自分らしく生きる生き方そのものが人を健康にする

NVY-intro22

ナチュラル ヴォイス ヨガ入門 22

(この記事は、印刷した会報ではナチュラル ヴォイス ヨガ入門 21となっていましたが、10月号がNo.21でしたから、正しくは11月の分はNo.22です。)

   2015年11月号 (No.194)

ジグソーパズル

 ヨガの八段階や十段階を見ていると、全体像を提示するジグソーパズルのように思える。
 最後の出来上がりをイメージしながら一つずつ一つずつ置いていく。多分これはこのあたりにくるのだろうと置いてみる。

 置くといってもそう簡単なことではない。たった一つをここかもしれないと思って置くということは、その仮定に従ってそんな体の使い方をしてみる、そこから生じる心の状態を観察する、そんなことを結論の出るまでやり続けるということだ。

それで初めて、そのピースの置く場所が合っていたか間違っていたかということがわかる。間違っていればツジツマが合わなくなる。そこで、今までやっていたことを捨てて別な新しいやり方をやってみる。そうして生活のすべてを見直しながら、一つずつ時間をかけてやっていくうちになんとなく、こんな感じかな? という全体像が見えてくる。

 ヨガの状態に至る道と全体像があり、自分と自分の進む路があり、その全体像の中で自分のいる位置が少しずつ分かってくる。その確信が次のピースを置いてみる勇気を与えてくれる。こんなことを思いながら、これが ヨガだと思える道を歩む。

 いわゆるヨガのポーズをチョットはするけれど、そんなに一生懸命にはしない。苦行もしないし、出家もしない。肉も食べるしお菓子も食べる、長期の断食もしない。やることは、世間でヨガと思われていることでもないし、山や森にこもるような仙人のようなヨガでもない。お金を手に入れたり使ったり、ごく普通に経済活動をし、毎日を誰とも変わらない生活をおくっている。

 それなら、自分にとってヨガをしていると思える基準はどこにあるのだろう。

 もちろん、食のバランスをとる、体の使い方のバランスを取る、生活のリズムができるだけ自然と調和できるようにする、などなど気を付けているところはたくさんある。でもそれは、人間が作った異常な環境の中で、生き物として少しでもあたりまえに生きようとする工夫でしかない。

人間はそれだけではどうしても足らない何かがある。悩み苦しむ存在なのだ。その解決のために人間はもがいている。そしてこれしかないだろうという結論を出して提案されているのがヨガなのだ。そしてそれは自分の中で自分が解決するしかないのだと、一人一人が歩むべきマップ、全体像を提示し、提案しているのだ。

これは人生をかけて試してみる価値があるのではないかと思って私はやっている。

 自分に訊き、自分をなだめながら、ちょっとでも自分のいうことをきく自分にしていきたいと生きること、そして自分のなかのジレンマがなくなり、なにをしても納得できる自分でいれること。私にとって、よい声を求めることも健康を求めることもすべてはそこにかかっている。

そして何か別なことをしてその状態を求めるのではなく。そのことそのものを実現しようとする。元気になりたければ元気をだし、喜びたければ喜ぶ。そうできるやり方を研究し工夫する。そして実践する。そしてこのやり方しかないと思えるこの道を、他の人にも伝え共に歩む。これが僕にとっての ヨガだ。

 簡単に書いたけれど、これがなかなかのものだ。 ヨガの八段階や十段階として提示されている初めの段階でしかないかもしれない。しかしそれを一つでもクリアーするということは全部の実現と同じことなのだ。方向が正しければ、的が外れていなければ、時間の問題なのだ。毎日精進していく、そして時が来れば実は熟れて落ちる。ジグソーパズルのように出来上がりが見えてくればこそ、その確信が持てるのだ。

 元気や喜びが、他から与えられる以外の方法を知らない人にとってはこんな話は全く無意味にみえるだろう。しかし、これがヨガの第一歩でありこの道しかない。

選ぶ道筋は無限にあるけれど行きつく先はここなのだとヨガは提示している。そして、元気や喜びを自ら生み出すことができる自由人になるには、体を意図的に使うことができるように、心も意図的に使うことができることを知って、自分の心をコントロールし、自分の意のままに道具として使うことに挑戦していかなければならないともいっている。

 心と体は一体のものだ。心身一如なのだ。体を意図して動かすことのできる人にとっては、無意識に生じている体の使い方と無意識に働いている心の使い方とは同じ方向を向いているということを知って、心からも体からも自分を害する好ましくない使い方を排除し、自分を活かすような使い方を教えていかなければならい。

そして、いま生きている一瞬の状態が人生であり、一瞬一瞬の積み重ねが、かけがいのない自分のすべてなのだ。その一瞬を自分が納得できる本来の生きる目的に沿った生き方や感じ方をしていないとしたら、自分の人生はいったい何なのか、何のために生きているのか。

ただつらさから逃れ、楽しさに浮かれ、空腹を満たし、糞をして寝るだけではないのか。

 多くの人が、そんな人生を送るまいと決意したことがきっとあるだろう。そのはずだけれど、歳と共にその熱意、意志、情熱は薄れ消えていないだろうか。



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