もとはこちら(平井先生)

良い人間関係を築くには

(2004/4/1 和気愛会第61号掲載  平井謙次先生講和 )

 私たち人間は、人と人の間で生きています。だから仲よく協力し、助け合って生きなければなりません。しかしどうしたことか家庭にあっても、職場にあってもその人間関係は醜くわずらわしいことが起き、本当に悩みの多いことです。

 不幸にして醜い人間関係をつくってしまったとき、人は得てして自分がその原因者であり、当事者だということを忘れてしまいがちです。そして相手の非のみを責め、その中から解決の糸口を見つけようとしがちです。そう考えている人がほとんどです。でも、そんなことでは決してよい人間関係は生まれてきません。

 人間関係がこじれたり、からまってしまった場合は、だいたい相手の非が自分の心に写ってきたときです。そんなときこそ「人の振り見てわが振り直せ」。相手の醜さを見るということは、自分の醜さを見ているにすぎないのです。だから相手の非を責める心を自分の方向に向けてみましょう。自分が反省した分だけ詫びて訂正するのです。
 そして同時に、相手と和気あいあいと良好な人間関係を保っているところを、端座瞑想して具体的に思い浮かべるのです。今、相手は、もしかしたらあなたを嫌っているかもしれません。でも相手がどういう想いであろうが、それは関係のないことです。あなたがその人を好きになればよいのです。そこでイメージ法のなかで、じつは相手はあなたのことをとても好いていてくれていると考え、心のなかで具体的にそれを実感するように努めます。
 二人仲よく団らんしている場面を思い描くのです。そしてそのイメージしたとおりになるよう努力すればよいのです。

 よい人間関係を築く第1番目は、できるだけ相手に何も求めないこと。これが基本姿勢です。しかし、それにもまして大切なことは、相手のなかに宿っている神性を拝み、尊び、敬うということです。人間はどんな悪人であっても、善人であっても、皆平等に神の子、いたらぬ存在なのです。善人だけが神の子で、悪人性の高い人は神の子でないというようなことは絶対にないのです。

 あなたも神の子、私も神の子、すべての人は1人残らず、皆神性の宿る神の子なのです。この宿っている神性を見据え、尊敬することができたらいいのです。相手の行為行動が不正なら、その行為行動だけを批判すればよいのです。それを人間の神性をも冒すような批判をしてしまうのです。神性な神の子の本質と、その人の行為行動とごちゃまぜにしていることがありますから、要注意です。

 私の友人は田舎の庄屋の跡取りとして生まれました。資産家でしたが、どうしたことか相場に手を出し、一家は倒産してしまいました。家族も四難四散の生活を余儀なくされたわけです。その息子さんはいま三十歳ぐらい。サラリーマンをしながら父親の失態で生じた借金払いのため、生涯、給料の過半をその返済に当てるという窮地に追い込まれています。先日、その息子さんに会う機会がありました。

 「あなたは、本当に大変なことを経験しているのですね」 と話しかけました。親父さんへの愚痴の1つでも言うかと想つたのです。ところが意外なことに、「親父が相場に手を出し、家業をおろそかにしたことはおおいに批判いたします。だから私自身は、決して親父のような失敗をすることはありません。家業を放り出し、相場に手を出すということは、いかんことだと親父が身をもって私に教えてくれたのです。ありがたく想っています。それに、親父がどんな悪態醜態をさらしても、私の父です。父親という存在は、私にとって神仏にも匹敵する存在です」
 その息子さんから、このように聞かされたのです。

 罪を憎んで人を敬う。どんな行為をしたとしても、存在や価値は少しも変わらないのです。息子にとって父親は神性そのものであり、畏敬と尊敬の気持ちで父親のことを話す姿に、私は思わず合掌してしまいました。その家は現在、困窮のきわみに達していますが、はやそれも底をうち、上昇気運にのっている波動を感じました。

