2016年 12月号
紅葉狩りに行きました。毎年、この時期にたくさんの人がその美しさを鑑賞するために紅葉を求めて動きます。「平和やな~」と思います。
ライトアップしている京都の有名なお寺では、一晩で2万人の人出だとか言います。
大変な時や、忙しすぎるときにはそんな気にもなれませんが、自然が織りなす季節の移り変わりをその美さと共に胸に刻みたいというのは、「諸行無常」を感じてのことなのかもしれません。
同じことの繰り返しにも見える日常ですが、今年一年を振り返ってみても社会の変化や、自分の生活においても、同じ日はないという事が感じられます。
日々選択しそれに基づいた行動を起こし、その結果が今この瞬間と意識すれば、選択の自由性と重要性が身に沁みます。今年もあっという間の一年だったと毎年、年の瀬には思いますが、日々自分が選んで過ごした時の流れです。「二河白道」欲におぼれず、怒りや恨みに焼かれる事の無い真っ白な道を行く自分でありたい。〝愛おしく大切な時の積み重ね″と思える日々を過ごすことがこの細い道を行くことかと。
篠山のお寺に紅葉を求めて行ったのですが、少し遅かったようで、一週間前が一番良かったという事でした。自然の移り変わりは待ってはくれませんものね。散った紅葉が敷き詰められた景色もまた格別で風情がありました。
身体が本格的に引き締まってくる時季です。裡なる力を蓄え内実を促す時です。息深く気を下げて自分の内側をじっくり観るには、骨盤の弾力性が大事です。
寒くなると体温の発散を防ぐために身を縮めます。身体の収縮力は骨盤力ですから、締める力の強い人は全身がまとまって引き締まりますが、骨盤力の弱い人は肩首に力を入れて無理に閉めようという体制になります。結果、重心が上がり、姿勢が崩れます。
この時期に首を冷やすと脳の血行異常を起こし眼、耳、喉、鼻にも影響します。屋外では、正面からの冷たい風は心臓に悪影響を及ぼすので、首や胸元を冷やさない注意が必要です。
粘膜系を整えるのに水をチビチビ取り入れましょう。
2016年 11月号
今頃は宮津の畑でとれたサツマイモを焼き芋にしているはずでした。
秋は収穫が楽しい、神社の秋祭りも収穫祭の意味が大きいですね。豊受の神さんだけではなく農耕民族の日本人には、収穫の時期には血が騒ぐという事があるのでしょうか。
所が、先日畑へ行ってガックリ、力が抜けました。サツマイモの葉っぱは残っていましたがお芋が一つもありません。以前はイノシシ君が食べたので、イノシシ除けはしっかりしています。今回は鹿が出没したようです。鹿なら、頑丈に張り巡らされた柵も簡単に飛び越えてしまえる訳で勝負ありでした。
相当ガックリきた割にはそれ程腹立たしくないのは何でかと思いましたが、只々諦めたというよりは、今年は山も餌がないのだから仕方がないという感じでした。
うちのお芋を食べた鹿は何とか生き延びられるかもしれないと思うと、人間の都合ばかりをまかりとおしてはいけない感が沸き上がりました。
住み分けの約束事を壊してきたのは人間です。
動物たちの棲み処の山を削って、風車だ、太陽光だと自然エネルギーのために国土の12.1%、4560000haが壊されようとしてきているのですから、仕方のない事です。農地の12%ではなく、国土の12.1%という恐ろしい事、これが、2013年11月22日に公布された「農漁村 再生可能エネルギー法」という亡国法です。
そんな勝手な人間の都合を動物たちに押し付けているのだから、我が家のお芋さんも諦めなければ仕方がないですね。動物たちも、日本という国の住人?なのですから。
ところで、寒くなってくるとさつま汁が美味しいですね。これが季節に合った感知力の技です。夏の間はたくさん取っていた水分ですが寒くなると水分の摂取量がぐんと減ります。そんなときに温かい汁物は身体を潤します。そしてミネラル分もたっぷり入っている汁物はこの時期の体に合う食べ物です。
