采佳のヨガしましょう

ヨガしましょう 2018

2018年12月号

 今年もカレンダーが最後の一枚になってしまいました。
これまでの過ぎた11枚の日々、時をどのように過ごして来たか振り返ってみていこうとしている最終月です。毎日が大切な日々であり、大事な今というこの時を、光り輝くアートマンの存在を覆い隠すことのない心と身体の使い方をしてきているのかを問うてみたいと思います。

 冥想で問うてみるのも一つ、冥想行法は、広く深く、あらゆるものの中から宇宙の真理を把握する行です。宇宙の真理が、自然の法則であり、自然法則の原則は自他ともに喜んで生きる、生かし合いです。
又、自然との一体感の中で小宇宙ともよばれる自身のアートマンを感じる訓練も一つかと思います。

 先日、長年の憧れが叶い、屋久島に行ってきました。 素晴らしい自然の中で感性は研ぎ澄まされ、生かされている喜びがひしと感じられる感覚になっていました。
最終日に行った神社では、すこーん と天が開いた感覚を受けました。

 真っ青に広がる空の果てしない高さの中に、アートマンとブラフマンの共振というか一体感、我ここにありという生かされている事の喜びがわなわな と心に広がり、本当に命が喜んでいるという感覚を持ちました。この清々しい喜びを分かち合いたいと思いました。

 年の瀬の気忙しい時ですが、気忙しいのは、トキの節目に何か新たなる変化を求める裡なる要求の現れと捉え、気を腹に落し、息のつかえを取って気分を安定させましょう。

 「頭寒足熱」は外部刺激で温めるだけではなく、呼吸で制御し、身体が勝手に「頭寒足熱」を手に入れるようにしましょう。冬は外部環境から身を守る保護体制に入っているので外からの刺激に強いのですが、骨盤の開閉力の弱い人は、肩や首に力を入れて無理に身を縮めようとして、重心が上がります。重心が上がると、頭が過敏になり、首が緊張し眼が乾き、腰が硬くなります。
 冬の養生は「眼の疲れを取る」「水をチビチビと飲む」「首を緩める」。
 冬場の水の摂取は、来る春に向けて瑞々しい身体を作るための必須条件です。

 因みに、屋久島の紀元杉は3000年、縄文杉は7200年も経っているという事ですが、本土の杉の寿命は500年くらいだそうです。屋久島は花崗岩が隆起した島で、栄養分が少なく水が豊富という環境が、この自然林の中での杉の寿命を永らえている要因だそうです。栄養過多は自然界でも、人間界でも同じことのようです。

2018年 11月号

 10月は「月の礼拝」を中心に動いていました。
 宇宙の一部分と言われる人の命の営みはハ(月)タ(太陽)と切り離せない巡りの中で生かされています。宇宙を司る 大いなるものへ感謝と、今日も生かされているという根本への感謝と使命感。イノチの働きを身体で感じて頂けたでしょうか?

 ポーズの順番に気が行って、それどころではない(笑い)方も、順番に囚われず、気持ちよく「小宇宙である人」として月を愛で、その満ち欠けが私たちの身体や心に影響しているという事を感じられるような一体感の中で身体と心を使っていけたら良いですね。

 秋の実りもこの陰と陽のバランスの中で生み出される有り難い現象物です。それをイノチの糧として頂き寒さに向かう体を養っていきましょう。

 宮津に大根の収穫に行った日は、オリオン座流星群が見られる日でした。直接流れ星を見ることはできませんでしたが空はきれいに晴れ渡り、星の数がとても多くて、感動的でした。空の様子を眺めて、心落ち着く、ホッとする、懐かしさを感じる。こんな感覚は自分の中の潜在意識に組み込まれた宇宙との一体感なのかもしれないと感じました。

