沖ヨガ

沖ヨガ 嵐の時代

 このサイトのリニューアルをして、記事の載せ替えのためにチェックをしていると、色々手直しをしたくなります。
 2013.01.14 のblogに書いていたヨガ考という記事の続編を連載で会報に掲載していたので、2021/7/30、何回か分の記事をここに追加します。何かの折に目に触れて沖ヨガを行ずる人の目にとまり、人の性質に目を向けていただくきっかけにしていただきたいと思います。

 ヨガも人の行うものだから、正しく取り組まないととんでもない方向に向かっていく。例えばオーム真理教もヨガの団体でしたがとんでもない方向に進んでしまったように、正しい生き方を説く宗教団体自体が詐欺事件を起こしたり、社会問題を引き起こすというようなことが時々あります。沖ヨガにはそれほどの事態は生じませんでしたが、それでも、同じような時期に全国組織である二つの沖ヨガ団体が詐欺事件に巻き込まれたり、代表役員が法人を利用して自分の利益を得るというようなことが起こってしまいました。そのことを何回かのシリーズで会報(和気愛会)に掲載していたのでそれをここにまとめておきます。

2013.01.14

 1月4日のブログに書いたように、全国組織の現NPO沖ヨガ協会の前身の立ち上げから会を率いていた実質的な運営者吉川氏の他界によって関西連合会の指導兼運営の責任者がいなくなり、考え方の違いから自ら辞任した会に舞い戻らざるを得なくなりました。
 突然降って湧いたような世話役を戸惑いながらもやり、自分が行じるヨガ、それを伝えるヨガ、そしてそれを個人にではなく団体として伝えるヨガ、それぞれに別な観点が必要であると痛感するようになりました。

 この記事の読者にはこのNPO国際総合ヨガ協会やその前身時代に属しておられた方がたくさんおられますが、生かし合うことこそヨガのはずなのに、ここ十数年もめごとばかり起こしているこの団体はいったいなにをしているのだろうといぶかる方も多くおられることと思います。
 この際、関西連合会の新しい出発のためには、今までどんなことが起こっていたのか、自分の反省も含めてことを明らかにしておきたいと紙面をいただくことにし、会報の連載記事の「ヨガ考」1昨年7月からの記事をそのまま転記しました。

和気愛会2011年7月号

ヨガ考 1 

 沖ヨガの創始者、沖正弘先生が主催して1980年に開催され、各国から延べ8千人が参加した国際総合ヨガ世界大会は数年前からその準備が始まり、当時沖ヨガを世に広めようとしていた弟子たちや関係者を集め、参加者の受入れ団体として国際総合ヨガ日本協会が組織されました。

 この団体名は世界大会の開催のためにだけ作られたもので実際には全国の協会としての機能は何もしていませんでした。しかし、1985年に沖先生が亡くなられた後、このまま沖ヨガが廃れることがあってはいけないと多くの方が感じ、日本協会の下部組織として各地で連合会を組織し、ヨガの先生や関係者を集めた団体ができてきました。

 ヨガブームの追い風もあり、それなりに会として発展していきましたが、1995年オーム真理教の地下鉄サリン事件をきっかけに大きく流れが変わることになりました。特に関東では多くのヨガ教室が経営できなくなるほど一般がヨガを奇異の目で見るようになりました。今ではそのようなヨガへの印象は全く払拭されましたが、ヨガを伝え広めていこうとする人たちにとっては大きな試練であったと思います。

 一時期、求道実行会(沖ヨガ道場)の代表役員になった漆畑芳悠紀氏と鴻巣氏、そして現在道場を運営している役員側との間で、役員や代表権を争う裁判が始まりました。そして、宗教法人として機能しなくなっている沖ヨガ道場の代わりの機関として、1997に「沖ヨガ活動をすすめる会」が組織されましたが、時を同じくして任意団体の日本協会を嵐のように巻き込んで数年間にわたって多くの関係者の人間関係をずたずたにした、詐欺師の石井隆裕がしかけた「ほほえみは愛」詐欺事件が始まり、翌年にはその詐欺事件を加速させた珠数泰夫氏が石井隆裕の指示により、自身が会長であったこの日本協会とその下部団体の関西連合会から全国の多くの会員とともに突然脱退し、その時以来関西連合会はずっと問題を抱え続けてきました。

