沖先生の思い出

沖ヨガに入門

初めての沖ヨガ道場 

 23歳のとき、昭和45年6月に初めて沖ヨガ道場の門をたたきました。

 それまで、インド人のヨギの書いた本を読み、ポーズや呼吸法を独習して、そこに書かれているポーズが上手?にできるようになっていました。エス・ディアン著「ヨガの心身強健法」という本でしたが、数年後に同じ出版社(白揚社)から出ている。沖正弘著の「ヨガによる健康の秘訣」と「ヨガによる病気の治し方」を読んでその内容に驚き、巻末に書かれている全国の連絡所のうちの一つ、当時の住まいから歩いても行けるくらいのところにあった西宮市の門田稔先生のお宅を訪ね、色々と話を伺ったところ、「お前みたいな理屈を言うやつは道場にいって体験してくるしかないな」と言われ、それなら善は急げと、すぐに静岡県の三島市沢地にある沖ヨガ道場にやってきて入門しました。

 道場は静岡県三島市の山のふもと、三島駅からバスに乗ってそう遠くないところの小さな川(沢地川)の流れのそばにありました。どんな人だろうと思う気持ちと、「ひとつ腕試し」のような気分も混ざっての期待に満ちた入門でした。

 結論から言うと、期待とは全く違う体験でしたが、道場生活も沖先生もとんでもなく強いインパクトで迫り、2週間の道場生活の10日目くらいでそれまでの価値観が180度変わり、その時から現在までの人生の方向を決めた大きな体験になりました。

 当初2ヶ月間の修業願いを出して入門したのですが、入って2~3日で()をあげるきつい修練の場でした。

 強化法や厳しい冥想法の指導で、階段の昇り降りが出来ないくらいの体中の筋肉痛、栄養失調になるだろうと思うくらいの少ない食事で耐えられない空腹。今までの生活とのあまりの違いに、こんなところにいても何も得るものはないだろうと、逃げ出したくなり、退場願いを出しましたが許可されません。そんなバカな話はあるものかと担当者にいくら食い下がっても全くダメなので、なんとか帰る許可をもらおうと、色々策を弄して帰る理由をこじつけるのですがやはり全く聞き入れられませんでした。

 沖先生の奥様の愛子先生にも別室に呼ばれ、先生の言われることに間違いはないから言うことを訊きなさいと諭されましたが、帰ることしか頭になくやはり納得できませんでした。入門時に受付に預けた財布も返してくれないので電車賃もありません。そんなバカなと腹を立てても三島から大阪まで飲まず食わずで歩いて帰るわけにもいかず、しかたなくズルズルと行法に参加していましたが、1週間ほど経ったある日の強化法の時間、とても不思議なことが起こりました。

 強化法は心身一如の積極心を養うハードな肉体訓練ですが、沖先生はいつものように竹刀を持ち、受講生や研修生を竹刀で叩き、跳べ!とか 早く行け!と大声で怒鳴っていました。

 今思えば先生の行動は、皆の気持ちを鼓舞して積極心を養うために叩いている、それもその人にとって必要なところを的確に叩いているのですが、それほど痛かったわけではありません。でもとても恐ろしいので、目立たないようにしようとか、先生の見ていないときに跳んでしまおう、などとできるだけ要領をかましてやっていました。

 この日も、1週間毎日やられてきたとおり、御多分に漏れず、私にも、「こらー木村~!」と竹刀が振り上げられました。

 これまでは、この竹刀が恐ろしくて、つい後ろに逃げ隠れしようとしていた私でしたが、なぜかこのとき、恐ろしいとか逃げようと思う気持ちがまったく湧かず、先生の振り上げた竹刀を頭に受けるため頭を下げて前に出していました。

 すると先生は竹刀を振り上げたまま口をアングリと開け、多分ほんの一瞬、私にはとても長い時間に感じられましたが、そのままの姿勢で私を見つめ、次に踵を反して他の受講生の所に行ってまた、「このやろ~」とやり出しました。

 何が起こったのか、なぜ怖くなかったのか、とても素直な気分でしたが、私の中に大きな変化が生じていました。そしてその2日後、「木村、もう帰れ」と沖先生にいわれ、2ヶ月の予定を2週間に縮めて帰宅したのです。

 帰る少し前の講義の時間に、「居心地が良い奴はもう帰れ、こんなところに居たって仕方無いんだ、だけど、居心地が悪いと思っている奴は返さん。」と話されていました。

 毎日の講義や質疑応答、そして全力で事に当たる強化法や瞑想法、そして小食少眠、陰陽交互のバランス刺戟、それらの総合的結果として、心身が調い、沖先生が著書に繰り返し書かれている心身統一と放下の状態が私の中で生じていたのです。

 結局、第1回目のヨガ道場修業生活はたったの2週間で終わりましたが、そのときに受けた心や体の変化は自分でも驚くほど大きく、全てに積極的になり、それ以降の人生の舵が大きく変わりました。

 私は道場に長期滞在して修業する、研修生や奉仕生の道は選びませんでしたが、その後もことあるごとに道場に通い、1泊・2泊とか1週間とかという短い単位で道場に来てはその生活を思い出し、先生の講義や質疑応答を聞き、強化法、そして他の所ではまず体験することのできない、沖先生独特の冥想法などをし、明け方近くまで研修生や他の修行生と話しをし、朝の5時には道場の前に流れる真冬の川で水浴をする、などという修行生活を楽しみました。

 あるとき沖先生に、「最近の道場は随分優しく緩やかになりましたね」とお話をしたら、「道場は変わらん、お前が変わったんだ。」と言われたことを思い出します。

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