水分が不足すると、血液は濃度を増して流れが悪くなり脳への血行も悪くなります。11月が最も脳溢血が多発する時期と言われています。
水分不足で体の渇きが起こると皮膚がかゆい、目が疲れる、鼻水など粘膜系に影響が出ます。頻尿や、尿の色が濃くなるのも水の不足です。流れを整える意味でも水分をしっかりとるようにしましょう。
体が冷えを感じると体熱を逃がさない為に皮膚が縮み骨盤が閉まってきます。いつも冷えを感じる人は骨盤の弾力が無いのです。足首を冷やさないようにしましょう。
足首の締りは骨盤の可動性と関係しています。痴呆症や膀胱異常は外踝が落ちることから始まります。
2016年 10月号
去年の今頃、北海道から母を連れてきて大阪の老人ホームに入ってもらいました。
母はパーキンソン病で、ベットから起き上がるにも筋力低下で人手が必要です。
たった一間のベットルームで一年間何を思い、どんな気持ちで過ごしているのかを思うと胸が痛みますが、今日も会いに行き話していると、「貴女にばかり苦労を掛けてすまない」と涙ぐむのです。
「何の苦労もしていません」と私が言うと「役に立たないで世話ばかりかけて」と母。こんな会話は年寄りや病人さんがおられる家ならどこでもきっとあることだろうと感じながらも、そう思わせていることが辛いと感じました。
世の中が功利主義になりすぎた結果、生産性のない人間は必要ない(価値がない)と思わせてしまう。本人にも周りにもそう思わせていることが悲しいとつくづく思います。
マザーテレサが「Home for the Dying(死を待つ人の家)」を作り、お世話をしながらおっしゃっている言葉に「私はいつも心の中に、死んでゆく人々の最後のまなざしを忘れていません。
この世で役立たずのように見えた人たちが、死の瞬間に“愛された”と感じながらこの世を去ることができるためならば何でもしたいと思っているのです。」本当に尊い言葉です。マザーテレサのように実践から生まれた尊い言葉はかけてあげられませんでしたが、生きてそばにいてくれることが有り難いことです。
「生命即神」です。沖ヨガの最も大事な教えです。今日も目覚めさせていただいたことに感謝し今日という奇跡のように与えられた日を丁寧に生きることがヨガなのです。「生きている」のではなく「生きる」ことがヨガ行ですね。
感性が最も研ぎ澄まされる季節です。自然界でも新たなイノチを生み出すための準備が進む季節(余談ですが子供が小さいころに飼っていた鈴虫が日に日にオスが減ってゆくのが実は怖かったです)、植物は結実し、紅葉が山々を飾り人の身体感覚の働きも高まります。
日ごろ不自然環境で暮らしている人は自然の中に入ることで「人の自然性」が高まり本来の力を引き出します。食だけではなく目も耳も皮膚も感覚を磨きましょう。それが健康法です。
調整点は足の内縁部、足裏、内股、側腹という腎の関係、身を引き締めていく準備です。
2016年 9月号
美味しいと思う時、気持ち良いと思う時、有難うと思う時、なにかにつけて元気に過ごせている日常に感謝する気持ちが生まれる。
この過ごし方、感じ方をしてこられた事への感謝心が生まれる。
ヨガをして来て本当に良かったと思う。
この小さな気づきの中に生命への信頼感があり、それが生命への認識度に繋がる。
色々な方々との出会いのチャンスが沢山あり、 仕組まれた出会いを感じることも密度がたかまっているように思えるのは、「生きとし生けるもの全てが共存共栄できる世界を目指す」という教えを大事にしてきたお陰かなと思う。
そんな日常の中に、突発的に問題が起こったら? もしも、心身に不調が生じたとしても、同じように有難いと思える自分で居られるのだろうか?