 その2年後には私も関西連合会の役員を辞任し、会員としても退会をしました。そしてその直後に、宗教法人としては勝訴して復活したものの民事裁判を漆畑氏と戦わなければならなくなった沖ヨガ道場の裁判を終結させるべく再出発する役員のメンバーになりました。

 沖先生が亡くなってこの(2011年)7月25日で26年経ちます。

25年前に関西連合会を作るメンバーの一人として参加し、11年前には沖ヨガ道場の役員になり、どちらの時も沖ヨガが広まるような良い会として育ってほしいという願いが強くあったのにそのことに十分な力を発揮できないまま来てしまったという思いが強くあります。このあたりの歴史を自分の反省とともに沖ヨガのメンバーにも伝えておきたいと思います。

 何かと色々な問題ばかりが起こるとんでもない会のように私も表現してきていますが、私もその中の一人であり、決して例外ではありません。このヨガの会が新しく出発するために私が力を出さなければならないのなら、まず私自身の垢を洗い流す必要があるように思えるのです。団体の中で働くということは大きな責任を持っている、ということの認識が今まで不足していたように思えます。

和気愛会2011年8月号

ヨガ考 2

 今回は私がヨガを教えるようになったきっかけをお話します。私にとっての、ヨガを伝えるということの原点になったことです。

 私がヨガを始めたのはまだ21~22歳の頃でした。若かったからか、学校にもあまり行かずヨガ漬けの生活をしたからか、始めてまもなく体が柔らかくなり、色々な難しいポーズもできるようになりました。そして呼吸法も面白くて色々やるうちに体がとても元気になったのです。幼少時からどちらかというと弱い子供として育ってきたのですが、始めた動機が声を良くするということで健康目的ではありませんでしたから、元気になったのは私にとっては副作用のようなもので、とても驚かされたものでした。

 1~2年の独習後、沖先生の本に出会い、腕試し気分で沖ヨガ道場に行ったのですが、青天の霹靂、2週間沖先生にしごかれたことで、私の価値観は180度ひっくり返り、周りからは別の人間になったのではないかと思われるくらい生活が変貌しました。そして家に帰ってからは、沖ヨガ -私にとっては、道場で学んだこと、沖先生の話や本の内容、断食など- をがむしゃらにやっていきました。寝ない、食べない、働き続ける、がその頃のスローガンでした。そして最初の4~5年はひたすら沖先生のテープレコーダーになって、口を開けば沖先生の言葉が口から出る熱狂的信者をやり、そのことに気付いてこれではいけないと、今度は沖先生の言葉を使わない訓練を4~5年やるうちに、私の中に「これは自分自身の体験で感じる私自身の言葉である」と思える確信が強く起こってきて、これを多くの人に伝えたいと思うようになりました。当時思っていたことはこんなことでした。

 人が健康になるのも幸せに生きることもすべて自分の身につけた能力次第なのだ。喜べる、感謝できる、そんな能力を自分の身につけることが必要だ。そしてそれを身につけるために、生きがいを持って生きるためにこそヨガで心身を調え、心と体の能力を高めることが必要なのだ、というようなことでした。

 30歳になった頃、ヴォイストレーナーと歌の先生をしていましたが、生徒にはヨガをさせ、ヨガの合宿セミナーも度々開いていました。このころにはヨガ教室も所々にできていて、自分もヨガ教室をやりたいと思うようになりました。内容はヨガだが体操教室とは違う「生きがい教室」という名前がいいかな?などと思っていました。

 そんなある時、沖先生が大阪に講演に来られたとき、講演会の始まる前に「ヨガ教室をさせてください」とお願いをしました。ご返事をいただかないまま講演が始まり、私は会場の一番後ろで聞いていたのですが、沖先生はいつものように体や心のことをお話しされていました。お話の一段落ついたところで突然、「木村っ!! ヨガはこういうことを教えるんだ、こういうことを伝えるんだ!!」…「こういう話ができなきゃだめなんだ、わかったかっ、木村っ!!」と、叫ぶような、とてもとても強い言葉で言われました。その瞬間、驚きと怖れ、そして何でしょう、与えられた責任の大きさや重さのためでしょうか、顔や頭から火を噴くのではないかと思うほどカーッと熱くなりました。本当のことを伝える意思のない、またはその能力のないヨガ教室が乱立しつつある状態に我慢ならないという心がそのままぶつけられたのでしょうか。

