図的にそこに近づけようとする愚を犯しています。世の中のどこに「私は平均です」という人がいるでしょうか。生命を量るには人間の知恵は幼稚です。
 また、ips細胞が生み出せたということが特殊な遺伝病などには大きな福音になるかもしれません。しかしそれは生命の働きそのものにアプローチしたのではなく、壊した細胞が偶然特殊な働き方をし、それを利用する方法を見つけたということであって、生命のかけらのかけらですら人間は生み出すことはできておらず、生命の何たるかは全く闇の中です。それなのにまるで生命をコントロールしているかのような錯覚をして、それを使って生活病から生じた結果へアプローチしようとするなどは本質として間違ったアプローチです。
 将来のことは分かりませんが、人間にとって頭で分かっていることを、分かっていないことと比べることは出来ません。その程度差は人間の想像をはるかに超えているのに、「こんなことが分かってきました!!」と興奮しています。この私の意見は決して科学や医学を否定しているのではありません、多くの学者や医療者の解釈やアプローチの仕方が本質から離れている、それは、人類や他の生物にとっての世界を生命を謳歌する喜びに満ちた世界に誘うことは決してないと言いたいだけです。

 ここが一番大切なところと思いますが、呼吸が深く自律神経の働きが高く安定している、ということは生まれながらに持つ働きです。でもどうしてその働きが歳と共に減ったり、若くてもなくなったりするのでしょうか。現代の医学的な情報では、年齢と健康度の関係をグラフに描いて、多くの機能が直線的かまたは放物線的に右下がりに下がっていくと説明しています。これは統計をもとにして出てくる結果です。しかしこの機能低下は本当に年齢だけが原因で起こっていることでしょうか。

  年齢の高い人は自分の健康度と統計とを見比べてそう思うのかもしれません。若い人の場合は自分には関係のないことだと思って鵜呑みにするのかもしれません。多くの人が何の疑問も抱いていないように見えます。歳をとれば病気になる、内臓が傷む、()けて当たり前、などと思っています。たしかに、体力や筋力が少なくなり、能力や適応力の低下が起こることでしょう。でも、それは健康が減るということではありません。生活のテンポや行動の仕方が変化するだけのことです。例えば、怪我をすれば元に戻そう、治ろうとするのが生命の働きです。年齢と共に傷の治りが遅くなるといっても、元々瞬時に治るものではなく、元に戻そうとする働きはなくなりません。死ぬその時までこの働きはなくならず、常に健康状態を保つことが当たり前の姿です。桜の老木が春に年老いた花を咲かせるでしょうか。なんでも老齢のせいにして自らを憐れみたいのでしょうか。都合の悪いことは自然のなせる業で自分に責任はないとでもいいたいのでしょうか。たしかに、平均値をとれば、病気になる度合いは年齢とともに上がりますが、その原因は偏に生活の仕方の問題であり、その傾向の始まり、すなわち生活の間違いは多くの若者にとっても、青年期いや成長期からすでに始まっています。とはいうものの、自分のことを思い起こしてみれば、若い間は自分が歳を取るということは考えられなかったし、自分が部分的には歳寄り並みになっていたということすら理解できていませんでした。

 世の中の多くの情報が間違っています。医者の多くからもメディアからも本当の情報を得ることは結構難しいのです。生命全部が一つとして生きているのに、それを部分に分割してものを考えるからおかしくなっています。統計や平均値を個人に当てはめることが科学的でしょうか、まるで生命が不完全で、それを頭が補わなければならないかのような情報がアカデミックなところからも人の気を引こうとするメディアからも、政治まで巻き込んで流れ続けています。新しい医療の方法をとめどなく生み出しますが、生命にとって正しい情報が伝えられているなら、世の中の病人が減ってもいいはずです。でも実際には増える一方、薬の消費量が増え医者の数を増やしても追いつきません。医療関係の人や学者、また専門家ではない人もこれをおかしいと思わないのでしょうか。

 50~70年も前のことですが、私の若い時代には最新の医学だとして大切な器官を安易に切除していました。海外で虫垂炎になると手術費用が高いからと渡航前に国内で盲腸を切り取るということまで行われていましたが、最近は腸内細菌叢や免疫に関係した重要な器官とされ、よほどのことがなければ切り取られることはなくなったそうです。それでは、現代の最先端の医学から生まれた情報なら間違いはないと信じるのでしょうか。
 ある程度の年齢の方ならご存じと思いますが、健康優良児を選んで表彰するという制度がありましたが、現代の常識で見ればただの肥満です。でもその背景には戦争直後の栄養不足があり、三大栄養素を多くとることが良いことであるというその時代の迷信がありました。ある時期には生野菜をできるだけ多く食べるのがいいという情報をが流れ、また次の時代には生野菜は身体を冷やすから温野菜も多くとりましょう・・・、味の素が頭を良くするからたくさん摂るといい・・・などと、いつの時代も時が過ぎれば迷信としか言いようのない俗説が横行します。多分現代のその迷信の最たるものがサプリであることでしょう。
 今から50年後に振り返ってみればきっと同じことが起こっていたと思うことでしょう。いやテンポの速い現在は10年でも同じことが起こるかもしれません。でも、地球上には薬や医者からは縁遠くても、淡々とイキイキと生きている人たちの生活があり、その人たちには全く違う生活習慣やノウハウがあることでしょうし、健康長寿のヨガ行者たちの生活や健康状態を研究した人たちもいるのに、そのような情報が重用されることは少なく、多くの人がそれに気づかないでいます。そのあたりのことをきっちり検証すれば国の政策も変わるはずですが、政治を動かす人、学会を牽引する人たちがたとえ善意で行動しているとしても、頭の働きを過信するあまりアカデミズムの落とし穴にはまっているのではないでしょうか。

 ゲノムをいじってまでの医療が生まれてきていますが、その前に、まず生命の持っている力を存分に発揮させる、ということを考えるべきです。まず元々ある力を活かし、それで足らないというなら、そこで初めて人間しか持たない知恵を投入すればいいのですが、生命の働きの邪魔をし痛めつけることで病気になり、老化的現象が起こっているのを別の方法で助けようなどと考えることが生命に対して失礼千万なことです。生命の巨大ネットワークが明らかになってきました!と騒ぐ前に、部分を覗いただけで生命をいじりまわす前に、やるべきことが山ほどあることでしょう。

 文句タラタラ、話しが横道にそれた感もありますが、声も同じことです。健康も、生きがいも、すべて同じところから出発しています。生命の働きに帰るという意識が私たちの社会の中に育ってこなければ、近い将来大きな代償を払わされることになるかもしれません。いやそれは既に始まっているのかもしれません。

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