いやいや、その訓練をして来ている筈。
呼吸コントロールし自己コントロール能力はついている筈。
心と体と生活の自然性を知り、柔らかで強い心を持つ術を学んできた筈。
それがヨガで教える生命の働きであり、仕組みなのだから。
実りの秋を迎える暑かった夏の終わりに、暑かったお陰で実りが充実していることへの感謝をこめて、人生の後半(実りの時期)を迎えているからこそ感じる有り難いと思える感謝心の値打ちを思う。
朝夕の風に秋の気配が感じられるようになる頃、胃や腸の不調を訴える方が増えます。
これこそ体が教える汗の内向現象です。
寝違い、ぎっくり腰、足がつる、鼻水、のどの痛み等々汗の内向による不調は腰湯等で腎臓の負担を軽減させておきましょう。
今まで皮膚から排泄していた汗を出せなくなると、塩基バランスを取ろうとする働きで、風邪症状が出たり、軽く下痢気味になったりしますが、あまり心配のいらない状態です、軽く経過させ胸椎5,10、腰椎1番を整えておきます。
2016年 8月号
今日は母の入所している老人ホームで、「夏祭りをするので家族さんも参加してください」という事で行ってきました。
小学校2年生から大人までの太鼓のグループが演奏に来てくれ間近で太鼓の演奏を聞かせてもらいました。
太鼓の音と打つ姿勢を見ながらとても爽やかなものを感じ、何かなーと思いながら見ていて思ったことは、バチで太鼓を叩くのではなく、すっくと上にいっぱいに伸びたエネルギーがその手を振り下げたときに、太鼓に受け止めてもらっているようにまさに、「すっくと伸びて、ドーンと安心」という呼吸そのものだったのです。その安心の呼吸がドーンと音になり太鼓の響きになり我々の中心に働きかけ共振し素晴らしい一体感を作り出していました。
最初は小さい子供が一生懸命演奏してくれているという感じで見ていたのですが、子供たちの生命エネルギーがストレートに太鼓に当たりその力強さと、澄んだ波動に感動と感謝を覚えました。
太鼓は日本人の「肚」の文化に通じるものがあり、魂の振動を呼び起こすのかもしれません。
6月の初旬に宮津へ行った際にも、たまたま玉三郎プロデュース「鼓童」の太鼓の演奏会が丹後半島の網野町というところであるという事を知り、観に行きました。
身体作りから型に至るまでの練習のすごさを感じさせる素晴らしい太鼓の演技演奏は芸術としてすばらしく大満足でした。
しかし、今日の子供たちの演奏は、伸びるエネルギーがそのまま人の心に振動を与えるという素晴らしさがありました。生き生きと命のエネルギーを発動させる姿はどの人のエネルギーにも働きかける力を持っているのですね。
「この人といると元気が出る。この人といると楽しい」みんながそんな「この人」でいたいですね。
夏の一番の養生法は積極的に行動し汗をしっかり出すことです。
クーラーで冷えすぎた体は腎臓負担を起こします。
朝の足湯と後頭骨の温湿布で汗の内向を解消し、大腿裏筋肉を伸ばしておきます。
身体が重だるい時には熱めのお風呂にさっとつかり皮膚呼吸を促しましょう。
2016年 7月号
〝喜びにあふれた姿勢“
NVSで毎回言い続けられ、体現すべく「呼吸、身体、心」というヨガの三密を相手にいろいろなワークをし、声で呼吸を見るという事をしてきています。
この、「喜びにあふれた姿勢、喜びにあふれた心、喜びにあふれた呼吸」ひとつづつ見ていくとわかったような気にもなり、深く考えると難しいと思うのですが、
本来全ての生物が行っている「自分の生命を保持しそれを増やす機能」が当たり前に機能し「生物の本能」が全うされるときには、すべての生物が生き生きと生きていくことが生きる「目的」であるはずで、その目的が達成される姿が、喜びに満ち溢れた(生命エネルギーが満ちた)姿という事になるのでしょう。
よく例に挙げられるのが「子供の伸び伸びとした屈託のない姿」ですが、これが年を重ねるごとに崩れていくのは「知識という難物」が入ってくるからです。