 ただそれだけのご返事でやってよいとも悪いとも一言もありません、でもどうやら許可が出たような感じなので、それ以来あちらこちらでヨガ教室を開き、合宿を催し、歌の生徒に個人的に伝えたり、カルチャースクールで教えたりしていました。それから10年近くたって父親の会社を引き継ぐために教室活動や経営はやめましたが、ずっと色々なところで指導を続けています。しかしこのときに沖先生に太く大きな釘を刺されたことは今も私の中で生き続け、私の原動力にもなっています。

 現在のヨガブームの火種を付けた沖先生ですし、健康のことも多く説かれました。しかしヨガはそれだけを相手にするのではありません。人間としてどう生きるかをヨガが教えており、また健康や成功、そして世界平和までそのなかに包含しているということをまず自分の心と体と生活に実現しつつ、それを世に伝える使命を私たちが担っているということを沖先生は説かれていたのです。

和気愛会2011年9月号

ヨガ考 3

 前号でお話しした、「ヨガは“こういうこと”を教えるんだ!!、伝えるんだ!!、わかったかっ、木村っ!!」と、沖先生の強く言われた“こういうこと”というのは一体何だったのでしょう?

 もちろん、それは今巷で流行っているヨガの内容ではありません。この沖先生とのやりとりは35年位前の話ですが、この頃も今も、世の中のヨガへの認識はさほど変わっていません。呼吸法や瞑想法、そのほかにも色々なヨガの手法が色々なところで当たり前に語られるようになっては来ました。しかし沖先生が言われたことは、手法ではありませんでした、難解な目的を説くこともありませんでした。誰もが納得できるような人生をどのようにとらえるのか、本来人間はどうあるべきなのか、要は生き方のその根本を説かれたのです。

 沖先生は生前、「俺が死んだら沖ヨガはない」といつもまた各地で言っておられました。ですから関係者の多くがこのことを意識し、「沖ヨガは沖先生だけのものだ、沖先生が亡くなったのだから道場は閉鎖しよう」、「いや沖先生の教えが立ち消えてはいけない、何としてでも沖ヨガという言葉と内容を残そう」、「いやいや、沖ヨガは言葉や教室活動などで伝えることはできない、沖先生の居られた沖ヨガ道場での生活こそが沖ヨガなのだ、道場の修行形態を復活させねばならない」などと、色々な意見がありました。

 計り知れない多くの方が道場や日本各地、そして外国で沖先生の影響を受けてこられたことでしょう。本当に素晴らしい教えを多く残されました。

 2000年に道場の役員に就任した時、裁判の状況をまだ十分には把握していない私は、これからはこの素晴らしい沖ヨガを残すための活動をするのだと、希望や責任の入り混じった心が弾むのを抑えることはできませんでした。

 しかし役員の仕事が始まってみるとそれどころではありません。まずは食うか食われるか、漆畑氏との民事裁判を戦い抜かなければならない。いや是が非でも勝たねばならない。多くの争点のその一つでも負ければたちまち道場にはお金がなくなり、その場で破綻するしかないという、そんな状況が長く続きました。それでも國清氏の頭脳戦略が功を奏したのか、それとも神が味方についたのか、お金が無くなりそうになってもうだめだとあきらめかけると、全く値打ちのなさそうな土地が突然とんでもなく高く売れたりしたのです。そのたびに少し生き延びたねとホッと胸をなでおろしていました。綱渡りの様ではありましたが一つひとつ乗り越えることができ、今も存続できることになったのです。これは神の助けではなく沖先生が助けて下さったという人もいるくらい不思議にうまく運んだのです。こんな状況でしたから、裁判を闘うのが主な仕事で、沖ヨガをどう残すのかとか、会員に何が必要かとかを考えても、役員会ではそれを実行するような余裕はほとんどありませんでした。

 でも役員になった時には一応裁判が終わったと思って役員に就任しましたから、裁判よりも沖ヨガのことを考えなければと思う役員は最初から気持ちにそぐわない活動をしていたのです。役員になって1年も経たない時期に、道場は復活したよ、ここにあり!と皆に知ってもらうためにセミナーを開こうと提案をしました。

