2013.03.12
心・体・呼吸、これをヨガの三密といいます。
私たちは心を使い、体を使って生きています。この心と体は別のモノのように見えて別モノではありません。でも私たちには別のモノのように見えます。
「私」とか「人間」というものを全体的に把握することができない私たちが、別な切り口から見たそれぞれが、「心」であり「体」なのです。
地上を這う生き物には人間の背の高さも高層ビルの高さも区別がつかないことでしょう。これと同じように私たちの頭脳にも、見えない、または把握することのできない事柄があります。
影絵を見てその映像の元が手であるということは教えられなければ分かりません。物事の「カタマリ」の外も中も色も味もすべてを一つのモノとした「それ」として把握をすることはできません。
味はこんな味で、色はこんな色で、形は・・・というように別な把握をまとめて把握したつもりになりますが、それが悪いわけではなく、頭脳の限界があるということです。たしかに物事の「カタマリ」そのものを把握することはできないけれど、それをスパッと二つに切り分けたその切り口を見ることはできています。それは3次元で生じている事象を2次元で見るというようなことですが、物事の本質そのものを把握できなくても、このような把握を増やすことでより本質に近い把握が可能になります。この観点に立てば、《心》と《体》というものが同じ《生命》というカタマリを別な切り口でみたそれぞれの側面を見ているという意味が解せるのではないでしょうか。
心は、体で使っているのと同じ血液、同じ神経を使って働いています。同じ食べ物で生かされ同じ酸素を吸って働いています。ですから、お互いが影響をしあうというような親戚関係ではなく、同じものとして扱うことが大切です。
そして、ここにもう一つ《呼吸》ということもこの《私》という《生命》の把握のために欠かせないことですが、この三つの切り口で見た「私の側面」を足すことで私という全体に近寄ることができます。
《私》という《生命》の表れは、《体》としての《私》であり、《心》としての《私》であり、《呼吸》としての《私》であり、そのどれでもあるのです。そして、現実に違うものとして見えるのだから、それぞれの面からアプローチをするのです。
でもそれが全く同じところ、たった一つのところに向かっての作業であるということを理解したうえでないと大きな間違いを犯してしまいます。
これがヨガの三密です。
この三つの面から自分を見つめ、自分のあるべき姿をイメージし、そしてそこに近づく方法を考え、それを実践します。
私たちは何もしていないのに病気になったり治ったり、いわれもなく苦しんだり喜んだりしていると思っています。そんな翻弄されている生活から抜け出すには、この三つの面のどこを変えていくことが必要なのかを自ら探し導くことが必要です。
これがヨガをするということです。
呼吸について
呼吸という言葉は息を吸ったり吐いたりということを意味しています。
辞書を見ると、物事を行う微妙なコツ。調子。要領。という意味も書かれていました。しかしヨガを含め心や体を意識して使う他の芸術や○○道といわれる芸道においては、吸う吐くだけではない別の意味がそこに含まれています。
調子という意味に近いかもしれませんが、呼吸が乱れるとか呼吸が調うというときには、体も心も一体のその人全体の状態を指しています。そして呼吸をつかむ、呼吸を会得する。という表現があり、呼吸をとても大切なものとしています。それは呼吸をコントロールすることが心と体のコントロールの鍵だからです。
呼吸は無意識にやっているが、意識的にすることもできる。無意識的にやっている時、呼吸は潜在意識の働きに支配されている。そしてその意識状態は呼吸の形として表れているし、心の状態、体の状態としても表れている。そこで、意識的に呼吸の形を変えると、それまでただ無意識に支配されていた意識の状態を変化させることになる。
このとき、心も体も変化するのです。呼吸をコントロールすれば心のコントロールができるということですし、これは体についても同じことが言えます。
また、体を変化させれば呼吸が変わり、心が変化すれば呼吸が変わるということでもあり、どこから入ってもこの三者を変えていくことができる。これがヨガの三密であり、ヨガをやっていくための大切なポイントです。
この記事へのコメントはありません。