呼吸コントロール力2

12.母音について

 母音は声の要素であり、言葉を話す人にとってはあまりに当たり前になっています。それだけに深く身体に染みついていて、身体の使い方、呼吸、そして意識の状態とも深い関係があり、取り組むといくらでも問題の生じてくる大変だけれどとても面白い題材です。ついつい書くことが多くなってとても長い章になってしまいました。

声の役割

 はるか昔、声は、身体や心の状態、そして感情や意思をそのまま他に伝える手段であったことでしょう。そのままということは、感情や意思を表現しようとするときに生まれる呼吸のエネルギーそのものを伝えるのが声であったということです。ところが、言葉を生み出した人間は、縄の結び目や文章で伝えるときのような、記号的な役割として声を使うようになりました。文明社会ではそれが当たり前になり、例えば感情を隠して言葉を発するとか、言葉の内容を知的に正しく伝えるために心の内容を反映させない声で表現するというような使い方が多くなっています。言葉でも歌でも、原始的な生活をしていた人類は野生動物と同じように全身を使った声で表現していたに違いありません。しかし現代人にあっては、声に限らず、全身の働きを使わない、または使えない生活をする人達が多くなっています。

呼吸と母音の傾向 母音の働き

 声は呼吸のエネルギーから生じます。身体の使い方、心の状態、感情の動き、それらの全てが一瞬一瞬の呼吸状態を生み出し、声に変化を与えていますが、そのベースには人それぞれの呼吸の傾向があります。
 その傾向を身体の使い方の特徴でとらえるなら、胸を使う、背中を使う、下肚を使う、などの傾向ということができます。もちろん良い声は全身を使っていますが、そこにより強く働くところがその人の傾向であり、体感空間の感じ方の傾向でもあります。そしてそのそれぞれの傾向は特定の母音の傾向を持っ声とか、特定の母音の傾向の少ない声とか、また特定の母音への偏りの少ない声など、その人特有の声の特徴になります。また、この傾向は身体の使い方の特徴であると同時に心の使い方の特徴や呼吸の特徴でもありますが、このそれぞれの特徴を《母音の働き》と呼んでいます。

  《母音の働き》は声を出すときの意識の在り方によって生まれる「身体や心の働きによって生じる呼吸の状態」です。身体の前側が伸びると、呼吸も前側に多く入り、後側が伸びると後側に多く入ります。この筋肉の使い方によって「母音の働き」の働き方が変化しますが、この変化は呼吸が生む体感空間の状態としても感じられます。前の体感空間が広がると明るく開放的な「あ」の傾向、後ろの体感空間が広がると内省的で包容力のある「お」の傾向の強い母音になりますが、横に広がったり上下・前後に広がることで「え」「う」「い」などのそれぞれに違った母音の傾向が生まれます。また、それらの複合した呼吸の広がりから生まれる体感空間からは複合した母音の傾向を内包する声が生まれます。
 しかし一つの「母音の働き」だけで声を出すことはできません、それは空間というものが多くの方向に広がることで成り立つものだからです。上下だけとか、左右だけの広がりでは空間は生じません。すべての方向に広がる方向性、すなわちすべての母音の働きが拮抗しながら働いているその上に、その人らしい特徴として特定の母音の働きが上乗せされているという感じです。

 そこで、全身の生み出す《母音の働き》がそのまま声に反映されるなら、その声はその人の全人格を伝える媒体になるはずですが、そのような声を聞けることは特別なことで、多くの生活空間においてほとんどありません。これは本来、あくまで本来の話ですが、声を出す人の喉を起点として全身の状態に反映され、それがそのまま呼吸の形になり、声になって出ることによって全身から生まれる音色の全人的声が出てくるはずですが、実際には、本来の働きが減ったり、本来ではない働きが声に加えられたりすることで、《私たちが聞いて認識する母音》と上述の《母音の働き》とは大きく違うものになっています。これは呼吸や声と取り組むときの大きな問題ですが、そのことを説明できる言葉が簡単には見つけられないため、少々分かりにくい話になるかもしれませんが、後の方で詳しく説明をします。

