呼吸コントロール力2

13.体感空間と心の広がりー 息を吐いても萎まない 心の広がり

  何度も「体感空間」という言葉を出して来ました。この意識は身体の意識だけでなく心の意識状態でもあります。そしてこの空間を生み出すのは呼吸の働きです。

 体感空間には、私たちの「生」の質を向上させるカギがあります。これは把握体得するしかない道の一つですが、ベールに隠された秘密ではありません。体得には地道な観察と実践が必要ですが、一つひとつ解きほぐして実践さえすれば決して難しくなくあたりまえの事実として誰もが把握できることです。このサイトでは「生・生命」を解きほぐすためのアイディア、一つのアプローチ方を提供していますが、頭で理解しても実践体得がなければ結局は机上の空論で終わります。

 「体感空間」という抽象的に感じるこの言葉の意味するところを理解し、それを体感するということは、「呼吸が心と身体の有機的なつながりを生み出している」という事実を実感することです。そうすれば、ヨガの三密と言われる「心・身体・呼吸」のこの三つをどのようにとらえ、どのように実践していけばいいのかの大切なキーワードであることも実感できることでしょう。これらの実感を自分のものにすることで、ヨガが説くところの、「生」の本来持つ「生きがい」や「悦びの世界」に入って行くための道筋の一つが照らしだされると思います。今回はこの観点から「体感空間」に焦点を置いての話しです。また、この理解を深めれば「母音メソッド」へのアプローチも、わかりやすく取り組みやすいものになるでしょう。

呼吸とイメージ

  「体感空間」は文字通り空間であり広がりを持ちます。この感覚は「身体が膨らんだり萎んだりする呼吸のエネルギー」が生み出しており、そのエネルギーは同時に心の膨らみや萎みも生み出します。

 ヨガの三密は、「心」「呼吸」「身体」の三つの観点から統一調和を図ることを指していますが、「体感空間」は、心・呼吸・身体の三つを把握するための具体的指標ということができます。しかしこの空間は具体的には見ることも触ることもできないイメージ空間なので、あいまいでつかみどころのない感じを受けるかもしれません。ところが、これが相当なレベルで他の人と感覚を共有することのできるイメージなのです。
 例えば、「お腹に息を入れましょう」といった時にどのくらいの人が同じ感覚を持ち、その意味を理解するでしょうか。多分ほとんどの方がお腹に息を入れることができ、そんなことは簡単なことだとやって見せることでしょう。そんなことはできませんと答える方も、やり方を教えてあげると皆できるようになります。どうしてもわからなかった人は今まで一人もいませんでした。共有することのできるこの感覚はどういうものなのでしょう。実際にお腹に空気が入るわけではありませんから、それは事実ではない。けれどその事実ではない「お腹に息を入れるというイメージ」が全くの想像が生み出したイメージではないということです。私たちの身体の普遍的な働きと深い関係を持つからこそ、多くの人が同じイメージを持つことが出来るのです。
 ところが、この感覚によく似た、お腹の後ろ側の「腰に息を入れましょう」ということをやってもらうと、この感覚を共有できる人はかなり少なくなります。歌や声の勉強をしている人の場合は、先生からそういう指導を受けることが多いので、この感覚を身につけている方が多いはずです。でもその人たちでも、「首に息を入れて」とか、「頭に入れて」というと、その感じを共有できない人が多くなります。これはそのような習い方をした人が少ないためであって、要はトレーニング次第で誰もが同じような感覚を身につけることができるということです。

 この不思議なイメージは脳の働きによって生み出されています。

イメージ空間の正体

 それにしても、息がお腹や腰に入るというのは不思議なことです。セミナーなどでは、「実際にそんなところに息が入ったら大変なことになるよ」といつも話しますが、それなのに多くの人にとって共通意識として持つことのできるこのイメージはどのように生み出されているのでしょうか。

