2014.08.11
柳澤桂子著「いのちの日記」を読みました。
「魂の道の果てに立ちませる永遠なるものを神とよばんか」
科学者である著者が、原因不明の病におかされ長い闘病の中で得た宗教観、信仰心が端的に科学者らしい表現で記されていて深い内容が実に解りやすく、読んでいて得心がいく事ばかりでした。
「私が半生の体験で見出した信仰心のイメージは、般若心経に記されている「空(くう)」という考え方にきわめて近い。」
と序文に書かれているように、「空」という事が、分子や粒子に置き換えられ説明されていくと、そこには「私」という個別のものは存在しない。
これこそ「空」であるという事がストレートに入ってきます。
般若心経の難しい「空無」が「野の花のように生きられる」という一元的思考で真実に気づかせてくれます。
あるがままに、一元的にものを見る事で、「自我を滅する。」という難しい事を端的に納得させてくれます。
まさにこれがヨガの説く一元論なのです。
本の中から抜粋して詩をひとつ紹介します。
お聞きなさい
あなたも宇宙のなかで
粒子でできています
宇宙のなかの
ほかの粒子と一つづきです
ですから宇宙も「空」です
あなたという実体はないのです
あなたと宇宙は一つです
これが般若心経の一節を現代文に訳したという詩です。
「般若心経とは宇宙と生命の科学的真理を説いているのであって、私たちの幻覚に気づかせてくれるお経である。」と書かれています。
昔読んだ沖先生の御著書にもこのようなことが書かれていたような気がします。
沖ヨガを学ぶ上で切っても切れない「般若心経」。
修行として「自我を滅して真理を得る。」という思いを、心して唱えたいものです。
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