意識空間

 呼吸の働きによって母音の働きや体感空間が生じるということをお話ししていますが、そこには心の状態も大きく関わっています。
 私たちの意識には、心が広いとか狭いというような空間感覚があります。これは心が生み出すものですが、この空間は呼吸が形作る空間とまったく同じものです。意識空間は呼吸の状態であると同時に心の状態でもあるということです。肯定的な気分の時には意識空間が広くなり呼吸が深くなりますが、否定的な心の状態では意識空間が狭くなり呼吸が浅くなります。

 ヨガの三密は《身体・心・呼吸》の三つを指しますが、これは生命の働きの表われを三つの切り口で観るということです。まず大本の生命(イノチ)の働きがあり、その表れの見えるところを身体見えないところを心と言い心と身体をつなぐ意識状態を呼吸と言っています。そして声は呼吸のエネルギーが見える(聞こえる)形に変換されたものですから、声を出す人の空間意識や心の状態を外から把握することができます。家族や知り合いなら、聞けばご機嫌までわかるというのが声です。深く聞く力、奥まで見通せる力のある人にはもっとたくさんの情報が声から分かるに違いありません。

本来の働きー良い声の出る機構

 また原始的な生活をしていたはるか昔にもどりますが、「特定の感情や特定の動作が生み出す形から生じる声がもつ特定のパターン」というものに対する共通認識が生まれ、このパターンがそれぞれの集団で母音というものに大別されたことでしょう。そしてもちろん、より複雑な呼吸の状態を表現したり、呼吸に力を付加したりする《子音》も加えて言語というものが飛躍的に複雑化し発達したのだと考えます。そして言葉の発達とともに声の持つ記号的な働きが増し、言葉から本来の呼吸のエネルギーが失われてきているのだと思います。現代に至っては、別の項でお話ししたフレデリック・フースラーが言っているように、(私の記憶している内容ですが)

 全身を使った深い呼吸がそのまま声になっている天性の歌手のような良い声を、本来は誰もが生まれながらに持っているのに、その声が出るための機構が不健全になっている。それは健康な人の不健全な状態であるのに、良い声は才能がないと出せないかのような錯覚を誰もが抱くようになってしまっている。

ということです。フースラーのいうこの機構とは正しく深い呼吸を維持することのできる呼吸力であって、これはヨガで求める《本来の呼吸》即ち、《私たちに与えられている深く豊かな呼吸を維持する働き》と全く同じものであるということです。もちろんフースラーも言うように、このような原始的な働きが現代の人間から失われたわけではありません。潜在的には誰もが持っている働きであり、歌や演劇などの世界ではその原始的な働きを取り戻すために多くのひとが努力をしてそれを取り戻している、または取り戻そうとしています。ヨガにおいても、深い呼吸を取り戻しディアーナやサマーディの状態になるための必須の課題として、やはりこのような呼吸を求めています。
 さてそれでは母音、体感空間、呼吸などについて、自身の体験を交えてお話ししていきます。

相似形の空間

 こんにゃく体操(現野口体操)を、声を出したり歌ったりする前によくやっていましたが、その独特の動きによって身体の色々なところに息の入る感覚をいつも感じていました。ある時、動きによって身体の色々なところに息の入る感覚が、喉の感覚や口の形、そして声の音色に大きく関係している、そして、その息を感じたまま声を出すとその息の入り方で声も大きく変わるということに気づきました。
 そこで、色々な動き方と呼吸の仕方で時間をかけて呼吸や声を観察していくと、声と身体に入っている息の状態には面白い関係がありました。それは、呼吸は自身の身体の中に空間を生み出しており、そこに生まれる広がり(体内空間)と外に感じている声のある空間(体外空間)とが相似形のように感じられること、そして、声を出すときに開ける口の形、それと共に口の奥や咽頭部、喉頭部あたりの広げ方、これらも声の広がる空間と相似形に感じられるということでした。この相似形と感じられる三つの場所の状態、喉周り、体内の呼吸の形、そして外に感じられる空間、もちろんそれらは感覚的なものですから、描く図形のように明確な形ではないけれど、縦に広がるとか横に広がるとか、後ろや前が伸びるとか、そして、上が大きな風船、下膨れな風船、頭の上で広がる空間、というような空間意識として感じられるのです。この空間感覚は呼吸を変えれば声に反映し、反対に声の出ている空間意識を変化させると呼吸も変化するというものでした。