 秋は感性が研ぎ澄まされる時です、沢山の心潤す体験を重ね、心の容積を広げていきたいですね。

 11月は身体が冷えの影響を最も感じる時期です。寒さに慣れない身体が順応するために頑張っているのですが、バランスを崩すと腰痛や、排泄系に問題が生じます。足湯や腰湯がバランスを整えるのに役立ちます。乾きの時期ですが、水分が不足すると皮膚と粘膜に影響が出ます、特に眼が最も影響を受けやすく眼が乾燥すると頭が疲れ首や肩が凝ってきます。さらに、鼻、喉、口、気管、胃などの粘膜系統が影響を受けます。皮膚がかゆいなども水不足の影響です。意識的に水分摂取を心がけましょう。流れが悪くなることで、脳梗塞なども起きやすい時期です。サラサラと、体液血液が流れる状態を作っておきましょう。

2018年 10月号

 殺人的な暑さのあとは、次々と自然災害が続いた今年の夏でした。 それでも季節は廻り秋の花たちが咲き、雲の様子も秋をつげています。

 そんな中、生徒さんが、「今年はツクツクボウシが泣かなかった」と話していました。言われてみると聞かなかったような気も。今年出てこれなかったツクツクボウシは、もう一年土の中で過ごすのか、息絶えてしまうのか?気になるところです。晩夏が無かったのですね。

 季節の変化を感じる暇もなく忙しいのかと云うとそうではなく、気持ちのゆとりがなかったかもしれません。これではいけないと、日を決めて京都の「東山魁夷展」行ってきました。2015年に生徒さんのお世話で、木曽路を歩き、その時に立ち寄った「東山魁夷館」その時から特に好きになった東山魁夷ですが、唐招提寺の襖絵も展示されていて、素晴らしいものでした。

 奈良のお寺の中で鑑賞出来たらどれ程素晴らしいか想像しました。
特に心惹かれたのは、「夕星」という作品。最後の作品になったという氏が90歳の作品でした。悟りともいえる波動が流れ出ているようで、感動の涙を誘います。

 芸術の秋と云いますが、五感が研ぎ澄まされ、感性が高まる秋だからこその「芸術の秋」なのでしょう。人間の身体の原理原則に即しているからこその心、息なのですね。

 心身息を整え、身も心も健康な状態を作りたいものですが、健康とは、病気がない状態ではありません。病気は気の流れが停滞から動きが出てきた現象で全身が一つに纏まろうとする働きで元気の現れです。

 健康とは、敏感さであり、感受性の高さです。身体のどこかが鈍くなると一方で過敏なところがでます。過敏は鈍さと相関しています。
身体はそれぞれに一つしかない唯一最高の自然芸術品です。それぞれに磨きをかける事ですね。

 朝夕の冷えが感じられるようになると身が捻じれながら締まってきます。ギューッと力を集めてポッと抜く回旋動などで緩めます。内腿、足裏(腎)足の内縁部(喉)、側腹などを整え冷えに向かう体つくりをします。

2018年 9月号

 暑過ぎた8月、ようやく今頃になって例年の夏の感じが戻ってきているような毎日ですが、空の様子は、少し秋の気配を含みだしてきました。

 個人指導のあと家を出た生徒さんがわざわざ戻ってきて「先生、空がとても綺麗です」と教えに来てくれました。出てみるとホント、素晴らしい。雲が作り出す芸術が其処に。
夕方の赤くなりかけた空にまだまだ青い空色と何とも面白い白い雲の絵が…。
 自然が作り出す現象や景色、自然物。人間の思惑が入らないから思いもかけないような美しさが生まれるのでしょう。
そしてその自然の織りなす景色を「わー素晴らしい!!」と喜びに満ちて、分かち合いたいと、戻ってくる彼女の心身の状態も私にとっては嬉しいものでした。

 子供の頃、嬉しい事、楽しい事は周りに触れ回り一緒に楽しんでよ、喜んでよ、と自分が開放されていた分、周りとの一体感を感じたものでした。いつの頃からか、自分と周りとは違うという境界線があることが当たり前になってしまいました。