あれが良い、これが良い、こうすべきだと、知識で色々な事をしようとして本来の備わっている「生の設計」に従わないからです。
頭で行う「選択」という作業が心を委縮させると、身体はその影響を受けます、身体の影響は、呼吸に現れます。
われわれ人間は欲深いものですから、良いといわれることをなんでも取り入れようともがくうちに、本来の目的を見失ってしまうという事があり、気が付けば心を病み、身体に影響し病気という形で「生命からの警告」を受けるという事になってしまいます。
しかし、警告の段階で本来の命の働きと向き合えば「病んでも健康」という状態を作ることができます。
94歳の義母が「胆石」の手術を受けました。診断前から食事を取ると痛むらしく勝手に食事を抜いていたようです。痩せてくることを心配した老人ホームの医者の検査結果で、息子に連絡が入り病院受信、手術という形になりましたが、術後二日で血液検査の結果が正常に戻り医者も驚く回復力です。
頭で考えれば94歳という高齢では、何か処置を受ければ、他の部分にも影響し相当体力が落ちるだろうという通常の予測を裏切ったようです。
まさに、「病んでも健康」という形がとれたのは母がジタバタせずに、お任せ(歳だから、少々のことは仕方ない、が口癖)痛ければ食べずにいるという事で無駄に体力を消耗しなかったからに違い無いと思います。
「イノチの働き」に逆らわず、イノチの声が聴ける状態を保ち、意識以前の「快い」を感じてその方向に動けば中心力が増し「生き生き喜べる体と心、呼吸」を手に入れることができるでしょう。
梅雨が明ければ本格的暑さの到来です。夏は水分補給と塩分調整をしながら汗をしっかり出し、その汗の処理をするという事が元気に過ごすための条件です。
食欲は出ないときは食べないのも選択肢です。座骨下の大腿裏筋(下肢第7調律点)をよく伸ばし、眠り、呼吸器の急所を整えておきましょう。
2016年 6月号
梅雨を迎える前から暑さが本格的な感じの今年の初夏です。
熊本では未だ仮設の入居が出来ない状況下で今も続く地震の揺れに怯えながらの生活をしておられる方々が大勢いらっしゃるようです。今年の田植えを諦めた農家さんも多いと聞きます。
自然の威力には太刀打ちできない私たちですが、自然災害が起こった時にそれに拍車をかけるような人災がなかったのか、山や崖が崩れやすくなるような状況を作り出していないのか。無理な開発などをしていなかったのか調べておかなければ、次への学びに繋がらないと思います。
被災された皆様が一日でも早くアタリマエの生活に戻れますよう祈るしか術がありません。
自然災害が起こる度に、自然法則に従わない生き方をしてしまっている我々人間への警告かとも思えてしまいます。度々の災害に心の痛みを覚えます。
20年前神戸の震災があった時に、「神」の「戸」が開いた。これから怒りをかうのか、許しを請うのかの分かれ道が始まると云った霊能者がいました。自然のバランスを崩さない生き方を、そして生活を正しなさいというお知らせのようにも思えました。
沖ヨガで教えられている誓いの言葉の中の「祈りの誓い」を紹介させて頂きます。
祈り行法の誓い
私たちは、生命は自然であり、自然とはバランスであり、バランスが道であることを自覚させて頂きました。
神とは生命であることを知りました。神の道に従うとは、自然法則に従う事であることを、自覚いたしました。
祈りとは、心と生活を結び付けることであります。今からの私は、意識的に自然法則、すなわちバランスの取れた生き方の工夫をいたします。
神を知った私は、一切の事を神の教えとして、学び行じさせて頂きます。
沖ヨガでは全ての行動を行法として捉え、行法の前には「誓い」を立てます。
誓いを立てるという事は、流されず、大事なことは何かということを常に、認識し、行動するという事を身に付けていく方法です。