 皆さんもこの息子さんのようにどんな境遇になろうとも、それを謙虚に受けとめ、自分向上浄化のために活かし、成長の糧にしてほしいと想います。そして相手の行為行動のみを正しく批判してください。つねに相手の神性を拝み、尊敬し続けてください。それができればよい人間関係が築け、また維持していくうえで、最も基本的なことがクリアできたといえます。

 次はよい人間関係を築く2番目です。誰しも自分を愛するように、相手をできるだけ愛することです。相手の行状で憎しみが発生するという愛は、憎悪の愛であり、ともに苦しむ愛ですから、とくに気をつけなければなりません。かわいいわが子に対する母親のような愛を、つねに相手に発散することです。

 母親は、つねに子どもの幸福を願います。そして成長、無事、健康、繁栄、自由を願っています。願いが成就するためには、どんな犠牲をも払います。その愛は子どもの状態がどんなときでも変わりません。不幸にして子どもが殺人犯となった場合でも同じです。いやむしろ、そんな時こそ愛表現は倍加します。それは命に代えても、子どもに代わり、自分がお詫びをするというような神に一番近い愛なのです。このような神や仏に近い愛を、四方八方まき散らせば、それはそれは美しい人間関係が築け、それを維持することができるのです。

 お天道様は万人に向かって、ただひたすら光を投げかけ、自分の身を燃焼させるという犠牲を払い続けていてくださいます。その犠牲を心から喜び、外に向かつて相手の幸福を願います。一切の報酬を求めず、どのように批判をされ、罵倒されてもただ淡々と光を放ち続け、詫び続けている姿。私たち1人ひとりにもこのお天道様のような神性が宿っています。そしてこのような精神であればこそ、ほかからも尊敬される人間になってゆけるのです。

 赤ちゃんは全幅の信頼をもってお母さんに育児をお任せしています。無条件に従っているのです。赤ちゃんがお母さんに一切お任せしたように、管理職であるあなたは部下の人に、全幅の信頼をおいて仕事を任せてみてください。
 お母さんが一生懸命、子どもを育てるように部下に接するなら、必ずあなたの部下はあなたの信頼に応えるようになるでしょう。仕事の範囲を明確にし、そのはからいの一切をまかせるのです。それができてこそ、あなたも目上から同じように任せられるようになるのです。任されたその期待に沿うように工夫努力し、また部下にも任せていくということを実行すれば、あなたも目上も部下も、喜んで仕事ができ、よい人間関係ができることは間違いありません。

 人間はほかの動物と異なり、大脳が発達しているため、考え、判断し、創造をし、自発的に決断する能力が身に付いています。ですから人間は喜楽することも多いのですが、辛苦、悩むという面も同時にもちあわせています。誰でも喜楽の生活を送りたいのです。ですから、相手の喜楽のため尽くし、相手に喜んでいただくことが私の喜び、と置き換えて尽力する姿勢が、よい人間関係を築くうえでの大切な要因です。そしてほかから注意されたり、お願いされたときには、その意を広い心で受けとめ、自分の生き方を訂正しながら、相手の喜楽のためのエネルギーに換えることのなかに、喜楽を見いだすことも大切です。1人の発明家がいたとします。発明家はひらめきを大切にするので、四六時中メモをそばに置き、その内なる声を聞くのに辛苦します。日夜を徹して、もっと便利で安全で、効果的で、ということを社会のために、一般大衆のためにと尽力し、それを天職と喜ぶのです。
 そしてやっとの想いで1つの製品ができあがり、それが社会に流通してそれを使っている人々の喜ぶ姿を見ることを自分の最大の喜びと想うのです。そして、さらによりよいものにするための日夜研鑽、工夫努力し、その辛苦を即喜びとし、もし使った人から注意を受けたときは、その注意に心を傾け、製品改良のためのよき糧を喜び勇んで取り組む。そういう生き方が辛苦のなかに喜楽を見いだし、相手の喜びのなかに自分の喜びを見つけだす生き方なのです。

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