ラジオ体操の深呼吸”と反対の呼吸法
和気愛会 2014年3月号
より豊かな人生を自分のものにするために、どのようにヨガに取り組み、そしてクリアしていくのか、私の思うところを、自分の体験を踏まえて、分かったことを一つ一つ順を追ってここにお話していきたいと考えています。
前回の話は、自分を含めたすべてについて、見方には色々な断面があるけれど、一時にはその切り口の一断面しか見ることができない。だから物事は簡単には分からない、でも自分が意図する道を迷子にならず歩ませるには、色々な角度からの切り口を増やすことが必要、そしてよりよい人生を求めるなら、そのどの断面もより良い人生の断面に近づけていくという考え方と実践が必要。だから、《ヨガでは生きていることすべてを扱う》ということになる。というようなことでした。
心の問題、体の問題、食べ物、呼吸、そしてもちろん声も含めたその他、生きているというすべての現象に現れた自分を見つめ、より良い道を求める、完璧には程遠く及ばなくても、できる限り多くの切り口から自分や他の断面を見つめて、より良い人生に向かってもがいて浮かび上がろうとするのがヨガをするということなのでしょう。
決して楽はできないが、楽を求めるというジレンマの中で、このまま動かなければそこで窒息して息絶えてしまう、浮かび上がって青い空の自由な空気のなかで思う存分息をしたい。誰もがそんな欲求を奥に持っていることでしょう。でも、それを意図して解決したいと思うなら、色々な断面の自分を見つめ、毎日の生活を見つめてみることが必要です。しかし生活は人それぞれの都合や癖によるパターンがありますから、誰もが同じ生活をするわけにはいきませんが、その中にある共通のこと、命を生きているということを相手にするとき、そこには普遍的な真実とでも呼べるような共通性があります。
活動して寝る。食べて糞をする。息をする。喜んだり悲しんだりする。そのような断面の中により自分を生かし、自由に生きている姿を見つけ、それを表現することが大切です。でも自分が変化すればそのすべての断面も変化しますから、一律にこれが良いとか悪いとかそんな単純に解決できることは何一つないということです。
人にとって本当に必要なのはお金でも位でも名誉でもない。誰でもそんなことは分かっているだろうと思えるのに、なぜか多くの人がそれを大切にし、そして追い求めます。それはきっと、何を求めれば本当に自分が求めている世界にたどり着けるのか、その中に入れるのか、そのことがよくわからないから、とりあえずお金を求め、余暇を求め、となってしまう。そして、そこを原点にして出発してしまうと、本来自分が求めていたものからはどんどん遠ざかり、とんでもないところに出てしまうことに気づかない。途中で気づいても、今更方向転換などできない。あがいてはみるが、その中では何もできない。何か方法はないかと本に尋ね人に尋ねるけれど本当に必要なものは誰にも教えてはもらえない。当たり前のこと、自分のことは自分の命しか知らない。自分に聞くしかないということです。
なにもお金を稼ぐ必要がないというのでも、人から尊敬されることが必要でないというのでもありません。この世に生きる限りはこの世のルールの中で自分を生かすことが必要なのですから。もっと多くの切り口で自分を見ることが必要だろうということです。
それでは今回は簡単で効果的な呼吸法のやり方についてお話ししましょう。
体の使い方は全体主義的な教育で変えられている
私たちが子供のころから当たり前のこととして身につけさせられてきた体の使い方があります。すぐに思いつくだけで二つもあります。それは日本人が永い時間をかけて養ってきた、自分たちの体質や生活習慣に馴染んだ体の使い方であっただろうと思われる使い方を無視し、西欧式の教育方法によって否応なく変えられてしまった明治以降の体の使い方です。
その一、歩いたり走ったりするときの手と足の動きの問題で、“なんば歩き”という日本の古来の歩き方があります。ご存知の方も多いと思いますが、教えられてやってみるとなるほどと思う理にかなったところがたくさんあります。昔は多くの人にとってこの体の使い方は当たり前であったらしいのですが、現代の日本ではほとんど忘れられています。明治以降の欧米式軍事訓練とともに学校教育にも入ってきた整列行進の歩き方、手と足を反対に大きく振って歩くのが元気で正しい歩き方であると教え込まれたのです。子供の時から「右向け右」などと、いつも訓練されて身についてしまい、いつの間にか民族的にも当たり前にならされてしまっているということです。教育の力は大きく恐ろしいものです。
その二、ラジオ体操による呼吸の方法です。普段、呼吸は無意識に行っています。ところがラジオ体操の深呼吸では意識的に呼吸をさせますが、その方法が、胸をあげて息を吸い、吐いて胸を下すというやり方だけで、これだけが意識的に深く呼吸する方法であるかのような錯覚を国民的に当たり前に浸透させてしまっているのではないかと考えています。これはとんでもない間違いの元凶で、反対のやり方があってもおかしくないのです。これも欧米的な影響なのでしょうか。
このラジオ体操的深呼吸の方法では息を吸うときに力を入れて、吐くときに力をぬきます。このやり方は緊張のあとホッとするときなど、胸に入った力を抜くのに、その時だけは適していますが、常時行って心の安定や体の使い方の統一を目指すには全く適さない呼吸法です。
私たちの体は吸う息に力を込めると緊張し、吐く息に力を込めるとリラックスできます。どのような時でもリラックスできるような呼吸の形を身につけることが大切であるとヨガでも教えています。
そこで私は、冥想の前の準備や、ヨガのレッスンの初めには、心身を調える呼吸法として、肋骨を開き胸を高くし、吐く息に力がこもる簡単な呼吸法をいつも実践しています。それを“ラジオ体操の深呼吸”と反対の呼吸法と呼んでいます。
“ラジオ体操の深呼吸”と反対の呼吸法
日経ヘルスNo.192 2014年3月号より

この挿絵は、1月に取材を受け、「人間関係が良くなる声ヨガ」と題して、日経ヘルスの3月号に掲載されたものです。私の書いたものではありませんが、東京から取材に来られたお二人には長時間かけて体験していただきました。それを1週間自分でやってみた体験に基づいて書かれたものです。今回のラジオ体操の深呼吸と反対の呼吸法と同じものが掲載されているので挿絵を拝借しました。(ご希望の方には4ページの記事のコピーを差し上げます。)
上の図1~図4のように、吐きながら手を上げ、吸いながら手を下げます。図3.のときには肘と肩の力を緩めて肩が下がり、肋骨が下がらず、吸いこむというより、息の方から体に流れ込んでくるように感じます。
この挿絵のやり方は雑誌を見て初めてやってみる人を対象にしているので、いつもやっているよりは少し簡単にしています。もう少し複雑ですが効果の高いやり方を紹介しておきます。
A 図1から、まず手を前に伸ばして胸の高さまで上げるときに息を入れ、
B その手の動きを止めずに上まで伸ばしながら息を吐く(図2)
C そして図3で手がゆっくりと肩の高さくらいまで下りて息が十分に入ってきたところで手の動きを止め、
D 息を止めて軽く肛門を閉める。
E 少しの間息を止めて、
F 苦しくなる前にゆっくりと手を下して緩やかに息を吐く。このとき胸を高くキープしておきます。(図4)
そしてまた図1から、息を入れながら手を胸の高さまで上げるというように、ゆっくりゆったりと深い呼吸を続けます。時間が許すなら何時間続けても構いません。続けるほどに肋骨の広がる働きが身についます。立っていても座っていても、背筋を楽に伸ばしてやって下さい。
Eの息を止めておくというところに“息を調和させる”ということをするともっと素晴らしい呼吸法になります。また次回にお話ししましょう。
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