 私たちの身体には筋紡錘やゴルジ腱器官という、筋肉や腱の状態を感知する器官がそれぞれの中にあり、それによって引っ張られ方や長さを感知することができ、また皮膚や内臓も押されたり引っ張られたりを感じる感覚があることで、自分の姿勢や動き方を把握しているといいます。例えば体操選手が人間技とは思えないような空中での回転と着地をやってのけますが、これには、筋肉やその支配神経、筋紡錘、そして皮膚、三半規管、他にもあるかもしれない多くの感覚からそれらをイメージ化して自分の位置や空中での姿勢をまるで外から見ているように把握することが出来ているのでしょう。でもこの自分の位置や筋肉の働き方をイメージ化して把握する能力は決して特殊な能力ではありません。誰もがこの能力を使うことで「鏡を見なくても自分の姿勢や状態を把握している」からこそ歩くことができ、また、歩きながらその姿をイメージすることもできるのです。

 この機能を使って、息を入れるときの「吸う意識」と「筋肉の使い方の強さと方向」、それによって生じる体内の各部に生じる「圧迫や引っ張られ方」、そして「入れようとした息の量」「入ったと感じる息の量」、などの多くの感覚情報を総合的に解析することによってイメージが構築されていると考えられます。お腹あたりでの「圧迫や引っ張られ方」が他の部位よりも強ければ、「お腹に息が入る」という感じ方をし、胸あたりでの「圧迫や引っ張られ方」が強ければ胸に息が入ったというイメージができるのだと考えます。

 もう一つ、この体感覚を分析してみると別の要素のあることが分かります。一つひとつの筋肉の働きは直線的な方向性を持つ力ですから、空間的な広がりのイメージが生じるには、ただ引っ張られるだけではなく、方向性を持つ複数の力が身体の外向きにかけられることで初めて可能になり、三次元的な体内の広がりを感じたり生み出したりすることができます。そして、その個々の力の状態によって、空間がより大きくなるとか、その形が長くなるか丸くなるかというような変化が起こっているということです。また、この感覚を研ぎ澄ませていくと、他の受容器官の働きも使って、息の入る場所だけではなく、息の入って行く経路やスピードも体感覚の一つとしてとらえられるようになります。もちろんこれは解剖学的な経路ではなく感覚として捉えられるものです。

 40代の頃に「体感空間の概念」が私の中で確立しましたが、それはヨガの呼吸法やこんにゃく体操(現野口体操)で体内の各部に呼吸を入れるという感覚を繰り返し味わったことで、ここに書いたイメージを構築する神経回路が多くできたからだと思います。

息を吐いても萎まない空間

 さて、なぜこの「体感空間」を大切にする必要があるのか、それは、最初にお話ししたように、この空間が心の形を作っているからです。体感空間は心の広がりです。そして同時にそれは呼吸の生み出す形であり、それは多くの筋肉の働きの方向性が生み出しています。心・身体・呼吸の三密が直積的にまるで目に見えるように表れているのが体感空間です。

 心と身体とが全く別物と思っている人もいるかもしれませんが、元々私たちの生命の働きが生み出した私という個の見えるところを身体といい、見えないところを心と言っているだけであって、決して別のものではありません。気落ちした時やホッとしてため息を出すときには胸が落ち、体内のイメージ空間は萎んでいます。夢に胸が膨らむという言葉のように、元気で希望にあふれている時には体内のイメージ空間は大きく膨らみます。それでは、私たちが息を吸って空間が膨らんだ時には気持ちも膨らみ、吐いて空間が小さく萎めばその度に気持ちも萎むのでしょうか。そうです、厳密に言えばその通り、呼吸と共に心も動いています。ただしこれには続きがあり、結論は違う方向に向かいます。