 そのうちに、自分は自分、これは自分の考え、私はこう行動する。段々と自分の思考パターンが出来上がり、行動パターンが形作られ、そして固定化されてきているように感じます。周りの人にも「あの人はまた?この人はきっとこう言ってくるだろう」等々予測できる行動をとる人が増えたように思います。こちらの予測力が増したというよりは、相手が固まってきている現象だと思います。

 認知症の老人と話していると、一つの刺激に対する反応の過程が、何度でも同じ反応をします。従って、同じように驚き、出てくる言葉も同じという事が、時間をおいても全く同じです。これこそが思考の固定化です。

 昔、介護士さんから「老人はその人らしくなるというよりは 本質が濃くなるように思います」と聞いたことがあります。
 きっと、同じ生活の中で、姿勢や行動が固まり、思考が  固まり、呼吸が固まることで心の使い方も、感性も固定化してしまうのでしょう。

 身体の不調を気にし老化を避けたいという人は多いのですが、老化防止とは何かと考えれば、固まらない、身体にも心にも動きがある、生き生きしている、喜びに満ちている、 そこをクリアすれば、若々しくいられますね。

 喜びに満ちた身体と心の使い方は呼吸が作り出すのです。木村式NVYが 毎回提唱している呼吸法を是非マスターしてください。
声も、身体も心も、若々しさを保つために。

 朝夕が涼しくなってくる頃には身体が捻じれ骨盤が閉まってきます。気の流れが、外から裡へ向かいだしエネルギーの方向転換が始まります。それに伴い身体は身を引き締め余分なものを捨て乾燥し始めます。鼻水、鼻づまり、下痢、湿疹、足がつる、など汗の内向現象も起こります。足湯や首の温湿布などで整えましょう。胸椎5番(発汗)胸椎10番(腎臓)腰椎1番(皮膚)ここのねじれを正すことで秋の身体になっていきます。秋の早い時期の風邪はここを整えます。

この時期の調整点は脚の内股、側腹の伸展、腰の捻転、股関節の調整、足首の引き締め等。

2018年 8月号

 「考えてしんどい事は考えずにやる、考えてしんどい分が損」 娘とのメールのやり取りの中で、こんな返信が送られてきました。

 生活の中で、答えの解っていることに対しては「愚痴らず、やる」という事を意識化したいと思っている私です。考えても何も変わらないことの多い日常、「いま、ここで、自分の身の上で起こっていることに集中する」「いま、ここ」と冥想の心で過ごそうと思ってはいるのですが、唯一愚痴のメールを送れる相手が娘です。

 勿論、説教ぽくでもなく、諭しでもない、フツーに彼女なりの励ましでしたが、ふっと我に返りました。たぶんこれからも愚痴は娘に言う私ですが、昔の師匠が弟子たち3人に「一切愚痴を言うな」という修行の一環として難問を出しました。

 そのうちのひとり、師匠の奥さんが、肩首が凝り、調子を崩してしまいました。奥さんは師匠といつも同一行動の為抜け道がなく、気を緩めることが出来なかったのです。

 3か月で命令は解かれました。その後は、無駄に見えるお喋りやぐちも首を緩める(気を緩める)のに役立っている。と話のタネになってしまいましたが、そのことを思い出しながら私たちは概念に囚われて観念を固定化していることも多いことに、気がつきました。

 そんな矢先に、脳出血で左脳をやられ、数学的な事を考える部分を手術で取り去ってしまった、脳科学者の話をテレビで見ました。
右脳の働きが強まった彼女は、とても感情が豊かになり、全ての事が有り難く感じたと言います。唯々、生きている事の喜びを感じたそうです。

 言葉で作っていた自分が無くなり、全てに溶け込んでいる。境界線が無くなり液体になっている感覚を味わったと言います。彼女は「涅槃に入っていった感覚」と言いました。まさしく冥想状態そのものです。彼女にとっては記憶もすべて無くなっているのでまさしく「今」だけの中で生かされていたのです。