 これは感覚ですから誰もが同じように感じるとは限らないのですが、口の形、口の中の形、そして喉のあたりの広がった感覚の形、そして身体に入った息が形作る空間意識の形、それらが全て相似形になっていると感じたのです。これが呼吸と声が一体であるということを実感し把握した瞬間でした。そして色々な声で空間意識がどのように変化するのかを試しているうちに、普段の話し声の中では身体で感じる空間意識はとても少ないけれど、意識すれば話し声であっても喉や身体の空間意識と連動して働くこともわかりました。また、声楽の世界で喉を開けるということは、喉だけではなく全身でこのような働きを連動させて使うことを指していることにも気づきました。

口先喉先の声

 人間の生み出した言葉で使っている空間の形は、全身的な働きが伴わなくても、喉周りでそのように形作ることができるということ。そして声に呼吸のエネルギーがこもらなくても、母音の差異を生み出すことができるという、生命の働きを全く無視した使い方ができてしまうということ。民族によって個人によって程度の違いはありますが、これは人類にとって呼吸を浅くしてしまう由々しき大問題です。健康や医療の問題と同じく世間の大方の意識が当たり前になり、このことが問題にされることはほとんどないようです。

 本来は呼吸の状態をそのものを表出していた声というものが、文化的発達と共に記号化されて現代の言葉になっていて、呼吸の状態を伝える感情表現の働き以外に文字のような記号の働きも持っようになって現在に至っているということです。
 また、言葉は子音と母音から成り立っていますが、子音は空間意識を狭める方向に働きやすくはありますが、呼吸から見れば呼気圧を高めて母音の働きを高めている要素が大きいと考えられます。
 それに対して母音は、声帯の形状や緊張度、そして気道の形の変化によって形作られますが、その状態を生み出すための呼吸の形は空間意識も生んでいます。そして空間意識が維持されることによってその方向性や広がりがその人の声の基調になります。

声はどのように出ているか

 生理学の教科書に書かれている見解とは異なりますが、声の側から見る呼吸器とは、体感空間を変化させる部位すべてであり、肛門に始まり、横隔膜、肋骨、喉頭部、咽頭部、口腔部、鼻腔部、また、身体の壁を形作る体幹や骨盤部、立っていれば脚から足の裏まで、そして首の壁の筋肉、顔面や頭皮に至るまですべてが協力し一つの働きとしての一つの体感空間を生み出し、それに応じた声を出しています。
 横隔膜が押し上げられて息が出て、それに対して声帯が閉じたり開いたり縮んだり伸びたりして声がでる、というような話は傍観的な観察者の目に映るまたは頭で構築される虚像でしかありません。一つの思いが一つの形を呼吸器全体で形作る、というような全身的な作業で声が出ていることが本来の姿です。ここで「本来」と断ったのは、全身を使わなくても声は出せるし母音を形作ることもできるからです。

 全人的な表現媒体として声が出されるときは、先に話ししたようなプロセスが母音の傾向を含む声の基調 ― その人らしい音色 ― を生み出しますが、歌の歌詞でも会話でも言葉としての母音の変化は声の出口あたり、すなわち声帯と息の通っている空間の変化が生み出しています。声の基調になっている声の豊かさや膨らみをうみだす全身の働きで生み出される「母音の働き」が少なかったり声に反映されないでも、話したり歌ったりするための声そのものが出ないわけではありません。それは体感空間の狭い声、呼吸の浅い声のことですが、そのような声は魅力に欠け、自分も含めて人を豊かにせず、コミュニケーションのための声としてもよい声とは言えません。しかしこのようなことは私たちの生活圏では当たり前のこととして捉えられていて、魅力のない声だなとかうるさい声だなとはとらえてもそれが全人的な問題であると捉える人はほとんどいません。そのような声を喉先・口先の声と呼んでいますが、記号的言葉としての用は足りますし、ある意味感情の変化を表現しないことは事務的には便利なことかもしれません。しかし、このような状態の時の喉が狭まる傾向、即ち心が狭くなるときの変化は声によく表われますが、喉が広がる働きは生じにくいしまた喉だけで広げたわざとらしい声は不快感があります。要は嫌な感じは声に表れやすいということです。もちろん全身的な呼吸が声になっている場合でも怒りや嫌悪はあることでしょうが、体感空間の広い状態の場合には心のコントロール力も発揮されているので不要な怒りや嫌悪の声はきっと少なくなることでしょう。
 口先だけで声をだせるのは人間だけの特技かもしれませんが、このような生命本来の営みから遊離した言葉や歌の在り方の上に現代の文化や生活が成り立っているということは、心身の健康を含む生きる本質を見失いやすくさせているように思います。喉先口先の声は呼吸が浅く、声の持つ機能の劣化や言葉や歌の持つ芸術的価値の低下をもたらしますが、声という枠を超えて観ればそれだけの問題で済むものではなく、生きる質全体に関わる由々しき問題であるということ、それはヨガが問題にしている生命の本質に関わることだということを考える必要があります。

