2015.05.10
先日クラスの中に赤ちゃんがひとりはいりこみました。
お母さんの横で機嫌よくひとり遊びしているだけですが、まさに「イノチの塊」溢れ出る生命力を感じました。
周りを喜びに満たしてくれるその「存在」そのものが各人の中にある至福を思い起こしてくれるのです。
これこそが「チット、サット、アナンダ」人の本質なのですね。
「♪野に咲く花にも神よ君の名前が~空飛ぶ鳥にも~神よ君の姿が~いのちの中には神がまします。」これは、昔からずーと私の中で歌い続けている歌です。
まさに、イノチの中に存在する神そのものを感じるひと時でした。
自分の内なる神に気づき、至福を感じる瞬間は誰にでもあることでしょうが、その神をどの場面で見るか、どの様に見るか(意識)でその繋がる命の捉え方や永遠の感じ方も変わるのでしょう。
「魂の道の果てに立ちませる永遠なるものを神とよばんか」
こんな言葉を読み深く感銘を受けたことがあります。
彼女は実生活で、長く命のやり取りをしている状況でした。
「道の果て」をいつも意識し、感じることで、イノチの中におわす神を感じることができたのでしょう。
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