梅雨時には特に「同化・循環・排泄」の三系のバランスをとることが健康の秘訣です。
私たちは何を食べれば体に良いか?どれだけ眠れば?どんなことをすれば健康になれるか?いつも、「入れる」ことばかりに注意を向けていますが、同化ばかりに気を取られていると循環がうまくいかなくなります。大事なのは「出す」ことです。身体に不要で不適なものを、出し切ることが、循環を整え、同化力を高めます。特にこの時期は汗を出し切ることが呼吸器の働きを高めます。
食欲が出ないときには循環が滞っているときと捉え、入れないことが体のためです。
腰椎3番は腸の中枢で排泄系の中心です。生殖器や、膝に関係します。排泄力が悪くなると膝が悪くなって丹田の力が抜けます。中心力を高め、三系のバランスをとり梅雨時を乗り切りましょう。
2016年 5月号
九州での地震被害が大変なことになっています。被災された方々に心からお見舞い申します。
いつどこででも起きる可能性のある地震国日本です。覚悟をしながら暮らすというのはどういう事なのか考えてみました。
いつ死んでもいいという覚悟とは少し違います。ライフラインが経たれ、この便利な生活が維持されなくなった時、命の危険にさらされている中で自分の心を、身体をどの方向へ引っ張っていく事が出来るかと云う事です。
気力を萎えさせず、そんな中でもポジティブ発想が出来る自分なのかと云う事を考えてみると私はあまり自信がありません。しかし実際には被災地の中で、一緒に被災した方々の世話をする方が必ずおられます。
身内を亡くされたりして打ちひしがれている方の力になろうとする方がどんな時にもおられます。人のなかにある裡なる神格が呼びさまされるようです。
神戸の震災の時に現地に入り、被災された方々の中でそんな思いを強く抱きました。それこそが、人として生かされている自分のイノチへの信頼を失わない方なのだと思います。人としての尊厳をどんな場合も失わない方は強いと思います。
そんな方と話していると、今日自分は家に帰って寝られる事が申し訳なく、雨風をしのぐ家があることの有難さをしみじみ感じたものでした。
覚悟というものの中にはあたり前に生活しているこの状態がどれ程、恵まれた状態であるのかを認識し、感謝できる心で暮らす事も一つでしょう。色々な状況をシュミレーションしておくことも必要でしょう。
たった一日電気も水も無い生活をしてみると必要なものが見えると云います。そんなこんなと考えると、放射能の危機は大きすぎます。この地震国に原発を置いておくことは何としてもリスクが高すぎます。
今回は稼働中の川内原発は異常なしと発表されていますが、本当に大丈夫なのか?信用できる仕組みには組み込まれていない原発産業です。何事も無い事を祈るしかないのです。
大変な状況下でも季節は生命力が一番高まる時期を向かえています。新緑の芽吹きのエネルギーを、生命力に満ちたエネルギーを、大変なところへも送りこみたいものです。
全てが影響し合って、生かし合っている地球の磁場が整い、穏やかな命の連鎖を促せるよう自身を調え祈りの波動を送りましょう。
呼吸器が開放される時期です。心臓、肝臓の機能が高まり排泄作用も高まります。リンパ系も活発化し代謝が促進されます。
心身の不要不適なものも出し切るような呼吸、心、身体の使い方をしましょう。鳩尾を弛め腹に力の入る状態をつくりましょう。
2016年 4月号
毎年毎年、寒暖の差が激しいと書いている4月号です。今年も月の始め頃に片付けたガスヒーターを又取り出して暖を取ったりしていた3月でした。
もともと三寒四温と云われているように春はさむい日があるものですが、その幅がどんどん大きくなって来ているようです。
それでも、イヌノフグリが咲き、こぶしの花が咲き、桜が咲き誇り、順番通りに春はやってきます。人の身体も、こんなにも変化の激しい気候にちゃんと順応してくれているのが、凄いと思いませんか?
