沖先生の思い出

子どもの名前

初めての子どもが生まれた時のことです。

 そのとき28歳、まだ教室での指導などはせず、考えていることはヨガのこと、体のこと心のこと呼吸のこと、そして瞑想のこと、毎日毎日ヨガ一色で生きているような感じの生活を送っていました。

 そして沖先生の話の中によくあった言葉、子どもは神様から預かっているのだ、自分の都合の良いように育てるんじゃない! これが私の頭に心に染みついていました。

 その子がお腹にいるときから、断食をしたり瞑想をしながら、神様ならどんな風に育てるのだろう、どうすればいいのか、と色々よく考えたものでした。

 腹帯は本当に必要なのだろうか? 胎児はどのような食べ物を欲しているのだろうかなどと妊娠したとわかった時からその作業が始まりましたが、実際にその時になるまで、あれこれとあらかじめいくら考えても、「神様の・・・」はもうひとつピンときませんでしたが、何かが起こって初めてどう行動するのかについて本気で考えることができるということがわかる事態が出産してすぐにやってきました。

 無事に、赤ちゃんとは思えないくらいすっきりときれいな顔をした女の子が生まれ、この子がどんなふうに育ってほしいのかを自分に問いかけ、僕の持ち物ではない、預かり物だ、僕の持ち物ではない、預かり物だ、と反復し、どう育てば一番幸せなのか・・・、神様ならどう考えるのか・・・、という思いをまずこの子の名前に反映しようと考えました。

 名前に使える漢字は決まっているので、その全てを印字して一つ一つの字を眺め、自分の思いと合致する字を選んでいき、数十の漢字にしぼり、それを読んだときの音を確かめ、それをまた眺めて組み合わせ、意味と音を確かめ、そして瞑想をして心を空っぽにして、と、ほぼ3日間ほとんど寝ないで決まった名前が水晶(みあき)という名前でした。

最初から水晶(すいしょう)を意識したわけではなく、サラサラと流れ、どのような形にもとらわれない「水」、そしてキラキラと光にあふれるさまを意味する「晶」という二つの漢字が気に入り、つなぐとたまたまスイショウになってしまったのです。

「ミアキ」は、母音が [i] [a] [i] で[o] [u] [e]が含まれず少々きついけれど明るい印象で音も気に入りました。

 よしこれでいくぞと墨を磨って書いたり両親に報告したりしていました。ところが、家内の実家にそのことを伝えたところ、予期しない反応が返ってきました。

「水晶」は「冷たい」「硬い」印象があるからよくない、「水」もよくない、水が入る、なんでも流れてしまう、というのです。まあ、言っていることの意味は理解しましたが、私としてはその印象を上回るよい印象、その時に私の考える人間として生きる最高の状態をイメージして選んだ名前だから、わざわざその悪いところを意識して無難な名前にしたいとは思わなかったので、「アドバイスの意味はわかりましたが、考えて考えて、考え抜いたこの名前で行きます。」と伝えました。

 さあ、それからが大変、家内の実家の母親が執拗にその名前はだめだと食い下がってきて、それを断ると今度は実家の親戚の男性を地方から呼び寄せ、その人に言わせてまでその命名を阻もうとするのです。あまりの反対行動に、ここまで反対するというのはやはりそこになにか大きな意味があるのだろうかと、とうとう自分の思いにも疑問を持つようになりました。

 いくら考えても神様の思いがそのまま分かるわけではない、この親がどれだけ神の意に沿った願いを持つことができるのかということが大切なのだ。どういわれようと、この子が僕の元に生れ出てきたこと言うことは、この子の持って生まれた運命で選びようのない事実なのだから、この親の責任で、この親の考えで名前を付けるのがいいのだ。という思いと、いやいや、これは自分のわがままなのかもしれない、という思いが交錯しどう判断すべきか、名前を考えるときよりもずっと長く考え思いあぐねていました。

 ちょうどそのとき沖先生が大阪に来られるということが分かったので、これは沖先生に相談をしてみようと思いました。いままで私は人にものを相談してきめるということをしたことがなかったのですが、この時ばかりはどうにも困っていたのです。

 私の車は先生にゆったりと乗っていただけるようないい車ではなかったのですが、運転手をさせてもらい、新大阪駅から会場までの話の中で、義母の考えと私の考えをそのままお話ししました。このときも即答では答えられませんでしたが、会場の控室で羽織袴に着替えをしておられる時に、「なあ木村、名前は親の願いだよ、いい名前じゃないか」、そして少し間を開けて、「普通の人にはわからないよ」とも言われました。

 沖先生に話す時に、「親の願い」という言葉は使わなかったのですが、私の思いを理解され、全面的に肯定してくださったので、私としては本当にホッとして、どんなに反対をされても自分の願いを込めたこの名前をつけようと心が落ち着いたことを今も憶えています。

 ゆっくりと親身になって考えてくださるやさしい先生だと強く感じました。その後3人、合計4人の子供が生まれましたが、みなその時点での、私が子供に強く願う思いを名前に乗せました。

 強化法や瞑想法の指導、講義、質疑応答、個人指導、個人面談、などなど、色々な顔を見せられますが、底に流れる思いは優しさにあふれておられました。

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