 冥想中に雑念がわいてくると、呼吸に集中することで雑念を取り払おうとするわけですが、雑念というのはほとんど過去の記憶か未来の想像でできている訳ですから、「今、ここ」だけに集中する訓練を続けていれば、過去の浮き出てくる記憶や、それに付随する感情も、未来に対する不安要素もみんな、要らない観念に囚われずに、イノチの働きが全てなのだと解るのでしょう。「生命即神」ヨガの神髄を感じる事が出来れば幸せです。

 「観念のフィルターを外して,すべては一つの連なりとしてあると見なすとき、神話的な詩情が降りてきた」写真家斎藤陽道さんの雲の写真に語られた詩の一説です。

 自分の力でどうこう出来ないイノチをあいてに、生かされているという事を認識し、その素晴らしさや偉大さを感じている感覚に触れるとき「ふわ~」と喜びに包まれる。これこそが命の喜びに共感する感覚なのでしょう。ただ有り難い。ただ嬉しい。ただ喜びに満ちている。こんな感覚で日々過ごす事が出来たら瞑想状態で生きられるという事ですね。素晴らしい事です。

8月の養生

気候異変で冷房を余儀なくされていますが、室内外の温度差で自律神経に大きなストレスが生じます。冷やし過ぎで汗をかけないと腎臓や膀胱、胃腸など内臓疾患までひきおこします。一日一度は、湯船につかり冷えをとるようにしましょう。足首を冷やさない。
呼吸を深く内呼吸を促進して血液を浄化しましょう。脚をよく動かし脚裏筋を伸ばし呼吸力を高めましょう。汗をよくかき、汗を内向させない。背中を冷やさない。


2018年 7月号

 「安心の安は家に女。母は、家に溶け込んでしまっている心で生きている。己を他の中に消す事が出来る心が神の姿の現れ。」

 「なんでも聞いてくれる。知っていて騙されてくれる。知っていて負けてくれる。勝手なことを言っても許してくれる。」

 「良き家庭とは、相手を傷つけ合わない(すなわち負かさない)家ではないか。」

 沖先生の著書の中にお母様を語った部分が有りその中に上記の事が書かれていました。
母親という立場で無くても、こんな心がけで人と接する事が出来るなら、そんな相手が多い程自身の心が平穏で居られるのでは無いかと、身近な人達との関係性を思い描いてみました。

 この人に勝ちたい?騙されたく無い?具体的にその人とどう関わりたいのか可視化することができると、改めて許し合える関係性に有る相手の大切さ、大事さが分かり、当たり前にも思える事を認識し直し、人間関係の拘りが解けていくようです。

 腹が立ったり、嫌な思いをする時の自分の中の感情がとても整理されやすくなりました。
「この人は絶対に譲らない人だから、負けておこう」と意識化すると、我を張る必要が無くなり、正否は結果がもたらす、その時期まで待てるようになりました。
お年の為せる術か、呼吸力の為せる術かはわかりませんが随分、腹力が付いたようにも感じます。

 しかし、呼吸というのは大事だと心底感じるのは、大事な関係性であるはずの人でもどうしても疲れてしまう共感しえない関係もあります。いい人なのに、親切な人なのに、騙しだまされもしないのに、でもこの関係性でなければ避けていたい相手。そうです呼吸が違うのです。お互い歩み寄れない呼吸に疲れてしまうのです。自分の呼吸に引っ張りこめるほど、叉は影響されない呼吸力を身につけたいと思いつつ、中々適いません。

 ヨガやNVSで「高らかに笑っている時の呼吸」を訓練しても、呼吸法としては出来ているつもりでも日常の中でどの場面でもそのような呼吸でいられるかというのはとても難しい事のようです。しかし、呼吸力は忍耐力、腰の力に関係し、同化力は腹の力、包容力は胸の力、意志力は背骨の弾力に関係しているとなれば、胸襟を開き、腹の力で受け止め、ゆったりと深い呼吸で相手と接するしか解決法は有りません。