言葉・母音

 声が呼吸を使っているというよりも声は呼吸そのものであり、生命の表れそのものです。その呼吸が全身でなされているか口先でなされているかということは、健康や生きがいにとってとても重要なポイントです。 

 深く温かい呼吸から生まれる深く温かい声、それらは聞く人に心地よく響きますが、小手先の浅い呼吸から生まれる声はうるさく心地よくありません。また、力のない曖昧で不明瞭な声も浅い呼吸から生まれますが、最近はそのような声が溢れていて、テレビやラジオの番組を制作する人達までもがそのような声をうるさいとか気持ち悪いとか感じる感性が失われてきているのでしょう、多くのテレビ番組からは美しくない無神経な「がなり声」や雰囲気を醸し出しているつもりの「声に力のないナレーション」などが流れ続けていると感じます。私たちが本来的に持つ深く暖く豊かな呼吸の声がなぜ失われてきているのでしょう。それは現代人の呼吸が浅くなってきているからだと思われますが、生活様式が変化し、文化的で不自然な生活パターンがもたらす肉体的精神的不調和がその大きな要因になってるのでしょう、でももう一つ、それは先に述べた言葉の使い方によるものです。
 言葉の記号的要素は呼吸そのものを伝える必要がなく、全身的でない感情を伴わない呼吸から生まれる言葉であっても表現できてしまいます。そんな言葉の使い方が常時なされることで、生まれながらに与えられている発声器官の健全さが失われ、美しく深く豊かな声が世の中から少なくなってきているように思います。

発声体操

 私の声のとらえ方を導いてくれたのは、沖先生の著書《ヨガ・行法と哲学》の中に書かれている《発声体操》でした。それは沖先生に出会った当初読んだ何冊かの著書の中でも、声楽を志していた私にとってはどこまででも興味の尽きないテーマでした。たった4頁の簡単な体操、「あ~」と声を出しながら万歳のように手を伸ばす、というような五つの母音とそれぞれに対応した簡単な動きの五つの体操ですが、やってみると、私にとっては手を伸ばしても伸ばさなくてもさほど声が変わるわけではなく、なぜここで手を伸ばすのか、なぜこの体操が「あ」なのか、その意味は理屈では納得できても手応えとしては一切感じられませんでした。わざわざ本に書かれているのに、きっと何千年もの伝承でもあることに違いないのにどうしてその発声体操をして変化を感じないのか、なぜきっとあるにちがいないその価値を見出せないのかと、やってみる度に考え込んだものでした。他の四つの母音でもそこから何も得られないことで、それは自分の現在の能力の問題であろうと思いました。

 ヨガを始めたきっかけは声がよく出るようになるかもしれないという期待からでした。そのため、健康度が増したり運動神経がアップしてきたことなどは副作用のようなものでしたが、沖ヨガと出会ったことで、声、呼吸、悟り、健康、心の安定、喜び、等々、求めるものが皆同じ一つの線上にあるのだろうという思いを持つようになりました。その確信は歳とともに強くなり、たしかに健康度が上がり呼吸力が強くなり、心の安定度も増してくるのですが、やはり声は声、歌は歌は、ヨガはヨガと別な次元で求めておりそれらが融合した世界には入ることができませんでした。

