ナチュラル ヴォイス ヨガ

生命の求めている方向性

(2016.09.27のブログを転記しました)

 東京での計3日のセミナーを終え、昨日の夜帰ってきて、印象の濃いうちにちょっと書いておこうと思う。

 声は専門的にやればいくらでも深めていくことのできる課題だけれど、誰でも毎日使っているものだから、専門家でなくても、よりいい感じの声で話したり歌ったりできる方がいいと多くの人が思っていることだろう。

 声を良くしていくというのは単なる技術ではなく、神から与えられた体と心を、いかに本来持っている機能を生かすか、ということに尽きる。その機能が与えられているということは、それを生かす使い方をすることそのものが生命をよりよく生かしているということだ。

 専門家も素人もその意味では全く同じ指向性を持たなければならないはずだが、多くの場合、上達のために行う行動は、生命の持つ本来の機能を活かすという観点には立たず、社会の中で与えられる価値基準によって決められてしまう。

 スポーツ選手の記録達成についての説明ならだれもが分かりやすいだろう。
 トレーニングを重ねなければ記録アップは望めない。当たり前のことだ。しかしいくら科学的とか合理的とか言っても、生命の本来的な機能、即ち伸びのびと喜んで生きいきと行動するという基本的な機能を伸ばし高めるものでなければ、結局は体や心を壊すことになり、壊さないまでも傷めてしまう。

 良い記録を出しても体を傷めてしまう人たちがなんと多いことか。

 たしかに筋力アップや柔軟度が大切だろうし、種目別に筋力のバランスということも大切なことだろう。しかし、生命を活かすという観点から観れば、それらのトレーニング方法のコンセプトが、また、トレーニングをする本人の心の指向性が、喜んで生きいきとした方向を向いていなければならない。それが大前提である。

 この逆の方向性の心や体の使いかたこそが自分の能力アップを妨げているし、自分を傷める結果になっている。
 この話は特別なアスリートや専門家たちだけの話ではない。

 誰もが生きているという同じ土俵の中にいて、毎日どの一瞬も何かを目指して生きているけれど、この生きる作業の方向性が、生命が求めるものと食い違っていることが大きな問題だ。

 生命は伸び伸びしたがっているのに、背筋が緩んで伸びのびとは反対の方向性で生きる人のなんと多いことか。
 若い間はそれほど顕著ではないけれど、その方向性で毎日生きている人が、歳をとってだんだん背中が曲がってくる。

 生命は生き生き喜んでいたいのに、毎日不満だらけの呼吸と顔つきで生きる人もとても多い。
 その結果は呼吸が浅くなり、慢性酸素不足、自律神経失調の病気の巣窟に向かってしまう。
 これも若い時は親からもらった貯金(註*)で何とかなっていても、中年や高齢者になるにしたがって結果が出てくる。

 声でも同じことが言える。背骨を緩ませ頭の位置が狂ってくると声帯もその周りの筋肉も働きが悪くなってくる。その挙句が、声がかすれてきたりしわがれ声になるのだが、これも若い時には顕著には見えないけれど、多くの人が生命の求めるものとは逆行する道を着実に歩んでいる。

 若さを謳歌すれば年取ってからのことはあきらめるとでもいうのか。

 いやとんでもない、逆行していることそのものが、生命が本来持っている生き生きとした喜びを減らせている。若さ分の喜びを100%謳歌する生き方をしないからこそ、今の喜びが減るだけでなく、喜びを得て生きる能力を減退させ、それが歳と共にひどくなるのだ。今を100%生き切ることのできる人は、歳を取っても能力は衰えず、歳に見合った生き方の中でやはり100%の喜びを得て生きるに違いない。

 書き出すといくらでも長くなってしまう。
 声のことで少し観点を変えて見ると、専門家であろうが素人であろうが、声のいい人も悪い人も、すべての人にとって、まずは向く方向を正しくしない限り、その人にとってのより命を生かす、より喜びに満ちたいい声にはならないということだ。

 声は声帯から出るし呼吸には横隔膜が必要だけれど、それらを統合している生命そのものの働きの方向性を見ない限り本当の上達は望めないし、またどんなに若くても歳をとっていても、元気であっても病気であっても、自分がよりよく生きたいと思うならその方向性に従うしかない。

 ナチュラル ヴォイス ヨガの手法も、母音メソッドも調和呼吸法も、その大前提が基礎にある。
 その方向性を思い出すための手法としてうみだしたものだ。

 でも、原点を見失って、ただ機械的に筋肉を鍛えたり呼吸をスーハーするのなら、ナチュラル ヴォイス ヨガも、いやすべてのヨガも健康法も瞑想法も、何の価値もなくなってしまう。
 真底伸びのびと生きているなら、食べすぎにも運動不足にもならないだろう、メタボは無縁であって当然なのだ。

註*
(親からもらった貯金とは:生まれたときには悪習慣を全く持っていないが、誰もが歳と共にそれを徐々に身につける。その時期は貯金を取り崩して生きているようなもので、その取り崩し期間がまだ少なく貯金がまだ残っている若い時期は問題なく暮らせている。という意味)

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