呼吸コントロール力2

18.世の中の当たり前 ー 問題のない方が特別?

 「当たり前でいいんだよ」と言う人がいます。「自然食がどうした、特別なものを食って、自分が特別だとでも思っているのか」と聞こえてきそうです。でもそれは「盲蛇に怖じず」であって、知らず考えずというのは恐ろしいことです。 たしかに人間はある意味皆同じかもしれません。でも生き物として見れば、人は相当特別で、多くの人が「当たり前」と思っている行動は決して人間として「当たり前」ではありません。

何が特別なのでしょう

 体外受精をしなければ子供のできない人がどれくらいいるのか、検索するとその専門医や病院が、信じられないくらいたくさん出てきます。聞けば自分の周りにもその専門医の世話になっている人がいたからまた驚きです。
 精子が少なくなっているという話もあるし、分娩の4人に1人は帝王切開だという。そんな動物は人間以外にはいません。これだけでも相当特別。数百年前に遡ればそこまで特別ではなかったはずの人間ですが、現代の学問や産業、そして文化と呼ばれる新しい人間行動がこのままエスカレートするなら想像を超える世の中になって行くことでしょう。

日本での当たり前

 スーパーやコンビニに売っているものやホカ弁を当たり前に買い、三食食事をし、朝は食べたくなくても食べ、忙しい昼は5分、10分で食べる。休日以外はハードな仕事をこなし、遅くまで仕事をして帰りに一杯、気分を変えて家に帰る。寝るまでに腹が減れば夜食を食べる。そして味を追求するとどんどん味付けが濃くなる。減塩をしても野生の動物たちと比べればきっと何十倍もの塩分を摂る。外食が多ければもっと大変なことになる。ほとんど一日中を食事に費やす動物はいるけれど、お腹がすかなくても食べるのはきっと人間だけ。一日中スマホと付き合い、自分の時間にはゲームをする。これも文化の一つだけれど、そこで浴びる強い電磁波や目の負担は大変な問題。これも人間だけ。

特に大きな問題

 自分の生命の要求に適う自分らしい生き方は二の次で、頭で考えた自分のありたい姿を求め、資産、地位、容姿、などなど、本質的自分とは何の関係もない価値観に従う。そこでその価値観に適う、親方日の丸とか給料のいい会社に入るため、できるだけいい学校に行くのが得策だと子供のころから教育され、生き方もそのように方向付けられる。いい大学を出なくてもネットで人気を得れば大きな収入を得られると、結局は金が主体の生活を志向する。そして増えた収入で自分の好きなものを食べたり好きなことをたくさんするのが自分らしい生き方だと多くの人間が思い込んでいる。

 風邪を引けば風邪薬を飲み、極力仕事は休まない。痛いところがあれば病院に行き、まな板の鯉よろしく医者に任せて切ったり貼ったりしてもらう。もちろん医者に助けてもらうことが必要な時もあるけれど、必要のない時まで頼りに行くのは変だ。保険で安く買えているから薬は断わらず、中身をよく知らないまま、言われるままに飲む。

 死ぬまで自分の足で歩いて自分の食い扶持は自分の手足で稼ぐと思って生きている人がどのくらいいるだろう。もちろん人生は何があるかわからない。でもそのように生きるにはどうすればいいかを真剣に考えて生きている人が日本にどのくらいいるだろう。歳をとったら楽をしようなどと考えてはいないだろうか。これも動物の世界ではありえない。

これらは日本のごく当たり前の平均的行動パターン

そこでもう一つの観点、今の話が条件とすれば次は結果について

 亡くなる人の8割が病院死をするらしい。歳を取れば病気をするのが当たり前ということだろうか。寿命ではなく、病気で死ぬのが当たり前なのかもしれない。

 膝が痛くなって歩きにくくなって骨粗鬆症になって転んで腰の骨を折ったあとはもう歩けない。腎臓肝臓が傷んでくる。糖尿や血圧異常などは歳をとればなにか出てきて当たり前。人工透析をしたり毎日多種類の薬を飲んだり、認知症になって徘徊したり、あれもこれも当たり前。財産があれば、年金があれば何とかなる。でも年金が少ないから働かざるを得ない、でも最後まで働き続ける意思もない。

 先日、もうすぐ99歳になる母が時々高熱を出すので大きな総合病院に連れて行ったら、コロナの真っ最中なのに病院はデパート並みで、僕よりも若い年寄りがたくさん。
 町病院の朝の開店の順番待ち行列は流石にコロナの影響で減っているはいるけれど、大病院では毎日この情景が変わらず繰り返されているのだろう。

 これらは核家族化が招く問題でもあるけれど、現代日本の当たり前の姿。歳をとって萎んで病気になって喜べない心身を抱えてあちらの世界に行く。でも、世の中には元気なままでじっくり歳をとる人もいる。割合で言えば少ないかもしれないが、動物としてみればそちらの方が当たり前。でも人間社会では、いや日本の社会ではそんな人は運がいい人として扱われるだけ。自分が本来動物の仲間であるとは思っていないのかもしれない。この異常は老後だけではなく、生まれてくる子供たちの状況にも昔に比べて多くの問題があるという。