7月の養生法

脚をよく使い汗を出し切る。汗を内向させない。深い呼吸。食事は少食をお勧めします。脚の裏筋肉、座骨周辺を呼吸器関連部位として伸ばし、可動性をつけておきましょう。


2018年 6月号

 今年は、3月から今まで3か月もの間、真夏のような暑さだったり急に寒かったり、例年の三寒四温で春を迎えるという感じとは少し季節の移ろい方が違っていたようです。
 春の花たちも気温が上がるのが早かったせいか早々と咲き、散ってしまいました。

 例年、宮津の山では5月に藤の花が、山々を乗っ取ってしまうがごとく紫色に染めてしまうのですが、今年は4月の20日過ぎぐらいにそんな状態でした。宮津の畑も今のところ順調に2週間おきぐらいで通えているので、山の花も色々な種類の花を楽しめています。

 アケビの花を初めてみて感激しました。雌花と雄花が一緒についている、薄紫の蝋細工のような花でしたよ。この歳になっても知らない事が多い事です。

 相方は運転中でも、道端の花と、きれいな女性には目が行くようで、普段、自分たちのマンションから20分弱で上がる山の畑へ行く道をこの季節は1時間もかけて花の写真を撮りながら上がります。花と出会うたびに急ブレーキをかけて止まるので、助手席の私は段々と車酔い状態で機嫌が悪くなります。それでも、その季節にしか会えない花たちと出会えるのは楽しい事です。

 自然の中にいると勝手に呼吸が深くなり、清々しい気分になれるのが嬉しい田舎暮らしです。思わず、空を見上げ星の多さや、月のきれいさ、澄んだ空気を肌で感じ、生命の喜びを認識します。そんな時は、身体の方も中心力が高まり、整った状態でいられると感じます。

 日常生活では仕方なく、不自然生活を余儀なくされていますが、自然の中に身を委ねているがごとくの呼吸を思い出し、そのような気分で暮らせるならば、心身を整えることが可能です。

 梅雨時、湿度が高くなると、体内の水循環が滞り皮膚呼吸が停滞するので、呼吸器の負担が増大します。呼吸器や肝臓が疲れ、泌尿器に負担がかかります。汗を充分に出し、排泄力を高めましょう。発汗作用は体温調整だけでなく、体液バランスを整え、疲労の回復、筋肉の緊張緩和作用などもあります。特に排泄系の中心である腰椎3番は、腸の中枢です。排泄力が整わないと膝がわるくなり、丹田の力が抜けます。丹田の力が抜けると鳩尾が硬くなり、首への血行が悪くなります。そうなると気分も緊張状態になり、頭痛や眩暈などの原因にもつながります。鳩尾を緩め首の緊張を取り、中心力をつけることが健康法です。

 同化、循環、排泄の三系のバランスが崩れやすい時期ですが、しっかり排泄力を高め、同化、循環がスムーズに行くよう整えていきましょう。

写真はアケビの花、黄色い小さい花はグミの花です。

アケビの花

2018年 5月号

 先日、「森友問題を考える」集会に行ってきました。
地元の問題として捉える人が多いせいか、1200~300人ぐらい集まり大きな集会でした。 問題点は多々あり、単に安倍夫妻の贈収賄ばかりではなく、教育問題、国会議員と役人の関係、政府高官と各省庁、三権分立、憲法問題全てが一色単に安倍政権の思うままに動かされているという事をパネラーの方々のお話を通じて 確信しました。

 パネラーとして元文部官僚の寺脇研氏と前川喜平氏が話されましたが、前川氏が名古屋市立中学校で講演したことを廻る「文科省問合せ問題」は「国家の教育支配」であり、戦前の間違いを正すべく、国家と教育は切り離されてきたことを根底から覆すことになるというお話をされていました。考えさせられることが多すぎて、なぜこのような状況にどんどん進んでしまったのかと取り返しがつかない思いを抱きました。

 国を変える一歩は教育からという事は誰もが認識している事であり、恐い事がもうそこまで来ている感が否めませんでした。
 危機感を抱く人が多くいても現実は何も変わらない不毛な現状にもそろそろめげてしまいそうな気分の春です。

 これほどネガティブな現状を与えられなければ、一人一人が本来の大事なことに気づけないという事でしょうか?

