自分らしく生きる生き方そのものが人を健康にする

NVY-intro42

ナチュラル ヴォイス ヨガ入門 42

 和気愛会 2017年8月号 (No.215)


前号で、「今から思えば苦しい10代を過ごした」と書いた。どれほど苦しかったか、そんなことを人と較べるすべはない。

それでも思い起こせば辛かったし、いまだに解決しない問題が山積みにある。 もちろん、若い頃に較べて多くのことが解決したし、今の自分に不満があるわけではない。 それでも、求めても求めても得られない、なかなかそこに到達できない事実と向かい合うとき、もう少し違った人生があったらと、ふと思うことはある。

10代の半ば、多分中学の2年生だった。学校のプール開きの日だったのだろう。遠目に皆が泳いでいるのが見えた。その時の状況はあまり覚えていないが、すでに水着に着かえていた僕は、喜び勇んでプールサイドの階段状の観覧席を駆け降り、そのまま格好をつけてジャンプし、直立不動の十字架のように膝を伸ばしたままプールに飛び込んだ。

どうして気づかなかったのだろう。 きっと暑い日だった。水を貯め始めたばかりのプールで皆がバシャバシャしていた。中学生では背の届かないプールだったから、助走で跳び上がった高さとプールの深さを加えると結構な高さから“ほとんど水のないプールの底”へ、膝をピンと伸ばしたまま着地した。

これまで水のある時に何度もやって来たことだ。
膝でショックを吸収せず全部背骨で受け、落ちた瞬間に衝撃が脳天に走った。体が崩れ落ち、しばらく呼吸ができなかった。苦しくて誰かにつかまろうとした私の手を、周りの級友たちはふざけていると思って振り払った。けれど、膝にも満たない深さの水で溺れはしなかった。

今から思えば大変な出来事だった。しかし、それ以降の姿勢や生活に多大な影響を与えたこの大事件が、自分にとっても家族の中でも、その後問題になった記憶がない。
そのことで医者に行ったこともないし、後々の検診などでも“怪我をしたことがないか”という問いかけも60歳近くになるまで一度もなかった。でも、今から思えば、その後次々と起こる心身のトラブルがこの事件に端を発していた。

父親は戦後の高度成長期火付け役世代ほとんど家には不在、一人っ子の母源病、そして当時としては最先端的学力偏重の、『灘高』— 『東大』 — 『一流企業』 という偏った価値観のレールに沿って着実に実現に向かっていたのが、この “怪我には見えない事故” を切っ掛けにしてすべてがガラガラと崩れていった。

仙椎に無理がかかり、腰椎、そして胸椎・頚椎とすべての背骨に無理が掛かっていった。
腰が歪み、胸椎の2番から6番、特に3・4・5はカシオペア座のように前後にも左右にもジグザグになった。学校の椅子で背中を伸ばして座ることができなかった。その上に、依頼心、生活の誤り、特に栄養過多の食事、知力偏重と、頭も体も本来の感性を失っていった。

高1頃から強度の貧血、肝臓の機能不全、ノイローゼと、心も身体も苦しむばかりで、当時としてはまだ珍しい登校拒否にもなり、神経科や内科の三つの大学病院に毎週通い、週三日は朝から夕方まで大病院の待合で過ごす日々だった。

高2の頃、日曜日にはキリスト教会に通い洗礼を受けたりしたけれど何も変わらなかった。とても苦しく、気力がなくなり、教会学校の子どもに、「お兄ちゃん幽霊みたい」と言われたことが頭にこびりついている。

2回目の高2の時、神経科に入院して3ヶ月隔離され、その後は母子共に毎週受けた神経科医のカウンセリングが効いたのか、少しずつ快方には向かっていた。 でも高校も大学もスムーズにはいかず、高校は転校を含めて二年遅れ、工学部志望が音大に変わり、大学には入ったが浪人や出席日数不足でまた二年遅れ、合計四年遅れてやっと音大を卒業した。

それでも、その間に色々な健康法やボディワークと出会い、大学に入ってすぐヨガに出会い、次に沖先生に出会ったことで、以降の心身の回復は速かった。

積極的な物事の捉え方や行動が身に付いてきたようにも思えたけれど、積極的行動と裏返しの心の奥の不安、優越感と裏返しの劣等感、自己中、などなど一筋縄ではいかない屈折した心には苦労させられたが、歳を経るにつれて少しずつ扱いやすくなってきている。

でも今も、体についても心についても、「もっともっといい状態がある」、そして 「そこには究極の安心と喜びがある、そこに向かうのだ」という気持ちは、沖先生に出会い、ヴィヴェーカナンダ師の講演集に出会ってこのかた全く変わることがない。
そしてその思いが、その心の姿勢が、生活も体もそして背骨も少しずつ整えている。

60歳近くになって、人間ドックで検査を受けたとき、CTで下腹部を輪切りに撮った写真を見せられた。中学時代からの友人の医者が画像を見ながら、「木村、昔何か怪我をしたことがあるのか? トレーニングや使い方ではこんなことにはならんけどな~」と、同じ筋肉(大腰筋)の左右の太さが数倍も違うのを指摘してくれた。

