2018.06.20
20代の終わりか30を過ぎた頃だったか、家族の食べる野菜や米の一部でもいいから自分で作りたい、できればすべて無農薬、自然で元気な食べ物にしたいと思って色々な農法を試していた。
当ブログ 2018/4/10の「手かざし」のところでも書いたように、当時は、世界救世教の信者さん達がやっている農法を真似たり、福岡正信さんの本を読んで真似たり、家の庭もほとんど畑にし、刈った植木の枝葉は隅に積んで全て堆肥にしていた。
庭の畑だけでは面積が足らないので、どこかで無農薬の畑が借りれないかと、農家出身の知り合いに頼んだところ、その人の実家が、「次郎イチゴ」という当時は美味しくて有名なイチゴの産地で農業をやっていて、そこに使っていない畑があるので、いつでも貸してあげるということだった。
行ってみると、そこは水の便が悪くて使っていない、山の際の1反(300坪≒1000㎡)ほどの畑だった。
車を停めてから畑に行くだけでも結構を坂を上るし、水は畑よりもだいぶ下にある井戸の水を汲むしかないという不便な畑だった。
傾斜した土地の段々畑で、高い側は雑木の生えている山なので、枯葉や腐葉土をそのまま畑に落とし込める。反対の低い側は道路に向かって段々が続き、一段下がった畑も休耕地なっていたので、他の農家や畑からの農薬や肥料が入ってくることのない安心な畑だった。
当時は兵庫県の川西市に住んでいてそこから高速道路を使って1時間くらいのところだったけれど、完全無農薬でやれる貴重な場所だったのですぐに借りて畑を始めた。
この畑、使っていなかった期間が長かったのだろう、背の丈を超えるススキの大きな株が畑全面に生えていて、耕運機で耕さないととても畑にできなさそうな土地だった。でも、できれば不耕起でやりたかったので、一緒に作業した友人と「僕たちは大株主だね」などと冗談を飛ばしながら、ススキの株の周りをシャベルで深く掘って一株ずつ根っこごと、それこそ”根気よく”取り去ってようやく畑にこぎ着けることができた。
しばらくは色々なものを植えてみたけれど、少々遠くて、土が肥えて良い野菜が取れるというところまではいかないまま、仕事が忙しくなりいつの間にか行かなくなってしまった。
40歳頃になって父の会社を継いでますます忙しくなったのと、新大阪のマンションで生活するようになったことで、土や畑からは全く縁のない生活になってしまった。
しばらくはそんな生活をしていたけれど、京都府の日本海側、宮津市の天橋立近くに別荘マンションの一部屋を手に入れてからは、また生活が変わり始めた。
マンションから車で20分くらい、丹後半島の山の中に入った木子という過疎村でペンションをやっている宇都宮さんの家族と知り合ったことで、また土いじりの虫が湧いてきて、そのペンションの真ん前の土地を借りて畑を始めることになった。
トータル ライフ デザインの会を始めてから10年くらい、自分のプライベートを見てもらうのも悪くないと思い、畑の最初の作業を2009年5月号に載せてから、ナチュラル ヴォイス ヨガの記事よりも読みやすいと言われたこともあって、ずっと会報に掲載している。
以前はトータル ライフ デザインのサイトに掲載していた畑日記を、このナチュラル ヴォイス ヨガのサイトに引っ越ししてきて、トップページのメニューにも加えました。
→ 畑日記(畑日記はまだこのサイトに移転していません)
冬は何メートルもの雪に埋まってしまう畑だし、イノシシや小動物がせっかく作ったものを食べに来るし、熊が出るかもしれないところだけれど、空気が美味しくて景色が素晴らしくて、何より人の嫌な気に汚されていないこの地で土に触れているだけで元気になる。
素晴らしい景色のおすそ分けをしましょう。
何も言わなければスイスの山小屋と見間違いそうな
木子ファームペンション (畑から見た景色)

関東から来て家族だけで建てたという、美味しい食事と美味しい空気つきのとても大きなログハウスのペンションです。
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