 全ての事柄は必要があって起こること。ヨガでは、「自業自得」と捉えますが、一人一人、何が大事なことなのかを認識し、大事なことを求める思いを強く持ち、その思いの結集こそが今必要だと感じます。

 其々の人が自分のイノチと向き合い生かされている意味を学びそのように生き、行動するときに始めて自分自身の生を全うする道を知る事が出来ると思いますが、その前に、政治や経済という社会に翻弄され命や、生き方を破壊され、流されてはならないのです。

 ヨガは自分自身の問題であり自分がどのように生きるのかを知るための哲学であり、政治や経済とは関係がないと捉える方々も多くおられます。 しかし、現実世界の波動の中で生き、生活している我々は、影響を受けずにはいられない訳で、いかに清く生きたいと願っても、社会に組み込まれ、流された中では、騙し、殺し殺されという事が有りうるという事です。ましてや、これから育つ子供たちの教育を権力に預けてしまう事は有ってはならないことです。
 そろそろ、ひとり一人が他人事としてきた政治や、社会のあり様を自分自身の生き方に照らしてみる必要があるのではないでしょうか。

 心身共に、生命力が高まり行動的になる季節です、広く、深く、より良く生きる方向性を定めていきたいと思います。
5月は消化器、呼吸器の働きが高まる時季です。体側線(胆経)を整え、胸筋を広げ呼吸器関係(脚裏筋、足首等)を整えます。

2018年 4月号

皆さんそれぞれに好きな季節や気候があるとおもいますが、「胸いっぱいに息を吸う」と思うときにイメージする季節はいつですか?場所は何処でしょう?気温や天気はどうでしょう。
 そんな場に身を置いていると気持ちが安まり自然に呼吸が深くなる。自分らしくいられる無理のない気の場が誰にでもあると思います。「今、ここ」自分のいる場がいつも自分らしく無理のない場であると思えるならとても幸せです。しかし日常生活では当たり前に呼吸し、今この場で生きている自分に疑問を持たず暮らしていますが、自然の中に身を置いたときに改めて気持ちのいい呼吸を感じることがあります。息をしていなかった?? そう思えるほど呼吸が深くなり気分が良くなる。内なる自然性が周りの気と同化し、自然と一体の呼吸をする事が出来た時、本来持っている内在エネルギーが発揮されるのでしょう。
春の日差しや、陽の気もまさに「生きる」「新生」というエネルギーが呼び起こされ、喜びに満たされた状態の呼吸が自然にできやすくなります。それは、身体が開き開放されるべく状態が身体の側から整うからです。
「心身息」全ては一つのものの現れです。
心の状態は、頭で作られることが多いのですが、このストレス社会といわれる現代では、頭が休むことなく働き、緊張状態を作り出しているために、骨格としての頭蓋骨も弛むべき時期である春が来ても弛めない人がいる。 結果、躁鬱症状が出たり、花粉症やアレルギー症状のように、緊張部分を弛めるための代替え症状が出たりします。
私たちは、頭、(思考)で色々な状態を作り出せますから、イメージ法や思考の変換等で、思い込みに癖づいた自分の頭をだまして使えば、「心身息」は変え得るのです。
ヨガでは、呼吸で身体の状態や心の状態を変えられると教えていますが、ただ呼吸法さえしていれば良いのではないのです。身体全部が影響を受ける、身体を変え得るような呼吸をするのです。そのためには、全身を使えるような完全呼吸ができる心身を作り、呼吸を整えるという事がとても大事です。 「心身息」全てが開放され生命力の最も高まる時期に改めて自分の呼吸と向き合ってみましょう。