 ところがあるとき、前々から感じていた前述の「体感空間」と、若い時に出会っていた沖先生の「発声体操」との二つが私の中で結びついた瞬間、それまでどうしても感じられなかった身体の動かし方と声との関係を体感し、その時から私の中でこれまで学んできたこと、ヨガ、声、歌、というものが同じ一つの世界として捉えられるようになりました。それから10年くらいして私の提唱する呼吸や声を軸にするヨガをナチュラルヴォイスヨガと名付け、また10年、実践と実証を重ねてから同名の《本当の自分と出会う-ナチュラルヴォイスヨガ》という本を出版し、その後もこの気づきの余波がどんどん増幅されて大きくなり今に至っています。

「母音」と「母音の働き」との違い

 さてここで、《母音の働き》についてもう一息突っ込んだ話をします。

 体感空間と母音を使った発声体操にヒントを得て、声を出すということが五つの母音の働きの総合された結果である、という考えが生まれたのですが、五つの母音に対応した各母音の働きは、単独で働くことはありません。それは呼吸の拮抗と同じで、一つの方向だけの力で空間を生み出すことはできないからです。複数の方向に広がる力であるからこそ空間が生じる。すなわち声という空間を生み出す働きがうまれるということです。

 ここでこの項の一番のポイント、それは「母音の働き」と私たちが耳で聞いて判別している「母音」とは全く別ものであるということです。どういうことかというと、「母音の働き」は私の作った造語で、ひょっとしたらもっといい言葉があるかもしれないあまり上手くない造語だからです。

 「母音の働き」を「アの働き」とか「オの働き」と表現してきたことが誤解のもとになっているので、「前の空間を開く働き」とか、「後ろの空間を開く働き」というように変えた方がいいのかもしれませんが、やはりアの働きを高めるアの母音メソッドという表現はとても分かりやすいので捨てがたく、結局使い続けている言葉なのです。なので今回は「母音の働き」と「母音」の違いを詳しく述べようと思います。

 なぜこのような面倒なことをしなければならないのか、このややこしさの元にあるのが、私たちが言葉を聞いて母音を判読、いや判聞する働きにあります。そして多くの人がその働きを使っていることを自覚していないためややこしい誤解が生じるのです。

 それはこのようなことがあるからです。
 アの働きを高めようと一生懸命にアアア~と思って声を出せば、自分ではその分よりアと言えていると出している本人は皆そう感じるのですが、他の人がその声の変化を見る(聞く)と、その声は無理が増え続けているだけで決して「アの働き」が高まってるわけではなく、伸びやかでも明るくもなっていないと分かるのです。

 別な例です。普通の会話で話しているのとは違う呂律(ろれつ)の回らないとてもあいまいな声を出している酔っ払いが「あいうえお」を言ったとき「うあ~うい~うえ~うお~」とでも書くしかないあいまいな声でもそれを聞く人はちゃんと「あいうえお」と判別できるということはどういうことでしょうか。きっと母音というものに絶対的とか標準的という基準がないのだと推測できませんか?

 また例えばとても平べったい声の演歌歌手がいるのですが、テレビのスイッチを入れた瞬間に聞こえてきたその人の声は「え~~~」と長く伸ばしている声でしたが、次の歌詞が出てきて分かったことは、「え~」と聞いていたその歌詞は「あ~」だったのです。注意深く聞いてみると、その歌手の声はすべて「え」が基調になっていてそこに他の母音の要素が入ることで言葉を言い分けているということが分かりました。聞く方の立場で言えば、「え」が基調であれ、「お」が基調であれ、そこに他のそれぞれの母音の働きが加われば相対的に「あいうえお」と聞こえる、ということです。
 私たちは聞こえてくる母音を、言葉の連続性から相対的に判別する能力を持っているということです。これが「母音の働き」と「母音」とが違うものであるということです。この歌手は「エの働き」の強い声をしているけれど、その基本の声の中で自分なりに「あいうえお」を言えば聞く人はちゃんと「あいうえお」と判別してくれているということです。

あいまいな母音

 母音メソッドや発声体操をするときに《あいまいな母音》を使うことが助けになるという話をしましたが、この「あいまいな母音」を使うことが自分の持つ声や呼吸の癖から脱却する助けになります。

 ほとんどの人にとって声は毎日出しているものです。言い換えれば毎日やっている呼吸法のようなものですから、伸びやかな声を毎日出していればそれは伸びやかな呼吸を身につける呼吸法をしていることになりますが、毎日卑屈な声を出している人なら毎日卑屈な呼吸になる訓練をしていることになります。