その少し後、国清式の無塩食排毒の食事法を続けていて宮津の畑で毎日500gずつ体重が失われていったとき、それから後のしばらく、右の仙椎辺りから寝ていても起きていても、おもらししたかと思うほどパンツがズクズクになる異常な発汗が続き、その後に腰椎や胸椎の歪みが減る方向の大きな変化が起こったこと。 などなど、50代にはある程度気づいていたことだが、今まで表沙汰になったことのない“外傷なしの怪我” が心身の異常に深く関わり、それが良い身体の使い方や良い発声法の体得を妨げたりしていたことを、60歳近くになって確信を持った。

思えば、40年間、50年間と訳の分からない異常に苦しんできたものだ。
この苦労は、心のトレーニングとしては素晴らしいご縁だったけれど、『良い発声法を体得したい』 とそのことばかり考え、そのことに人生のほとんどのエネルギーを向けてきた人間にとっては酷なトレーニングではあった。

いったいどういうことなんだろう。 冤罪で何十年という年月を刑務所で過ごす人がいる。 障害や怪我など心身の問題で一生苦労する人もいる。この会報に連載で書いてくださった和歌山の平井謙次先生も大変な人生だった。中学2年の時に心臓弁膜症になり何度も手術をしたけれど、病気を持ったままで生涯を終えられた。もちろんその苦しみが 『もとこちら そのままぜんぶあたりまえ ただありがたくすみません』という究極の生き方を悟り、実践して生きるという人生を生み出す力になったのだろう。 まあ、この方たちと較べたらきっとそれほどのことではないけれど、僕もそれなりには大変だった。

けれどその大変さに逆らおうとするエネルギー、縮こまる働きに対して伸びようとする働き、萎む働きに対して膨らみ拡がろうとする力、諦めてしまいそうになる心に対して「諦めるものか、何が何でも手に入れるんだ」という意志、そんな力を持つことができた。 言葉にするとちょっと大げさだけれど、いつも伸びようとする心が今も強く働いている。

そのエネルギーは沖先生やヴィヴェーカナンダ師そしてアイアンガー師が下さったものだけではなく、いわゆる恵まれない心身の状態がそれを求めさせてきた。 おかげで歳を取っても退屈しようのない課題が山積みでいつも面白く暮らしている。 だから、『恵まれない方々こそが選ばれた存在である』ということを自覚すれば、この先の人生は常に成長であり、喜びの獲得であるということが確信できる。

物事に悪い面があるのなら、必ず良い面もある。 両面を同じレベルで捉えるこの解釈が、起こる全てのことに適用出来るようになれば、“すべて よし”の全肯定の心で生きることが出来るだろう。 もがき苦しむ人生を与えられた人は誰でもそのチャンスをもらっている。

しかし誰もがそのような成長ができるかというとそうはいかない。 ただ、そうなりたいと願うだけではそうなれない。 なぜそうなれないのか原因を見つけ、それに対処しなければならない。

ここでヨガの科学性合理性がモノを言う。それが自己教育力であり、その力を養う以外に方法はない。 ところが身についた癖に支配されているからこそ今の状態、今の問題があるのだから、ヨガの示す目的に一歩でも近づくためにはその支配を打ち破らなければならない。

そこでこれが一番難しいのだが、身についた癖から逃れることがどうしても必要になる。
ところが、一度身についたもの、即ち、身体の使い方、呼吸の在り方、心の癖 等々のすべて神経に記憶された回路は、どんなことであれなくなることはない。

どんなに清い心になりたいと願っても、汚い心が消えて無くなるわけではない。体の使い方、心が思ってしまうこと、そして記憶、どんなことであれ一度身に付いたら、そこを司る脳が壊死でもしない限り無くならない。 それなら、心を変えて受け取り方が変わり生き方が変わるということには全く希望を持つことはできないのか。

いやとんでもない、ヨガはそのことこそを教えている。 嫌な心を消し去るのではなく、別な回路を作るというやり方をするのだ。 反対の心の回路を新たに作るのだ。 汚い嫌な心の反対の心を養って中和するのだ。

反対の考え方をし、そのように行動するという新たな回路を作り、それを強化し、今まで持っていた心と同等かそれ以上に強くなれば、それが心が変わったということだ。 そうすれば、どちらの心を持つ人のことも分かるようになり、どうすれば解決できるのかも分かるようになる。

動かなくなった身体のリハビリと同じように訓練するのだ。それがヨガの教えるバランスを取るということであり、お釈迦様がいわれた中道というのもきっとこのことなのだろう。

僕のように自己中心、身勝手な心を養ってきた人間は大変だ。 そう簡単ではない。でも毎日毎日そのことを思い実践すれば確かに変わる。 50年間そのようにやってきて変化は大きい。

さてそれでは、このようにして自己教育をしたらそれが最終なのだろうか? いやそうではない。体も心もあくまで私たちが生きるための道具であり、きれいであればそれだけ気持ちよく暮らしやすい。 そしてそのきれいな心は身体にブレーキをかけず広く深い呼吸を妨げない。

それが生命の本来の姿と出会うための必須の条件なのだ。 そして沖先生の言われたこともまさにこのことなのだ。



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