 春は身体の水が入れ替わるといわれ、新陳代謝が盛んになり、排泄作用が高まります。
花粉症や、皮膚疾患、自家中毒なども起きやすい時期です。自家中毒は右足2,3指間を押し開き第2指裏をしごいておきます。皮膚病や顔に出る吹き出物は腹部第5調律点(肝臓部)を抑え集注し、手の第2調律点(合谷)をもみほぐす。

今月の動きは、腰、腕伸ばし、股関節や骨盤の開閉等、弾力をつける動きが中心です。

2018年 3月号

 オリンピックが終わりました。
 テレビをつけるとどのチャンネルも、オリンピック一色で選手たちの素晴らしい様子が映し出されていました。オリンピックまでの練習、訓練はどんなに大変だったかを思うとメダルを何個取れたと大騒ぎする様はいかにも身勝手な感覚に思えてしまいました。
 競技ですから、勝ち負けにこだわるのは当たり前と言われればその通りですが、順位はどうあれ、あの場で自分のすべてを出し切ることの素晴らしさが、人の心を打つのだという事が伝わりました。参加したすべての選手が素晴らしい。それを支えた関係者に敬意を表します。
 一部の競技を見ていて感じたことは「心身息」のバランスの取れている人の演技は呼吸の状態がこちらにも伝わり共有場が作られるという事でした。カーリング女子の試合でも、選手たちがとても落ち着いた呼吸で確実に、40mも先の置きたいところへストーンを送るさまはもう、神業でした。宮原選手のフィギュアも素晴らしい身体の使い方で、ゆとりある呼吸に感心しました。全力を出し切る心地よさが伝わり涙ぐんでしまいました。
 あまりたくさんの競技はみませんでしたが、とにかく最善を尽くす姿は美しいです。
 そして、最善を尽くしている時の身体の使い方は、呼吸は深くゆったりしていて、中心軸が整っているという事でした。

 春は気が上がり胸も開き開放的になる時期です。
生命の働きがより力強く発揮される時期です。
冬の間にため込んだ要らない思いや感情も、身体にため込んだ余分なものも全部捨て去り、新たなる命の働きを謳歌しましょう。
 新しい事を始めたくなる季節、意識を外向きに開放しましょう。
 しかし、我ここにありを忘れず、常にゆったり深い呼吸を意識し感じられる生活を心がけたいものです。心身の問題は呼吸が解決します。

2018年 2月号

 十年ぶりにインフルエンザにかかりました。病院へ行っていないので、検査はしていませんが、私が3日寝込んだ後、まったく同じ経過で木村が発病したので間違いなくインフルエンザだろうと、それから一週間は個人指導もクラスも全部お休み、ただ籠っていました。 強制的に休養をとらされたかたちです。
 今回の風邪で、身体のしたいように任せたことが回復をスムーズにしたように思います。食欲のない3日間は絶食。寝たい間は寝る。起きて食べだすのも、身体の欲求に任せ栄養がどうこうも、量も、関係なく食べたいように食べる。そんな生活のあと一週間がたち、最後の仕上げに針治療を受け気血の巡りを整えて今回の風邪は終了です。 風邪は自浄作用なので、治さず経過させる。 まさしくその通りにうまく経過させた感があり体の中がすっきりしました。賢い体の声を頭の判断で鈍らせることなく、経過できたことは良かったと思います。 が、情報過多の世の中では、不安感を煽る情報ばかりで、頭の先行する人は、タミフルを飲まなければ、脳炎、肺炎、心膜炎の危険から逃れられないような気になるのかもしれないと思いました。幸い我々には薬を飲むという発想がないので、咳が出たら、レンコンのすりおろしで粘膜を締めておこう。 もっと酷くなれば生姜湿布くらいの養生で何とか乗り切ろうという感じでした。