 言い出しっぺの私がやることになりましたが、そんな経験の少ない役員が多く、また大阪からは私一人の役員であったので誰一人手伝いのない中で一人で考え、企画・案内をし、細部にいたるまで妻采佳の助力だけで実行しました。台湾勢をいれると100人くらい参加した全国セミナーを京都の山の中で開き、成功裏に終えることができましたが、セミナー前日に到着した北海道のメンバーがその実態に驚いて、献身的にお手伝いしてくださったことが忘れられません。2回目は長野で開かれましたがそれに続く活動は軌道には乗りませんでした。

 難関を乗り越えてきた道場が一通り裁判を終えたとき、さあこれからが本来の役員の仕事だ。永らく休んできた道場の機能を復活させよう、みんなで次のステップを考える場をつくろうと会員に呼びかけをしました。ところが、決して世の中はそんなに甘くはないと思い知らされたのです。

 笛吹けど雀踊らず。道場に思い入れの深い少数の方たちはいつも集まってくれるのですが、とても少数で全国の沖先生の薫陶を受けた多くの方たちは全く反応しないのです。何度もチャレンジをしましたが結果は変わらず、道場が主導で沖ヨガを継承し広めていくという役割は担えないということが明確になったのです。

 それは道場が信頼を失ってしまったということなのでしょう。どちらが悪いにせよ裁判などしていた道場はすでにヨガの教えから外れ、喧嘩をしていたに過ぎないように見えたのかもしれません。

和気愛会2011年10月号

ヨガ考 4

 最近のヨガブームはすごいものです。スポ-ツセンターやフィットネスクラブはどこもヨガの授業を入れ、短期養成のインストラクターもどんどん増えています。ヨガを多くの方に知ってほしいと思っていた私たちにとっては喜ばしいこと、と思いたいのですがそう簡単ではありません。これがヨガ?こんなやり方をするの? と、疑問と不安が入り乱れます。まず怪我をしないように、体を傷めないようにしてほしい、そしてヨガ本来の目的はどこに行ったんだろう、と思ってしまいます。

 健康のためにヨガをやって幸福になれるとは思われませんが、病気をしなければ、健康になれば幸福、痩せればラッキーみたいな感覚のもとに、サプリを飲んだり病院通いをするのと同じ価値観で多くの人がヨガをやる。

 何事にもプロセスは必要ですから、まずヨガという言葉が誰にもなじみのあるものになり、これからその深さが少しずつ伝わっていくのかもしれませんが、他の部分的健康法や分析学でしかない栄養学などと並んで部分的なところだけをクローズアップされている今風のヨガを見るにつけ戸惑いを感じます。

 現代の、教室でヨガを教えるという形態は沖先生が始めたことです。これはヨガの哲学性や宗教性を私たちにわかりやすいように説かれたことともに、先生の大きな功績であると思います。一子相伝とか、道場で修業を積まなければその片鱗さえもわからない、というものであったヨガを、世の中に広くわかりやすく伝えるという画期的な偉業であったと思います。

 しかし、ヨガの真価が世の中に浸透するにはまだまだ時間がかかることでしょう。ただ体を柔らかくとか健康になるだろうとかだけではなく、生きている意味を探るとか自由を得るというような哲学性や宗教性が伴わなければヨガとはいえません。

 本来のヨガは、人間として生きる最高の生き方を求めるために、何千年もの経験と叡智が積み重ねられたもののはずです。そのほんの一部の方法と効果だけをうたうのは、まるで、玉鋼で打ち出した大振りの美しい刀でインスタントラーメンの封を切っているように思えます。

 金塊で漬物石、ロールスロイスでスーパーに買い物、パソコンで九九、機関銃で蚊を撃つ・・・

 人間を束縛から解き放つ最高のツールをペーパーナイフにしてしまったらもったいない。

かくいう私も「猫に小判」のネコにならないようにしたいものだとつくづく思います。

和気愛会2011年11月号

ヨガ考 5

 前号 ヨガ考-4 は紙面が少なかったのでちょっとコラム的な記事になりましたが、今回はヨガ考-3(9月号)の続きで、自分史もまぜた私の見てきた沖ヨガ界についてお話しします。

