自分らしく生きる生き方そのものが人を健康にする

NVY-intro30

ナチュラル ヴォイス ヨガ入門 30

 和気愛会 2016年8月号 (No.203)

 最近、<沖ヨガ>や<声ヨガ>というキーワードでNet検索すると、<ナチュラル ヴォイス ヨガ(NVY)>のホームページや、 日経ヘルスに掲載された声ヨガの記事が結構上位でヒットするようになりました。

 そのおかげでNVYのホームページを訪れる方が増え、遠くからもセミナーや個人指導に来られる方がおられます。そして、声の変化、それと同時に生じている呼吸や心の変化を感じ取り、それを追及したいと考える方も少しずつ増えてきています。

 その方たちが生命に根差した自分の声を見つけることを通じ、安心と喜びの心を見つけ、生命への全幅の信頼をおいた生き方を見つける。そしてその方たちがまたそれを伝える。そうした生命を生かす生き方を基準に置く人が増えていく。また題材を声に限らないでも、本来のヨガや宗教を通じて生きる喜びの本質を見つけようとする方が私のまわりに増えてくることが私の願いです。そうして、豊かな心と生き方を求める同じ方向を向いて共に歩みたいと思います。

 レッスンやセミナーで味わった声の変化が単に声だけの問題ではなく、自分の根本のところでの変化であるに違いないと理解し、それを追及する方やグループがおられることは私にとって最大の喜びです。 しかし残念なことに、多くの人にとっては、少し日が経ち体験した感覚が薄れると、そこにあった快さを求める要求も一緒に薄れてしまうように見えます。 

 これが声でなくても体操や呼吸法であっても、生命の側からやってくる自分の中にあるその快さを、柳の下ではなく、ここにあるのだと確実に見つけ、そして実践して養う以外自分のものにすることができません。

 確かに、セミナーの時には多くの方が、なるほどそうだそうだと納得し、体も気分も声も結構変化をしている。 今までと違う『新しい感覚の声』が、『新しい場所』や『新しい通り道』から出ている。そして『とても気持ちがいい』という感想を持たれる方がほとんどです。

 「よかったと言わなくっちゃ」というお世辞ではなく、多くの方がその感覚を実際に体験していると思います。

 頭に記憶として留めることのできない曖昧な感覚、何がどうなって感じたのかはわからないけれど、少なくともその時は、自分の体や心、そして呼吸を使ってやった結果として いい気分の感覚が生じたということです。

 それが本人の意図であれ手伝った人の意図であれ、自分の体の使い方を変えたことによって生じたことなのだから、自分の意思次第で再現したり、自己化したりすることができるはずのことなのです。 そして、このいい気分を自分で再現できるところまで、体の使い方や呼吸のあり方を覚えましょうというのが私の提唱していることです。

 そしてそこで体験する個々のメソッドでの『気持ちのいい声』の底に流れているもの、それは人間としての究極の喜びを追及する生き方、即ちヨガが提唱する生き方を示唆しています。

 レッスンやセミナーの時に出てきた普段と違う声が意味するものは、ただ少しいい声が出たというのではなく、心が解放され、呼吸が調い、喜びにあふれた生き方へのアプローチであり、これこそが私たちに与えられた生を十分に活かし、最高の生きがいを生む方法のひとつであるということに気づいていただきたいと思います。

  沖先生からは「生命(イノチ)が神だ、生命はウソをつかない」と、ヴィヴェーカナンダからは「生命は至福そのもの」と教えていただき、そこで声の良い出し方を研究することがその体験と理解を助けてくれています。

 心を心で変えようとしないで無意識の領域から変化するやりかた、そのためにこそ呼吸に目を向けるということが声を通すことでよくわかります。

 きらめくような才能を持ち合わせていなかったから、やっとここまで来るのに50年、「あと何十年か生きて、もっともっと研究しなさい」といわれているように思えます。

気を引上げる

 さて、それではその感覚を生み出すための具体的な呼吸の話をしましょう。 

 息の吸い始めのきっかけが重要です。横隔膜が起点に穏やかに流れ込んでくる。自分が息を吸いに行くのではなく、息の方からやってくる。

 そのためには吐く息のときに肋骨を萎ませるのではなく、背骨が肋骨を引上げたまま十分に吐く。そうすれば、吐くことをやめることにより、息の方から流れ込んでくる。

 伸び続けながら吐かなければ息は下向きに入ってこない、即ち、息の容れ物が広がろうとしていれば、息を吸い込まなくても、吐く力を抜けば入ってくる。

 下向きに入ってくる息に意識を向けるだけでいい。そして、伸び広がろうとしている肋骨に対して吐こうとするなら、吐くための努力が必要になる。沖先生はこれを、「吐く息に力を込めろ」と簡潔に表現されました。

