2020/11/9 ブログに書いた内容ですが、ここにも転記します。
高校生のときに三島の道場に行き、沖先生に声をかけてもらった、という女性が呼吸法を学びたいと個人指導を受けに来られました。このホームページを見て私のことを知ったということでした。そこで、道場のことで何を書いていたかと久しぶりに【沖先生の思い出】の頁を読んでいて、懐かしく思い出したことがあったので懐古的ですが書いてみました。1970年のことです。
沖ヨガに入門 1 の時の最後の日の話です。
初めての道場生活は、それまで送ってきた生活とは全く違っていて、たったの2週間だったけれど、とんでもなく刺激的。気力にあふれていて、道場を出てすぐのバス停でゆっくりバスを待つ気にはなれず、自信に満ちた自分を味わいながら三島の駅まで歩きました。
とても気分が良く、人間が変わってしまったかのようでしたが、三島から新幹線にのって新大阪駅で降りたとき、これまでにはない自分の一面を実感しました。
駅まで彼女が車で迎えに来てくれることになっていたので、改札を出た構内の広いところで待っていました。
道場では玄米菜食、おやつなどなかったのですが、外に出れば何でも食べれると思った割には売店を見ても大して欲しいものもなく、ガムを買って噛みながら大きな柱を背に時間が来るまで立っていました。
待つ間、気が付くと全くと言っていいほど微動だにせず、ただ立っていて口だけを動かしている自分がいるという感じでした。 心がとても静かで気分が良く、待つ時間の焦りもなくただそこにいるという感じ。
何枚か追い足ししたガムの味がしなくなったので紙にくるんで丸め、隣の柱のところに置いてあったゴミ箱に向けて投げました。
10m以上離れたところのごみ箱、50年も前のことですから、今のように蓋はなく多分70~80センチの高さで、上部に20センチくらいの丸い穴の開いたゴミ箱です。
その穴に向かって何の躊躇もなくただ直球でピュッと投げ込んだのです。入るとか入らないとかの疑問なく、ただ捨てるために投げたら、斜めに開口しているその穴に吸い込まれるように入っていきました。
小学生のときも中学高校でも野球が嫌い、野球だけでなくウンチ(運動神経音痴)でスポーツ嫌い、体操の授業はほとんどサボり、野球の授業は見学しかしたことのない私が、素晴らしいストレートを投げこんだのです。
そばで私の行動を見ていたのか、若い女性のグループがそれを見てキャーッと声を出していました。
きっとすごいスポーツマンに見えたことでしょう。
投げた私もホーッ入った!とは思いましたが、心も顔も全く動かず、その時は”何でもできる”という自信に満ちた呼吸の状態だったと覚えています。
その状態がそのまま完全に自分のものになっていたら凄いことですが、そうはいきません。でも、これまでの生活の中で出来ないと思っていたことで、道場ではやれたことがたくさんありました。
これを思い出している今も、自分に縛られた自分を開放することが大切だと痛感します。
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