道場生活ではお昼がメインの食事で、昼食後に長い休憩時間があるので、その時には少し昼寝をしたり考え事や書き物をすることができました。それ以外は部屋の中でやること屋外でやること、目まぐるしく朝から晩まで何かしているのですが、今まで自分が暮らしてきた世界から離れ、これまで義務であった日常の仕事や勉学をせず、西洋医学的栄養学からみれば栄養もカロリーも全く足らないかのように見える質素な食べ物を少量食べ、空腹をかかえ、金もうけや背伸びをする世界から離れ、自分を見つめ自然を見つめ、自分や周りが変化していくのを眺めて暮らす。
自分が主体で活動してきたのを、受け身の生活形態になり、でも、積極的に生きろとも言われる。
それではヨガ道場でやることを朝起きてから順にみていきましょう。
○早朝、大太鼓がドーンドーンと鳴って男女雑魚寝の大部屋で起床。
思い起こしてみると、道場では男も女も体操服のまま、せんべい布団に雑魚寝で寝て目ざめる。
みな頭はボサボサ、女性の化粧などどこの世界にあったのだろうと思える色香のない世界でした。
○洗顔をして、目覚めの誓い・読経行法。
(まず目覚めの誓い、般若心経をゆっくりと3回唱え、そのあと般若心経の意訳を読む。)
○次に清掃業法の誓いを唱和し、掃除の分担を決めて清掃行法。
○次に、山道を1時間くらい走るマラソン(ジョギング)行法。
ただし病気などで走れない人は散歩行法をする。
○走った先に滝があるときにはそこで滝に打たれる滝行法。
○道場に戻ったら水浴行法。
温まった後(走った後)は冬でも水浴で冷やす、冷やしたら温める、動いたら休む、休んだら動く、身体を使ったら頭を使う、取り入れたら出す、というように行法は常にバランスを取るように工夫されていた。
○少し休んで朝食(食事行法)の前に栄養摂取の誓いを唱和し、一杯の味噌汁をいただく。みそ汁の具には前日のご飯や麺の残りが浮いていることが多かった。
○そのあとは浄化行法。汗をかいたり排便促進体操など、排毒を促進する体操や呼吸法をやる。
起床からここまでは毎日ある程度パターン化されていましたが、ここから先は日によってまちまち、色々な行法が出てくる。
浄化行法・強化行法・食事行法・修正行法・冥想行法・笑いの行法・歌の行法・合気道行法・阿波踊り行法、その他にも道場にその時来られている専門家の方々の指導する、ダンス行法・生け花行法・拳法行法・棒術行法などなど、すべてを通じて道を求め、すべてを動禅として行いなさいと数多くの行法が行われていました。
また、突然真冬に下田の海に行って砂浜で強化法をし、海水浴をし、唇まで真っ青になってブルブルガタガタして、今度は温泉に行ってゆっくり温まる。
真冬の朝、まだ真っ暗な4時頃に起床の太鼓が鳴り、男はパンツ一枚! と号令がかかり、女性はどうしていたか覚えていないが、山裾に建っていた道場の前の小さな川(沢地川)に入って首までつかる。山の水はとても冷たいけれど水に入っていると身体がポカポカしてくる。
講義の内容は心のことが多かったが、突然沖先生が大声で怒鳴り始め、誰かがボカボカぶんなぐられ蹴飛ばされる。(これには深い意味が隠されていたようです)
強化法では沖先生が竹刀を振り回し、跳べ走れ、と強迫をされ追い掛け回されるし、笑いの行法では、笑わんか~と竹刀で脅される。冥想行法の時間といえども、竹刀で転がされたり飛び膝蹴りで突き飛ばされたりと、まあ普通の社会では考えられないことがどんどん起こり、その真っ只中に自分がいて、とても刺激的でした。
道場のプログラムは突然行法と言って、場当りのようにその場の状況で変化するバラエティに富んだものでしたが、私が道場に行き始めた頃は沖先生もまだ50前で、屋外での強化法でご自身が一緒に走ったり、運動会にも出てこられてあれこれ指図をされたりと、エネルギッシュで猛烈な迫力がありました。講義・質疑応答の話の時間も多かったのですが、だんだんにその時間が少なくなって晩年にはずいぶん雰囲気が変りました。最初の頃には、沢地の道場の建設途中のところがあり、大工仕事の手伝いをやったことも思い出します。
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