 裁判をしていた沖ヨガ道場はどんな状態であったのか、簡単に振り返ってみたいと思います。

 私にとって、道場は自分の生活の怠惰を見直す場でした。1泊、2泊、1週間というように時々沖先生に会いに行っていました。しかし、1985年に沖先生が亡くなった直後、代表役員になった漆畑氏と話をして、この人ではもう沖ヨガ道場はだめだと思い、1997年に笠井淳一氏が「沖ヨガ活動をすすめる会」を立ち上げるまでは道場に行くことはありませんでした。

 沖先生が生きておられた頃の道場の様子、一般世俗とは全く質の違う生活形態や沖先生の優しさや怖さを多くの関係者が伝説のように伝えています。 そして、沖ヨガ道場は沖先生あって初めて成り立っていたところであったということには当時を知る誰もが異存ないことでしょう。

 その一つの例のお話しです。

 私は道場で生活したことで心も体も、そして生きる目的や姿勢も大きく変わり、やたら元気に暮らしていたのですが、友人、親戚、生徒には、体調が悪かったり、うつ病で悶々と暮らす人も結構多かったのです。 私なりのアドバイスをしてはみるのですが、その人たちの生き方に影響を与えるのはとても難しく、生活を変えてよい方向に向かうようにはなかなかなりませんでした。そこで、道場生活をしてみることを、そして沖先生の指導を受けることを多くの方に勧めました。影響の差こそあれ、皆、沖先生から大きなインパクトを受けて帰ってきました。ところが、道場に行くことをなかなか決断できずにいた人が、繰り返し勧められてやっとその気になって出かけたところが、2~3週間滞在したのに、沖先生が海外に出かけていて会うことのできなかったご縁のない人が二人もいたのです。一人は沖ヨガの片鱗も理解体得できず、研修生たちのいい加減な指導の強化法で腰を痛め、もう一人は滞在中ずっと食事が合わず体調を崩してボロボロになりと、何の収穫もなく、いや、二度と行きたくないという悪い印象だけを残して帰って来たのです。

 沖先生の指導は荒っぽく見えましたが、いつも隅々に目を光らせ一人ひとりの状態に心を配っておられたのです。道場は生活を正し、感覚を正常に戻すための修業の場でしたが、そこは沖先生のエネルギーなしに成り立つところではありませんでした。

 1985年に沖先生が亡くなられた後、弟子である幹部達が、後継者として宗教法人の運営に携わり、道場は先生の生前と同じようなプログラムで修行生を受け入れていました。

 その後、真気功という団体が、自分たちのグループのセミナーと道場のプログラムをドッキングさせ、多くの参加者を定期的に道場に送り込みました。 道場は宿泊や食事の世話、そしてヨガの指導と忙しくなりましたが、おかげで多額の収入も入るようになったのです。

しかしこの繁盛は自分たちの力で人を呼び寄せたのではなく、沖先生のカリスマ的な力の代わりの真気功という団体や教祖的力があって初めて成り立っていたのです。ところが、こうして潤ってきた道場の中で、支配的地位にある人たちにとって都合のよい、好き勝手な経営がなされていきました。

 当時の代表役員は自分の経営する会社の物件を道場に売ったり貸したりし、道場を利用して利益をあげ、また将来の自分の財産確保のために道場の金でオーストラリアに土地や建物を購入するなど、とんでもなく放漫な経営がなされていたのです。

 このような状態になるのは沖先生の説かれたヨガの心が全く生かされていなかったということですが、その前に、代表役員が独裁的に運営できるという宗教法人としての規則のありかたに大きな問題があったのです。このことが、2000年に私が道場の役員に就任したとき、当時の事務局長が力説した、“新役員たちで法人規則を変えていこう” という大きな力になったのです。

 求道実行会(沖ヨガ修道場)は1969年に宗教法人としての認可を受けました。前出の事務局長がまだ若い頃のことですが、宗教法人認可手続きの諸作業を沖先生の指示でやっていたそうで、この頃の話を聞かせてくれたことがあります。私が初めて道場に行ったのはその次の年のことです。

 当時沖先生はまだ47か48歳の若さ、それから16年でこの世を去られたのですが、沖先生は教祖であり、聖師であり、道場長であり、道場主であり、経営者であり、また代表役員であったのです。そして、道場運営には大きなお金が必要でしたが、そのお金を稼ぐのも使うのも沖先生でした。どこからどうみても沖先生の会であり道場であったのですから、法人としての規則などは内部的には何の関係もないようなものなのです。