 体が伸び、肋骨が広がりながら吐くときには、大きく分けて二つの働きで吐いている。

 まず一つは、背筋(セスジ、以降すべてセスジと読みます)が伸びることで広がる肋骨に対して、肋骨を絞る働きです。

 このとき肋骨の作る「呼吸の枠組み」の内容積は小さくなるが、吐くことをやめたときには枠組みが元の大きさに戻ろうとすることで息が入ってくる。この前提になっている、肋骨の広がる働きを生み出しているのは背筋を伸ばす作業です。

 このときの、肋骨の枠組みが小さくなるというのは、背筋が緩んで肋骨が萎むのとは全く違う。背筋が伸びる働きは肋骨を引上げ広げるが、その働きに拮抗して吐くということです。

 もう一つの働き、それは、お腹や腰や骨盤底の筋肉がお腹の臓器を押し上げて肺の内容積を減らすということです。

 これは気を引上げる働きであり、元気や若さのエネルギーそのものであり、子供たちがキャッキャッと飛び跳ねているのと同じ働きである。

 全身を使って行う深い呼吸はこの二つの働きがあって成り立つ。

 吐くための力を抜き息を解放すると、肋骨の枠組みは元に広がり、内臓も元の位置に戻り、肺の容積が広がり息が元に戻ってくると感じられる。

 戻る息は体の最下部から水位が上がってくるように満たされる。肛門や骨盤低の筋肉が気を上げる方向に働き、降りてくる息を受け止めるように働くことでこのように感じられる。そして、もう一息深い呼吸を生むためには、その水位をもっと高くなるように吸い込むという作業が必要だが、これには決して力むことなく、やはり背筋を引上げ伸ばすことにより、もっと上部の空間に息が満たされる。

 このような感覚の深い呼吸ができるようになるためには、いつも呼吸に意識を向けている必要があるが、まずは吐く、そして吐いてから入れる(吸う)ことが大切。先に吸う意識の呼吸は吐く息の力が抜けてしまいやすい。

 これらのことがうまく働くためには、肛門を締め引き上げる、胸骨の先端を引上げる、肩を下げる、下腹を引く、立っているときなら足の親指に力のこもる姿勢をとるなどのいくつかの要所を押さえる意識が必要になる。そして、入ってきた息が全身に調和するようにしてはじめて、引き上げる気と下がる気のバランスがとれる。

 『息の調和』に関しては以前の会報に詳しく書いたが、また次の機会にもう一度説明をします。

 上向きの気は自律や解放、下向きの気は安心としてとらえることができる。片方だけがうまく働くということはない。両方、お互いの働きが他方の働きを生み出す力になる。

 上に偏れば焦りや頑張り、下に偏れば不活性や意気消沈になる。

 上は能動であり、下はおまかせである。その両方の働きの支点が身体の中心に一致する時、心身の安定感が生じる。これが丹田。

 但し、丹田が目的や焦点ではない。丹田は動作の過程に生じる感覚であり、先に丹田があって、そこを中心に動作するのではない。固定的な感覚ではなく、動作のために必要があって生じる感覚であり、力を掛けるための支点である。

 なにしろ私たちの心が解放されるには、重力に対して伸び続け、無意識のうちに体も呼吸も解放されていくということが不可欠の作業です。

 この実現のために、背筋の伸びる働きの高い人は吐く息の訓練から入ることができるが、背筋をうまく伸ばすことができない人はまずこの働きを色々な角度から高める必要があります。

 声楽の発声練習でのスタッカートの練習はこの働きを高めている。

 座っていても、歩いていても、話していても歌っていても、上に伸びる働きと下に伸びる働きが滞らず流れるように働いていることが大切。

 生きるということは重力に逆らうことだ。重力に負ければ死ぬしかない。老化の多くは、徐々に重力に負けていくことだ。重力に抗いながら重力に任せて生きる。パラドックスのようだが、それが出来る身体と心の使い方がある。それが心のジレンマの解消であり、身体に無理をかけない上手な使い方なのだ。

 この良い姿勢は、最小限の努力で無理なく身体を立てておくことです。前後左右上下の力のバランスが取れるような姿勢を見つけることが必要です。禅を志す人、歌や踊りの芸道を志す人、より良い生き方を志す人、誰にとっても、この姿勢を身につけ、安定の呼吸を見つけることが必須なのです。



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