 あいまいな母音の声は、呼吸のこだわりを外すとかこだわりから脱却するためにはよい呼吸法になります。ときどきとても良い声でお経をあげられるお坊さんがおられますが、その声は伸びやかですが言葉としてはあいまいな母音を使って歌うようにお経をあげられているのではないでしょうか。

 声にはすべての母音の働きが入っていますが、「あいまいな母音」の場合はその中に突出して強く働いている特定の「母音の働き」がないという状態ですから、どの母音の働きも同じように少なくしていくことで「あいまいな母音」にすることができます。逆にどの母音の働きも高めていくことでも「あいまいな母音にできます。例えば「あ~」と出しているその声の上に、「あ」の広がりを減らさないように、「お」の感じを加えていくとか、「う~」と出している上に「い」を加えていくということです。これだけでも結構あいまいになりますが、この作業を色々な母音でやり、最終的には五つの母音すべてが重なり混ざったような声にすることができます。これを喉先でやるのではなく身体全体の呼吸でやります。酔っ払いの声をまねるとか、腹話術の声を出そうすることもこのようなあいまいな母音を生じさせることになります。

 一時代前のことですが、機械によって作られた無機質な声とは言えない声がありました。合成音声とかいわれて、映画やテレビなどではロボットの声として使われていましたが、これが現在では人間の出す声にとても近づいてきています。それは各母音に含まれる色々な倍音の含まれる割合の違いをより実際の人間のように再現できるようになったからだと思いますが、本来の私たちの身体の中では声が出たところの空間の形を変えることで母音を表現しているといいます。それはある意味気道を歪めることで音声を変化させているのですが、この歪ませ方の少ない声があいまいな母音の声です。その例として酔っ払いの声が挙げられます。またもっとわかりやすい例としては赤ちゃんが誰に何を訴えるのでもなく機嫌よくおもちゃで遊びながら無意識に出している「う~」とも「あ~」ともつかない、どの母音にも当てはまらない声をだしています。この声のように全方向に広がる空間意識から出る声からは母音の性質が失われます。これがあいまいな母音です。
 これは体感空間とも大きく関係することで、あ~という声を出していてそれをお~という声に変化させようとするとき口の形を変え同時に喉の形や使い方を変えます。全身的に声を出している人なら身体の中の状態も変わり体感空間が変化します。私の場合、意識の中では母音は体感空間をその母音に合うように広げると感じています。それは、(声を出していない時には)全方向に広がっていた空間意識を意図的に偏った空間にするという作業でもあるということです。そしてその偏らせ方が母音の差異を生んでいるということです。

 伸びやかな心で伸びやかな声で、なによりも具体的な焦点や目的を持たないお経や声明のような声では母音の差異が少なくなります。もちろんこの五つの働きの全てが働くことで声が存在できますし、伸びやかに声を出そうとすることは体感空間を大きく広げますが、会話や歌うときにこの五つの働きを言い分けているのではありません。全体的に広げたベースの上で呼吸の変化までは伴わない変化を主に喉で変化させています。

とりあえず各母音の働き方を図式的に説明すると、

①「アの働き」は身体の前側が上下に伸び、意識がお腹の上部にある。
  明るく軽やかな声と心の働き。

②「オの働き」は身体の後ろ側が上下に伸び、意識が腰部にある。
  内省的で他を包容し、優しさと強さを併せ持つ声と心の働き。

③「エの働き」は左右に広がる働きで、意識が胸部にある。
  自己を表現し相手に強く働きかける声と心の働き。

④「イの働き」は前後に伸びる働きで、意識が喉部にある。
  気を引き上げ、積極的・行動的で明るく軽快な声と心の働き。

⑤「ウの働き」は身体の中心で上下に伸びる働きで、意識が下腹部にある。
  意識と力を集約して下腹に集め、心身を統一させ重厚な声の働き。

 呼吸法、アサナ、座禅など多くの自己変革法に不可欠な身体の使い方の意識からのアプローチではなく、声を出す意識から心・身体・呼吸等へアプローチする自己変革法ですが、声の意識だけで実現させることは難しく、身体の使い方と組み合わせることによって誰もが実践できる方法になります。
 研究すればここに書くことに留まらず多くの働きがあります。拙著ナチュラルヴォイスヨガも参考にしてください。

