沖ヨガは他のヨガと何が違うか
沖ヨガを伝える
沖正弘師は1985年に66歳で他界されました。その後もしばらくは道場にいたスタッフたちで沖ヨガ研修の活動はされていましたが、1967年に建設された道場の建物も、その母体となった法人もなくなり、現在、沖ヨガを伝えるには、師の残された著書を除けば、師から学んだ人がその内容を伝えるしか方法がなくなってしまいました。
私は沖ヨガだけでなく、多くの方から学びを得ましたが23歳の時に沖ヨガ道場に入門したときに沖先生から得たことが一番強く影響し、私の生き方の基軸になりました。それ以来55年、自身のヨガ修行とヨガ指導の活動をしてきましたが、今も沖先生の影響の強さに我ながら驚きと感嘆を覚えます。
沖先生から学んだことは生きる根幹になる基本原則ばかりで、一つひとつのノウハウなどはほとんど習うことはありませんでした。それでも、自分の体験で自分の知識を得るという基本姿勢を学んだおかげで今も毎日のように気づきを得ることができ、喜びに溢れる生活をしています。
私もいつ召されるか分かりませんが、まだ20~30年は生きる可能性があるので、生きている間に師から学んだことを基にして私の生き方、私のヨガをもっと深く構築し、より生命を活かす生き方を求め、またそれを求める人たちに伝えていくつもりでいます。それは沖ヨガそのものではあり得ませんが、沖先生の啓発がなければ生まれることのなかった実践哲学の方法から生まれたヨガの一つの在り方です。
私の学んだ基本原則のところを伝えることが出来れば、それが私にできる沖先生の願いに対するご恩返しになると思い活動を続けています。元々「俺が死んだら沖ヨガはない」と沖先生自身が言われていたことですから、沖ヨガそのものを残そうとするのではなく、その基本姿勢と願いを引き継いで後進に伝えていきたいと思います。
沖ヨガをするとか行ずるということは、自分の体験したことだけが真の知識である、という大前提のもとに思考し行動を生み出すことです。沖ヨガには標準テキストのようなものもありませんから、これが沖ヨガですと書いたり語ったりすることはできません。
でも、沖先生が道場でされていたこと、講義で話されていたこと、本に書かれていること、それらをまとめることができればひょっとしたら、沖ヨガとは何か、何をするのか、何をすべきなのか、それらがおぼろげに見えてくるかもしれません。どのみち結論は出ませんが、沖ヨガの説明をここに記述しようとするのですから、私のわかる範囲で書いていきたいと思います。まずは道場でどんなことをしていたのか、思い出すことを書いてみます。
沖ヨガのエッセンス
いまでこそ私なりに、やっと自分の言葉でヨガを語れるようになりましたが、自分で自分を導けるよう引っ張ってくださったのは沖正弘先生の教えです。
私が初めてお会いしてから15~16年で亡くなられ、その後も、その倍以上の月日、私を導いて下さったのだと今つくづく思います。沖先生は色々なことを教えてくださいましたが、道場での講義を聴き、質疑応答を聴き、講演を聴き、本を読み、と、同じことを耳にタコができるほど聴いたせいでしょうか、そのエッセンスがしっかりと私の中に残っています。
ヨガは沙門系の密教だ。密教とは自分で体験して初めてわかる教えのことだ。
宗教とは人間が生きる根本の教えのことだ。
ヨガは、科学的、哲学的、宗教的に、総合的にやるんだ。
と、このことばだけでも、どれだけでも大きな根本的示唆であることか。
沖先生のようにエネルギッシュに全くの背水の陣で生きることは難しいですが、それでも私なりに本当のことを伝えたいと思い、これからもっともっと発信していきます。
そしてこんな話が分かる人に私が得たものを差し上げたいし、一緒に精進をしたいと思います。
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