沖先生の思い出

感知力

 2012年11月号の《周平の沖ヨガ読本》に掲載した記事です。《沖先生の思い出》の内容なのでここにも転記しました。

 9月号(1)(→《周平の沖ヨガ読本(3》)では、「生命は神である」「生命は間違わない」「生命の教えに従いなさい」「生命の声である気分に聴いて生活をしなさい」という沖先生の言葉についてお話ししました。そして10月号の(2)(→《周平の沖ヨガ読本(4))》)では自律神経系が本来の正しい働きをとり戻すためには、今の体の働きの循環、そこにもし悪循環があるならそれを一度断ち切らなければ元の正常な働きをとり戻すことが難しいというお話をしました。そこで、判断力と意志力を使って悪循環を断ち切る切っ掛けを作るわけですが、その後の「生命の教えに従う」ということが出来なければせっかくの努力も徒労に終わります。

 生命の教えに従う、生命の声を聴くというのは実際に耳に聞こえるわけではありません。そんな能力のある方もおられるかもしれませんが、凡人にはできない相談です。ではどのように聞こえるのでしょうか? それは「感じる」ということです。この「感じる働きを高めよ」という沖先生の教えが大切です。

 ヨガを始めて10年も経たない30歳くらいの頃、それまで3日から10日位の断食は時折していましたが、ある時思い立って肉断ちをしてみようと思い立ち、結局3年間、鰹ダシさえ口に入らないよう、一切動物性のものを摂らず、小食生活をしました。外食ではコーヒー以外のものは一切摂りませんでした。食べ物の影響だけではないと思いますが、その頃に多くのことが分かるようになりました。啓示というほどの大それたものではないですが、色々起こることの神様の側からの感じ方というか、解釈が分かると思うようになりました。
 それってただの思い込みかもしれませんが・・・、でもその感じ方をしている時は心が満たされ頭が冴え、天にも昇るとてもいい気分でした。

 またこんなこともありました。これも同じ頃のことでしたが、《求道実行》と《ヒマラヤ聖者の生活探究》という本のことです。

 《求道実行》誌は、当初は《ヨガ》という題名で、昭和34年から刊行され、沖先生と弟子や会員の文章が掲載された月刊誌です。途中から《求道実行》という名前に変わり、沖ヨガ道場の会員には毎月送られ、沖先生が亡くなった後も刊行されていましたが、今は廃刊になっています。サイズはB6からA5程度に変わったりしましたが、薄い雑誌なのでいつも持ち歩き、電車やバスでよく読んでいました。

 この《求道実行》誌を読んでいると、不思議なことに、胸のあたりから温かいものがあふれ出てきて、体中そして心までが温かくなって天にも昇るようないい気持になるのです。どうしてだろう? といつも思っていたのですが、別のときに、霞が関書房からでている《ヒマラヤ聖者の生活探究》という本を読んでいて、全く同じように温かくなるという状態になったのです。

 この二つの本は違うタイプの内容で、《求道実行》は、こうすればこうなる、ああすればああなるというような感じで、心・体・呼吸のこと、そして生き方について、生活ヨガについて淡々と書かれています。

 一方《ヒマラヤ聖者の生活探究》はといえば、やはり生き方がテーマですが、著者が聖者たちと暮らしてその言葉や様子を記したという内容で、中にはテレパシーや瞬時に他の所に移動するテレポート、また暗闇の中でも体の周りから光が出てあたりを照らしているとか、常識から見れば荒唐無稽なことがいっぱい出てくるのです。どうしてこんなにタイプの違う本で同じことが起こるのだろうと不思議でなりませんでした。

 ある時、三島のヨガ道場での何日間かの修業の帰り、新幹線で大阪に出かけられる沖先生と同じ便になり、隣に座りました。先生はカバンを台にして、原稿の手直しをしておられ、私は隣で《ヒマラヤ聖者の生活探究》を読んでいましたが、そのうち例のごとく、体がポーッと温かくなってきたので、これは良い機会、先生に聞いてみようと思い、原稿を書いている手を止めていただき、起こっていることをお話ししました。

すると、答えは簡単。『それは、本当のことが書いてあるからだ』との一言。

 最初はヒマラヤ・・・の常識的でない記述も事実だといわれているのだろうかと思いましたが、考えてみるとそうではありませんでした。実際にあったかどうか、そんなことはどうでもいい、『生きるということの根本の捉え方について正しいことが書いてあるのだよ』ということを言って下さったのでした。そして後で、『それが分かるのが感知力の働きだ』とも言われました。

 このころは断食や動物性食品断ちをし、そしてとても小食にしていたので血液が浄化されやすい状態になっていたと思います。食事だけの問題ではありませんが、この血液浄化が感知力を高めるのでしょう。『小食・少眠・多動・多考』と、沖先生に教わった生活法の一つの結果として生じてきたことと思います。

 誰でも朝から晩まで何らかの感じ方をして生きているのですから、感じる働きを高めると言ってもどう高めるのかが問題です。生命の声を聴くことが出来るような高め方をするということですが、沖先生の教えに従えば『生命即神』ですから、生命の声を聴くということは神様の声を聴くのと同じことになります。

 多くの宗教の修業でも結果として血液がきれいになるような食事や生活をしています。血液が変われば感じ方も変わるということ、これをいくら頭で考えても分かりません。

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