この二つの面の「当たり前」が現代日本の大問題

 それは同じ現象の別の姿、すなわち、先に書いた「当たり前の平均的な生き方」が後に書いた「当たり前の平均的な結果」を招いているという一枚の絵のようなもの。きっと外国でも似たような状態だと思うけれど、「当たり前の行動」が「当たり前の結果」を生み、それは「当たり前だからそれでいい」と言って大方の人が生きている。
 その割には病気の辛さを味わうのは嫌だから薬を飲むし病院にも行く。どこかがおかしいし、その行動は本質的に間違っている。「当たり前」という生活の中にその結果を生む 原因がある。当たり前の生き方をすればいいこともあるかもしれないけれど、当たり前の喜ばしくない未来も受け入れなければならない。

 プラスティックの使用、着色料や保存料、その他山ほど入っている食べ物の添加物、放射能、農薬、家庭での香料や殺虫剤、水の汚染、大気汚染、環境ホルモン、低周波や電磁波、過剰な電波やディスプレイの害の問題、そして官産戦略の医療と薬剤が生み出す薬漬け。そしてそこに国家や企業の情報収集による社会の管理、そこからますます強まる意識支配、いくらでもあるけれど、そこには経済の問題、特にグローバル企業の台頭、いや台頭は過去のことで現在は支配というべきか、そこに発生する諸々の問題が僕たちの生活形態を否応なく変えていく。でもそれらを肯定してしか、いわゆる「当たり前の生活」は成り立たない。そしてその結果は、ろくでもない 当たり前の老後を受け入れるということ。でもそこに支配されっぱなしの道を選ばない自由を僕たちは持っている。

 敢てもう一度言う。原因と結果は50年待つまでもなく、この世の現状にそのまま映し出されている。当たり前に暮らせば当たり前の結果が待っている。

どうしても回避した方がいいことの第一

100年以上前にはなかった物質を身体に入れること。

 多くの異物を排除したり無毒化する私たちの適応力は、何十万年、何百万年をかけて養われてきたもの。つい最近、100年や200年前から世に出てきている物質には十分に対応できる力を持っていないと考えるべきです。

どうしても回避した方がいいことの第二

 身体に何か不調が生じた時、発熱や痛み、便秘や下痢、食欲不振、倦怠感、肩こり、腰痛、頭痛、などが起こった時に、その不愉快な症状を薬で抑えようと考えること。そしてそれを他の人に治してもらおうと考えること。
 それが起こり始めた段階で自ら原因をつかんで取り除くということをしない限り自分の体や心を自分のものとして自分の支配におさめることはできない。 

第一の具体策

 まずは非食品の排除。 現代の価格競争と流通の都合でつくられる見た目だけの食べ物。そして人の食に対する思い込みや心の弱さに付け込んで欲しがらせて売りつける食べ物やサプリ。薬ですらその例外ではないが、特別な場合を除いてそれらを排除することが大切。

第二の具体策

 薬や医者の世話になるのを最小限にする、それは 自分の身体をどう守るのかとセットになっている、とても大きな問題です。
 そこで大切になるのが次のこと。どうしても避けられない緊急の場合を除き、身体を切ったり貼ったりする前に、多くの選択があることを知るべきです。そしてそのためには自分の力で対処できる間に、健康的な生き方がどんなものかを体得しておくことです。俺は病気などするものかという思い込みを持っている人が「当たり前でいい」などということを言うのでしょうが、そんな人が何か問題を抱えたときに自分で対処できるだけの頭も心も養っていないから何でもかんでも医者任せの鯉になってしまう。当たり前という平均的生活は平均的結果の原因になっているということを認識しなければならない。

 自分だけ救われようと言っているのではないけれど、自分はそうなりたくないと皆が思って行動を変えるなら、そのように社会も変わっていきます。添加物を使わない食品しか皆が食べなければ、添加物の生産もなくなります。

ヨガは悟道法

 ここまでの原稿をワイフに見せたら、先生お説教ありがとうございます、と言われてしまいました。ちょっとだけ書くつもりがずいぶん長くなりましたが、ここで、もう一次元高い対処法があるということを知るべきです。

 それはいわゆる健康法でもありますが、決して部分的な健康法ではなく、生命全体を活性化させ、決して無理をせず、できるだけ自分を活かすことができるようにする、そんな全心身健康法、悟道法、それはヨガですが、世の中の“はやりのヨガ”ではありません。

 ヨガでもヨーガでもいいけれど、自分がそれをやるというなら、まずはヨガの説いている全体像を知る必要があります。ただ体操をするだけの本ではなく、ヨガスートラを訳したものもあるし、自身の見解を書いているヨガ行者の著書もたくさんあります。沖先生の著書も私の著書も、受け売りではなく自分の体験から生まれています。そんな著作を探さなければなりません。そしてそこに示されている、人間がどのように生きるべきかの記述を自ら検証することが必要です。決してうのみにしてはいけないし、端から否定してもいけません。ヨガのポーズを必要なだけやることはもちろんいいことですが、たくさんしたからと言ってより健康になれるわけではありません。呼吸法や瞑想法もやり方によってはやらない方がいいことだってあります。やるべきことはシンプルです。生命が生きやすいように生活を変えていくこと。なにも贅沢をしろというのではなく、人間を色々な角度からとらえ、科学や歴史、そして自然を眺め、私たちがどのような生活をしてきたのか、本来の力を発揮するためにはどのように食べどのように寝、どのように暮らしていたのかを知り、現在の自分たちの問題をその観点からも考え、実践して試してみることで、自分に何が必要か、どう生きるべきかを発見していきます。それがヨガをするということです。

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