 この①~⑤の働き方とそれぞれ個人の呼吸や身体の使い方の癖によって多様な声が出てきます。もちろん人それぞれの生まれながらの声紋という個性もあります。
 国によって民族によって多くの母音がありますが、基本として日本語の五母音で表現しても問題なく他の言語にも応用できると思います。

 この空間の広がりの偏りを減らしていくと母音の特徴が減り、「あいまいな母音」になります。息も絶え絶えというときのあいまいさは、どの方向への広がりも少なくなっている状態ですし、酔っ払いの声のようなあいまいさはどの方向への広がりも増えて大きくなっている状態です。いわゆる気が大きくなっているのです。酔拳というのは、私はよく知りませんが、酒を飲まないでも意識的に酔っている時のように体感空間の広い状態を生み出しているのではないかと思います。
 全方向に呼吸を拡げ、広がった体感空間から声を生み出せばその声は母音の特徴の少ない声になります。逆に見ると、全方向に広がった体感空間を偏らせることで母音が生まれるとも考えられます。「母音の働き」が持つこの体感空間の偏りは本来、呼吸器全て、実際に空気の入る胸部だけではなく、全身が協力して生み出しているものです。肋骨や横隔膜、それらを動かすための多くの筋肉、そして首や喉、声帯まで含めた全呼吸器を使うことが本来であり、健全な身体はそのように働いています。ところが、喉先口先で話している声は、首やその上の筋肉群だけで作る空間の歪みで母音の変化を生み出すという浅い呼吸の声になっています。これは決して健全な身体の使い方とは言えません。病的な状態とまではいえなくても、現代はそれが異常な状態、不健全な身体の使い方であるという感覚や認識までもがなくなってきています。これが声や身体の働きを低下させてしまい、回復しにくくしている大きな落とし穴になっています。
 これは、全身で生み出すべき声や母音を喉や口先で作り、感情表出をせず、声の記号的働きを強調する。言葉を変えれば深い呼吸をせず、浅い呼吸の浅い声を使ったコミュニケーションの時間の多い生活をしているということです。その結果は、深い呼吸の言葉、全身を使う豊かな声が世の中から減り続け、その分健康や生きる喜びが減った生活を余儀なくされるという悲惨な状態を招いているのではないでしょうか。

 声の働きの概略をお話してきましたが、次に、声というものに関心を持ち、良い声を求めて心に身体に課題を持った方が、どのように実践すればよいのかを考えていきます。

体感空間-声を変える

 さて、より伸びやかで温かい声を出したいと考え、どこに焦点をあてればよいのかと考えるとき、まずは自分の声にどのような働きが足りないのかという気づきが必要です。その良くないところというのは、満遍なく広がるべき体感空間の一部がうまく広がらないことによって生じています。体感空間が満遍なく広がるということは、呼吸器官すべて、すなわち一般的には呼吸器官に含めない足から声帯や喉の上部、頭部まですべてが一つになって本来在るべき使い方にうまく収まっているということです。この使い方を身につけて初めて、声がどのように響くのが良いのかという課題に向かうことができます。歌い手も俳優もまずは声帯まで包含した呼吸器官が本来あるべき働き方をするようになることが課題です。もちろんこれはプロだけの問題ではありません。生まれながらに与えられている機能を活かすということですから、生きとし生ける人間、全ての人の課題です。

 満遍なく広がっていても当然、人によって個性のある特定への方向の広がり、即ち母音の働きが加わってその人らしさが生まれます。全体的には常に伸びやかに広がろうとしているバランスを崩さない程度の許容される範囲の偏りが個性的で良い声や良い歌を生み出すということです。意識も呼吸も体感空間も、常に伸びやかに広がろうとする働きが声の出方をも広げます。母音の働きの持つ偏りをなくすように体感空間を変化させていくと母音の特徴が減ってあいまいな母音になっていきます。どの母音でやっても同じで、あいまいにするほど体感空間の在り方が近づき、声も似かよってきます。このあいまいな働き方を使うことで、特定の狭さ、すなわち萎みの生じている良くない働き方を改善していくことができます。