 長々と自分の風邪について書きましたが、身体の声に従う事の大切さをお伝えしたいと思いました。
 しかし身体の声を聴くには、日頃から自分の呼吸や気分と関係した身体の状態をしっかり把握しておかなければ、不安感をあおられてしまいます。

 2月は最も乾燥が進む時期です。体水分調整がうまくいかなければ、風邪症状や花粉症といった諸症状が出やすい時期です。水をチビチビとしみ込ませるように取り入れましょう。

 後頭骨、首が弛んでくる時期でもあります。後頭骨、肩甲骨、骨盤の連動を促し、緩め整えておきます。采佳ヨガでは、足首、手首、肩甲骨、股関節中心の動きになります。

2018年 1月号

 明けましておめでとうございます。
 今年の年賀状に「喜びに満ちて生きる」と書きました。
 此れこそがイノチの望み、そのために与えられた命だとも思うのです。 しかし、我々は与えられた命の使い方をいろいろ悩むわけです。
 どう生きるべきか、何か役に立つことをしなければと、そこに今の人たちの価値観に元づいた使命感を持ち込もうとするために、役に立つ命、役立たずの命、という区分けをしてしまい、何か素晴らしい事をしない人は生きている価値もないというような現代の価値観(合理的、理性的?)でくくられてしまうのです。太古の昔からいろいろな変化を遂げて人間として進化し生きて続いてきた命に、価値がある命無い命などという仕訳が必要でしょうか?
 ただ生きることが使命であり、喜び、分かち合い、子孫を残し脈々と続いてきた人間の進化の過程の今この時を生きている。
 ひとりひとりが一代限りの身体を使ってそれぞれの「生」を全うしようとしている。
 刹那の部分を生きるにもその命が喜びに満ち溢れて生きるならば、人は「喜びの存在」「光輝く存在」として続く命になるのではないかと思います。
 その人としての幸の姿は産まれた時に持っている「本能的な快感覚」と結びついて残され続くと考えます。

喜んで生きるためには、「心、身、息」(ヨガの三密)が  喜びの方向性を持っていなければ喜べません。(木村が言い続けている方向性です)
 何か欲しいものを手に入れた時の喜びのような一瞬の嬉しさを喜びと勘違いしがちですが、もちろんその嬉しさも喜びの一部ではありますが、本来の喜びは「生きている事の幸せに感謝し、内側から生きていて良かったと命が喜ぶ」ことこそが喜びの本質かと思います。
喜んでいる時の呼吸を思い出してください。そして喜んでいる時の身体の状態を思ってみて下さい。
素晴らしい景色や自然に触れた時、心打たれる芸術に触れた時私たちは思わず腕を広げ胸を広げたり、胸に手を当てたりしていませんか?
子供のころ嬉しい時、万歳をしながら飛び跳ねた経験がどなたにもあると思います。そんな姿勢こそが喜びの姿勢です。肋骨が高く上がり、胸が広がり、上に伸びる気が働き、飛び上がるための地面を押す力が同時に働いて作り出すバランスのとれた状態。 そしてその時の呼吸は上で広がって肚に収まっているのです。
 では、喜びに満ちて生きるためには、意識的にこの状態を(胸を高く、肋骨が広がり呼吸が安定し地に足がついている)身体と心から作り出してみてはどうでしょうか。
 そうです、この状態でいると感性が整い本来のあるべき状態を感じやすく、幸せの姿が解るのです。
 今年は、そこを目指しより良く生きる方向で共に進みたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

 一月は乾燥が進み粘膜系がダメージを受けます。水分摂取を工夫し、眼の温湿布を勧めます。頭が閉まる時期です、眼、首、上肢などの関連部位を緩めておきます。
 感覚が敏感になる時期ですから「内観運動」をお勧めします。自分の体感覚を感じ動かしたいように動かす。動かしたいだけ動く。

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