 一般的にも、宗教法人の規則(定款)は代表役員の権限が大きく設定されていることが多いようですが、求道実行会も例外ではなく、沖先生が務める代表役員の意思で会の運営がなされるような規則になっていました。沖先生存命中はこれで全く問題がなく、いやこれでなければならなかったのですが、亡くなった後に他の人が役員や代表役員になっても、この規則のままであったために問題が生じたのです。ここに、先に述べたようなことが代表役員の一存で勝手に出来てしまう事態が起こる元凶がここにあったのです。

 また、沖先生亡き後の道場は経営的にはうまくいっているように見えましたが、内部的には、道場で修業したいと思って滞在している修行生や奉仕生たちは、修業の名のもとに真気功セミナーの多人数の食事の準備や宿泊施設としての仕事にただただ追われ、段々不満がたまり多くの人が辞めていく事態になっていました。

 そんな頃、道場の事務をしていたスタッフが不審な金の流れを書類から見つけたことが、2003年の終結までの長い裁判を闘う発端となったのです。

 そのころ、当時の代表役員は自分に批判的な、言うことを聞かないスタッフの首をどんどん切って自分の好きに出来るようにしていましたが、法人の運営に問題ありとする当時のスタッフたちは、新たな人選で法人の役員を立て、代表役員とその配下の役員会の無効を訴えました。そこで互いの立場を正当であるとする裁判が1996年に始まり、裁判の間、双方ともに代表役員は無効になり、弁護士が代表役員の職務代行者となりました。

 しかし、2000年、裁判相手である元代表役員が現役員側の体制を認め、代償として経済的な自分の立場を確保するという和解の形でこの裁判は一応の決着を見ました。

 私が道場の役員になったのはこの直後です。 しかし、現役員側はここから民事の裁判を争うことになりました。前の裁判では事務局長は参謀としてその頭脳をフルに使って戦ってきましたが、今回は実行力のある新代表役員と事務局長が役員会を牽引する形で始まり、最後まで粘り強くあきらめずに頑張った役員たちの力でこの裁判を戦い抜くことができたのです。

 しかし、今回は裁判を闘うだけではありませんでした。なぜこんな事態が生じたのか。今後二度とこのような事態を招かないために何が必要なのか。それは、沖先生がいるときとは全く事情の違うこの求道実行会の運営規則が、役員や代表役員が勝手なことが出来るような規則のままではいけないということでした。事務局長はこのことを役員たちに力説し、そして役員たちが話し合い、法人の規則(定款)を役員の合議でしか決められない、また、代表役員も他の役員と同じ重さの評決権しか持たない規則に変えたのです。決定に時間がかかりますが、全ての役員が納得するまで話し合って決めるという体制、そして定款に沿って運営すれば自ずと、自分たちの利益ではなく、世のため人のため、また会員のためになるような活動をしていくことになるような規則に変えていったのです。

2007年の年末ごろ、私が3期務めた役員を辞める直前のことですが、求道実行会(道場)が今までやろうとしてきたこと、出来なかったこと(ヨガ考-3でお話ししたこと)を、国際総合ヨガ協会に託すことを決断したのは、これまでの任意団体をNPOにし、道場でやったように自浄作用のあるNPOの規則を自ら作り、それに従って運営してほしいと願ったからです。

和気愛会2011年12月号

ヨガ考 6

 何故ヨガの普及をしようとしたのかについては沖先生がよく言われていました。

「日本は他の国からもらってばかりいるからお返しをしなければならない、世界平和のために日本の良いところを世界にお伝えする奉仕団を作ろうとしたが、そのためにはそれを遂行することのできる心と体を養うヨガで人材を育成しなければならない。そのためにヨガの普及をはじめたのだ。」と。

 私達が沖先生と同じ目的を持たなければならない訳ではありませんが、ここに沖ヨガの原点があるように思います。ヨガそのものが目的なのではなく、「正しくヨガが拡がることで、万人が心と体の健やかな状態でいることのできる世の中になっていく」という願いを持つことが、沖先生の意志を継ぎ沖ヨガを名乗るということではないでしょうか。