母音メソッド ー 声を変える

 「あー」の声が曇って明るく出ないな、もっといい声にしたいなと思う時、「アの働き」を高めようと「あ」の思いを強めれば、言葉としての「あ」の感じは強くなるかもしれませんが、声全体の広がりや豊かさにはつながらず、よい結果の出ないことがとても多いのです。「あ」という思いが伸びやかで豊かな広がりを持っている人なら、「あ」の思いを強めることでより良い「アの働き」の高まった声になるのですが、「あ」がうまく出ない人の場合は「あ」と思うことで そこに必要な体感空間を生み出せずにいるのですから、「あ」と思えば思うほどに不要な偏りを増やし伸びやかさがなくなることが多いのです。そこでやるべきは、「あ」の思いを強めるのではなく、反対に「あいまいな母音」に近づける方が狭さや偏りから抜け出しやすくなります。結果として「アの働き」の働き方が良くなるということの方が多いのです。まずは「あいまいな母音」の声を出し、そこでより良い響きの声を見つけることができれば、今まで出していた声よりもずっと広がったよく響く声が出てきます。良い指導者がいればより早くそれを見つけることができるでしょう。そこが出発点で、その良い響きから必要な母音らしさを養っていきます。

 これでお分かりと思いますが、母音メソッドでは、そのメソッドの名前についている母音でやるよりも、まずはあいまいな母音でその動きをする方が効果的なことが多いのです。それならそのメソッドに母音の名前を付けなければいいようなものですが、「母音の働き」の観点からは、各母音の持つ性質、身体の状態、心の状態の密接な関係を考えればどうしても別の名に譲れないのです。

 母音メソッドを実践するための方法として、拙著には「アの母音メソッド」のときに「あ〜〜〜」の声を出すと書いています。これは間違いではありませんが、このやり方だけでは母音メソッドで体感空間を広げていこうとする作業がうまくいかない人がおられます。このことに気づいてからは、「アの働き」と「あ」の声とは違うものであるとセミナーでもレッスンでもずっと言い続けています。

また、拙著には「オの母音メソッド ー わかめ」という母音メソッドのやり方を書いていますが、立って楽に前屈するような形を使って「お~~」と声を出しながら行います。このメソッドは、自身も生徒も「お~~」の声を使うことでとても効果的に声を変化させることができるので「オの母音メソッド」の一つと分類していましたが、「オの母音メソッド」そのものではなく、「オ」や他の母音メソッド」がうまくできるための過程として頭頂部まで息を上げ、それを声にするメソッド、という意味を込めた名をつける方いいだろうと今は考えています。

沖正弘著 「ヨガ・行法と哲学」に掲載されている発声体操

  母音メソッドの詳細は著書に記しているのでそちらを参考にしていただきたいと思いますが、沖正弘先生の発声体操は手に入りにくいと思うので写真とやりかたのテキストをヨガ・行法と哲学の本から掲載しておきます。

「あ」の発声体操A
足を腰幅だけ開き、膝を曲げて力を抜いて立ち、両手をあげて息を吸い込む。
「あ」の発声体操B
両手を左右上斜にあげると同時に、土ふまずを大地にふみつけるつもりで、肚からアーーの大声を発し、声の続く限り続ける。この時体は後にそっている。この体操をすると朗かになり、胃病や疲労の回復によい。
「い」の発声体操A
膝で立ち、両手で顎を支える
「い」の発声体操B
イーの発声をしながらできるだけ後に反る。
 この体操をすると陰気な性格がなおり、甘いものの好きさ加減が減じ、実践的積極的になる。
「う」の発声体操
直立して、両手を組んで胸を抱え込むように、うつ向き加減になり、口をつぐみ、下肚に力を入れ、肛門をつぼめ、下腹を上に押しあげるような気持で「ウーーー」と唸る。
 この体操は心身を統一し、元気がうちから出てきて決断力がつく。
「え」の発声体操A
片足を前に出し、両肘を曲げてあげ、
「え」の発声体操B
「エー」と発声しながら写真のように前の足の膝を曲げて段々体を前に出し、両手はそのままなるべく後方に引き胸をそる。血液を酸性にし、神経を昂奮させるから、呑気坊やぐずをなかすによい。
「お」の発声体操
片足を前に出し、両手を口の両側にあてがい「オー」と発声しながら上体をできるだけ前かがみにする。
 血液は弱酸性になり、性格はやさしくなる。

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