 伸びをして胸に息を大きく吸い込むと爽やかな感じがしたり気持ちが大きくなったりするということは、息を入れる前、相対的には空間が萎み同時に気持ちも萎んでいたということです。それは落ち込んだというほどの感じではないかもしれないけれど、本来自分の持っている、気持ちよく元気で明るい状態、例えば高らかに気分よく笑っている自分と比べれば相対的に落ち込んだ状態になっているということです。かくいう私も、どんな人間も、リラックスしているときもあるし、いやなことがあったり痛くてつらいこともある、いつも元気印というわけにはいかないことでしょう。でも、私たちは、自分がどのような状況に置かれていても、温かく豊かで心がゆったりと膨らんでいる、そんな気分を四六時中維持することができる、そんな能力を持っているはずなのです。
 そのような人がいると想像できますか? 読んだり聞いたことがありますか? それとも自分の周りにいますか?
 私は、できればいつもこの状態にいたいと切に願い、なんとかその状態が当たり前であるようになりたいといつも思っています。それは外的な状況とは関係なく、自分の意思で自身が生み出すことのできる心の状態だと考えるからです。
 そしてそれは心を変えようとするアプローチだけでは解決できないということ、その解決の鍵が呼吸の力であるということ、このことをヨガで学び、他に方法はないだろうと確信していました。しかしどのようにその呼吸を変えていくのかが分からず、盲滅法やっていました。でも、呼吸の形と心の状態(形)とが同じものである、それを呼吸の広がりとして感じることができる、ということが分かり、それを「体感空間」と名付け、また、その空間は息を吸っても吐いても広さを維持することのできる意識空間であることに気づいたことで、どのような働きを身につければ自分の願う心の状態に近づけるのかが分かってきました。

 それは、この空間が実際の空気の量に比例して大きさを変えるのでは無く、気分の広がりと同じイメージで膨らんでいるからです。そしてそのイメージは前述したように胸郭を拡げ内容積を大きくしようとする働きこそがその空間の大きさであって、実際の容積の問題ではないということです。ここがポイント、息を吐いても空間の広がり維持することができる、そんな働きを手に入れるのです。またこの感覚は根拠のない空想によって生み出されるものではなく、方向性を持つ筋肉の働きによって生み出されていますから、他と共有したり再現したりできる信頼に足る感覚であるということです。

 繰り返し説明しますが、この広がり方が、実際の胸腔内の空気の量だけをもとにして感じているなら、息をするたびに大きくなったり小さくなったりして、心の広さや深さというようなものの指標にすることはできませんが、これがイメージから生み出されるものであるからこそ、実量とは無関係に、広がろうとする力が働いている限りそこに広さを感じることができるということです。

 そしてもう一つ、冥想の呼吸についても同じことが言えます。呼吸と共に体感空間が膨らんだり萎んだりしていれば心も頭も安定することはできません。背スジを十分に伸ばさないでも、お腹を使って横隔膜が動くだけの呼吸すれば心身は安定はします。しかし、それは呼吸の浅い半寝状態であり、深い呼吸の広く深いダイナミックな冥想状態とは程遠い状態です。能動的に呼吸を深くし意識がどこまでも広く拡がるということが生じてこなければ冥想にはなりません。

 体感空間には体内で感じるものと体外で感じるものがあります。どちらも呼吸の働きから生じるものですが、体外に感じる「体外空間」は心の状態を強く反映しているように感じられ、オーラを感じているのと同じように思えます。体内に感じる「体内空間」は他の人と共有しやすい感覚で、呼吸の状態や呼吸筋の使い方などが伝わってくるように感じられます。

 生徒の声のレッスンをするときには、生徒の感じている体感空間をまるで目で見ているような感じで聞き把握します。生徒が使っている空間、すなわち呼吸の状態や身体の使い方を把握し、使えていない空間に息が入って来るような感じをイメージすることで、必要な身体のフォームや動かし方を生徒にやってもらうことができます。そして、より体感空間の広い、気持ちの良い声が出せるようになります。母音メソッドは沖先生の発声体操をこの感覚でとらえることで生まれたものです。 

 このような体感空間というものを駆使し、深い呼吸や良い声を手に入れていただきと思います。

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