 ヨガそのものが目的ではないということ、ましてや食べるための手段、能力の誇示のためにやるのでもありません。己の平安、そしてそれにつながる万人の平安、世の平和のため、そして各人が生命の喜びに従って生きることで、本来自他共栄である自然の摂理に従った生き方ができることがヨガの目的であることでしょう。

 自然は弱肉強食ではない、共存共栄だ。ということも沖先生がよく言われていたことです。

 大上段に世界平和と構えなくても、ヨガをするということは自他の平和をいつの間にか求めているような生活を地道に行うことであると思います。

 ヨガの会を作り育てるということは、ただそれを大きくしようとする、損益に動かされるような会のあり方とは次元も質も違います。

 多くの宗教団体が組織を大きくするために金集めに走り、人の弱みや名誉欲に漬け込むという、根本を見誤った間違いを犯しますが、宗教と名付けず、本来の宗教の原点を歩もうとするヨガの団体こそ、この反対の清らかで地道な歩みを続けていきたいものです。

 組織を作れば動かす全員がいつもこの意識に立つことが大切です。当たり前過ぎる話ですが、そこに力関係が生じ利害損得が生じ、力あるものの都合で動かされていくのが世の常です。自由経済、新自由主義などと呼ばれる世の動きでは当たり前のことでしょうが、宗教やヨガの場合は立ち位置が全く違うはずです。

 自分にとって都合の良いことも悪いことも、与えられるものをそのまま享受し、自分の出せるものを最大限出すという沖先生の教えを各人がそのまま実践することこそがこのヨガの会のあるべき姿です。沖ヨガの存続や継承はその結果としてあるはずのことに違いありません。

 また、いくら良いと思われることも独善的であってはならないことでしょう。歩みが遅くともついて来れない人を助け引き上げながら皆で同じゴールに到達しようとする姿勢が大切です。

 任意団体であった「国際総合ヨガ日本協会」が、道場からの提案で、社会に貢献できる、より透明性のある団体になることを目指してNPOになりました。道場からも助成金が出ました。しかし現在のこのNPOの運営には定款違反も多く、決して透明とは言えない問題をかかえたまま前事務局長をやめさせ、問題とすべきところが変わらないまま存続しています。道場がNPOに寄せた期待と信頼は地に落ちてしまい、責任役員会で助成金を一時ストップすることを決めました。元道場役員としてはそのあたりのことがよく見え、またとても気になります。

 私もこのNPOの一員として、真に沖ヨガを継承していますと言えるような団体になってほしいと願っており、縁あって世話役の一員をさせていただいている関西連合会が盛り上がるようにと活動をしていますが、このままでは先行きが暗いと感じてしまいます。

 会員が主体、そして理事はその意見を受け止める受け皿であるような会が望ましいと思いますが、理事側から総会に出される議題は、多くの会員がそれを深く考えず、まるでトップダウンが良いことのように簡単に承認してしまいます。理事会はその会員の体質を都合のよいことと受け取らず、問題意識を持ってもらえるような提議の仕方をしていかなければ、会としての成長は見込めないでしょう。

 NPOとしてはまだ始まったばかりの会です。この会が若いうちに旧態然とした体質を一掃しておかなければNPOになった意味が有りません。NPO移行時に約束された沖ヨガ道場からの助成金が今なぜストップしているのか、その意味を謙虚によく考えてみる必要があります。私もこの会の真っただ中にいるのですが、情報は自ら集めて取捨選択しなければ、嘘やデマに支配されてしまいます。このヨガ考を書き始めたのはこれまでの沖ヨガの会への自分の姿勢に間違いがあったのを見直したいと思ったからです。紙面では十分に表現できませんでしたが今回で終わりにします。

疑問のある方は直接私にお問い合わせください。

 この沖ヨガのNPO法人の手伝いは関西支部の世話役がいないからと頼み込まれてやっていましたがが、この記事を書いた数年後の2015年に再度役職を辞任しました。また、2020年には沖ヨガ道場が法人を返上して解散しました。

 2021年現在木村は、沖ヨガ関係の形ある既存の団体や法人に属さず、沖先生の遺志を私なりの方法で伝えていく作業に取り組んでいます。 それは、生命に訊きながら真実を求める生き方をする、そして一人でも二人でもその生き方に意味を見出す人が育つことを手伝い、その人たちと共に同じ方向を向いて生きることを願って活動しています。

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