気分が春らしく、ワクワク浮き立つ、新しい事を始めてみたくなる、身体の内側からの欲求です。
呼吸も深く、胸も広がる時期ですから、体内毒素を排泄できるほど深く強い呼吸をしてみましょう。
「木村式ヴォイストレーニング」を長く勉強させて頂いていますが、ようやく最近、「声ヨガ」として自分流に表現できるようになりました。
木村先生のように一人一人の声を確実に替えると云う事はまだまだですが、其々が呼吸法として自分の気の流れを認識できる処までは誘導出来ているように感じます。
気の流れが整うと声の幅と長さが変化するので、結果深い呼吸になり気持ちの良い体と心の変化がおこります。三密が調って作り出される場の気はとても心地よく、ポーズにも冥想にも入っていける状態が出来上がります。
気が上がりやすい春の陽の気の時には鳩尾を緩めることで腹が充実し、首が緩みます。呼吸力をつけ声を出すことで鳩尾を弛め、丹田に気を降ろし地に足をつけた状態を意識的に作りましょう。
肝が更新する時期です。冬の間にため込んだ脂肪を燃焼排泄させるチャンスです。葉物や、野草、山菜など毒素を排泄するものを摂りましょう。肩甲骨の可動性をつける。胸の開放、骨盤の開閉運動、等が今月の動きです。
2016年 3月号
東大寺の「お水取り」が済めば春。というように、関西では季語に使われるほどの節目の行事ですが、身体的には、頭蓋骨がゆるみ、開くという作業が1月末頃からすでに始まっています、春は上から下へ弛んでいきます。
頭蓋骨→肩甲骨→骨盤と開き上がっていく過程で、頭蓋骨が うまく開ききらなければ、思いの毒を捨てきれず、「春鬱」と私は呼んでいますが、無気力、閉塞感、虚無感に襲われる状態が一時起こります。
そこで深刻にならず、行動を起こしてみれば、意外と簡単に身も心も開き、すっきりと解決するのです。が、性のエネルギーが高まる時期だけに、 人間関係に反映させて捉えてしまいがちというのも「春鬱」的特徴です。
自分を縛っているものが、この関係性の中にあると思っているうちは解決のしようがありません。自分に起こることは自分のご縁の中での問題と捉えて行動すれば、まずは身体を整えてみれば、な~んだ、こんな事かと気づき自己解決の道が見えます。
身体に左右される心の状態。解っていても客観的に判断しにくいのも事実です。「そんな時期ね~」の一言で我に返り解決できる人が周りに多くなってきているのも、毎年毎年同じことを書いているお蔭かなという気がします。
先日木村の個人指導にいらした方も、呼吸器が開かず息が詰まっていましたが呼吸が整い声が開いたら、裡へ抱え込んでいた思いも発散でき、すっきりと解放されました。彼女も最初は、閉塞感を訴えていました。
彼が最近、会員さんと電話で話していて、ここでもやはり閉塞感を訴えているのだろうと感じたことがありました。そんなことから、改めて「春鬱」を取り上げてみました。
新しい事へのチャレンジの時期です。動物としての人間は性のエネルギーを色々な形の行動に変化させ進化してきました。もちろん出逢いの時期でもあります。どうぞ有効活用してください。全てのご縁を活かしあいましょう。
2016年 2月号
暖冬だった今年の冬ですが、とつぜんの異常寒波がやってきた22日、日本海方面に小旅行しました。
雪に覆われた山々を見ながら、久しぶりの雪景色に何かほっとする気分で落ち着きました。光の多さなのか、雪化粧した木々達の美しさなのか分かりませんが最近は山を見る時に、木が切り倒されて太陽光のパネルが張り巡らされている光景を気にしてしまう自分がいました。
そんな光景に心痛めていましたので、そんな物が見えない景色にタダ安心しているだけなのかもしれないとも思います。
「見えない、見せない、見ない」状態がどれ程怖い事かと思いますが、マスコミや政府はどんどんその方向性を強めている現状です。さる年にちなんで「見ざる、言わざる、聞かざる」が浸透しないように願います。
季節がずれているが如くの寒波でしたが、身体は春に向けての準備をしています。
後頭骨が開き、肩甲骨、骨盤と開いていく準備が始まっています。
手首、足首、肩甲骨、骨盤、股関節などを充分に緩め、身体全体の弾力をつけておくことが大事です。
呼吸器の開きが充分でないと、花粉症等の過敏反応が出ます。
肩甲骨の開きが悪いと心臓、肺、肝臓、眼、耳、歯、鼻などに影響が出ます。
骨盤の開きを阻害するのは眼や頭の疲労、足の冷え、食べ過ぎ、余分な気張りや気落ちなど筋肉の強張りです。
筋肉を弛める動きを入れていきます。反対に弛み過ぎると「春眠暁を憶えず」で眠くたまらない状態になります。
この時期には足首を整える動きや、股関節の可動性をつける動きで、骨盤の状態を整えます。
2016年 1月号
明けましておめでとうございます。
神様へのご挨拶に始まる新年。毎年神社に行列ができお参りも結構大変そうですが今年は何を願い、何に感謝してのお参りになりましたでしょうか?
神さん参りは何となく目出度い感じ、明るく開けた感じがします。今年も開けた運気を引き寄せましょう。
暮れに義父の一周忌を迎え初めてわが家にお仏壇を置きました。義父はお酒の好きな人でしたので、お酒をお供えしましたが、本来仏様にはお酒をお供えしてはいけないらしいですね。
神様にはお神酒を上げるのに、仏様はいけないのか?そんな会話の中で、宗教倫理というか宗教観の違いというか、神道と仏教について知りもしませんが「ハレとケとケガレ」について考えてみました。
お葬式となると「ハレ」と捉えるか、「ケガレ」と捉えるかで捉え方が分かれるらしいですが、お仏壇にお参りするという行為自体は日常の中での行為ですから「ケ」ととらえるのでしょうか。
民俗学の先生は「ハレ」と云うのは「非日常的な世界が設定され、中でも、ハレの場における酒は、味を楽しむためというよりも、酔う事によって異常心理を経験し、共同体を構成する人々が集団で共に酔って連帯感を深める事が目的であった」ということを云っています。
「神道でいう死の「穢れ」とは、死に至る病気や事故、その苦しみや、遺された人達が悲しみ嘆く状態の事を、気が枯れた状態=気枯れ=ケガレと解釈しているのであり、死そのものが穢れであるとか、死んだら穢れた存在になるとか、そういった意味ではありません」と書かれていました。
となると、お正月というのは完全に「ハレ」の日であるのだから、仏さんになった義父へのお酒はありですね。
そんな事に拘る必要もなく自分たちがしたいようにしたら良いのですけれど、初めてわが家にお仏壇と云う祈りの象徴的「物」が出来たので少し拘ってみました。
我々の「ケ」である日常的には、「生命即神」としての観念が身についているので、日々イノチへの祈りと生かさせて頂いている御恩に感謝の日々ではあります。今年も生かさせて頂いている御恩に報いる生活を心がけたいと思います。
毎年、ヨガしましょうの「季節の身体」は同じことを言い続けています。多分もうこの時期はこう云う事が起こって、こう対処すれば良いのね。と皆さまミミタコ?だとは思いますが、錐体外路に入るまで言い続けることに致しましょう。
寒さで、乾燥する時期は水分の摂り方が健康維持の大事なポイントになります。水は一気に取らず、ちびちびと細胞レベルまで浸透させるがごとく取り入れましょう。とくに露出する脳とまで言われる「眼」は粘膜ですから水分不足の影響が強くでます。
眼の温湿布で保護して下さい。身体を動かす時には特定の筋肉を機械的に動かすのではなく身体の内側に起こってくる感覚を感じる練習をし、それに従う「快」感覚に任せていく動きをしてみましょう。左右対称である必要はありません。
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