発声法は求め方が鍵

呼吸コントロール力

7.発声法を身につける

 どのように求めどのように身につけるか

 発声法に限らず、どのようなことも正しい結果、正しい結論に到達したいと願うならその過程は同じです。生きている生かされている身体や心、これを使うための原則はすべて共通です。健康や自己実現など、どのようなこともこの根本の観方から出発することが実現の鍵になります。

 発声法を学ぶにはまず楽器として正しく機能するための肉体、すなわち正しい呼吸のための身体の使い方を覚える必要があります。もちろん、よりよい歌を歌うことを目指すなら、歌うことから声や呼吸を学ぶ道が正道ではありますが、これ一筋という人以外にはかなり難しく万人向きの道ではありません。座禅を追求することで正しい呼吸を体得できるのも限られた人だけです。座るという作業に加えて、正しく呼吸できる身体と正しく物事をとらえる頭を得なければ迷想にはまってしまいます。悟りが突如やって来ることがないように、突然に良い声が出て素晴らしい歌が歌えるという頓悟もありません。もしそれが起こるとしたら、そのための準備が99.99%すでに整っていたところに小石を投げたら閃いたというようなことです。階段の最後の一段を上った時に頓悟が生じたように見えたということす。 

 また、どんなヴァイオリンの名手が弾いたとしても、ダメな楽器で最高の音色を出すことはできません。良い声や良い歌のためには身体がよい楽器になるような使い方を自身に覚えさせなければなりません。そしてそれを実現した人だけがデリケートな感覚に支えられた筋肉と神経支配の連携によるバランス状態から生じる美しい声や心を打つ歌を歌うことが出来ます。

良い癖 悪い癖

 勉強さえすればうまくできるようになるのなら私もガリ勉になるのですが、そうはいきません。でも、これまでやったことのないことならできなくて当たりまえですし、これから始めるのならできるだけ間違った癖を身につけないような学び方をすればいいのです。とはいうものの、それを身につけるための努力を重ねてきたけれど、間違ったやり方を身につけてしまった私のような場合はそう簡単にはいきません。間違った癖や習慣というものは一筋縄では引っ込んでくれません。練習をすることで、意図して求めたことだけでなく、意図せずやっていた行動や思考もいつの間にか身につきます。そして一度身につくと、それに対して意識としては何もしなくても、時と共に強まって身についていきます。 

 和らいで伸びのびとした自分を実現したり表現するような良い癖ならいくらついてもいいのですが、反対の良くない癖まで強くなっては困ります。 

癖の正体

 それでは、このような癖というものがどのようにして身につくのか、そのプロセスを考えてみましょう。

 練習するということは、身につけたいことを繰り返しやることで、一連の動作なり思考というものを新しい神経回路に書き込んで、多くの筋肉や思考の働きを一つの意識で動かせるようにすることです。そして、この一連のまとまったプログラムと、同じようにして出来ている別のプログラムも一緒にまとめて、新たな一連のプログラムにする、というような作業が私たちの意識と無意識の狭間で常時行われています。そのおかげで日常の多くの作業、ほとんどの作業をわずかな意識を使ってこなすことが出来ます。ですが、この大切な働きが仇になるときもあります。それが癖です。

 自分をより活かすいい癖ならありがたくそのままにしておけばいいのですが、良くない癖は困った存在です。例えばすぐに悲観的に考えてしまうとか、背スジが緩んで頭が前に出るというような癖をなくすとか修正するとかしたいと思ってもそれが一筋縄ではいかないことを誰もが知っています。一度作り上げた癖(プログラム)は消したり修正したりすることが難しい、いや、まず出来ないと言った方がいいのかもしれません。

 例えば、嫌な出来事を忘れたいと思って忘れることが出来るでしょうか。これと同じように一度作り上げたプログラムの神経回路を意図して消すことは出来ません。また、そのプログラムは一つの作業、すなわち多くの筋肉を使う一連の作業を1つの意識で動かすようにできていますから、ソフトのバグだけを書直すように、その中の一部だけを消したり修正したりすることはできません。それではどうすればいいでしょう。このプロセスを理解するなら解決法は一つしかありません。それには、良い癖を新たに覚えさせるということです。伸びのびとした心、無理のない正しい身体や心の使い方などの新しい回路を繰り返し使うことで良い癖を強く固く身につけ、反対に使わない古い回路が少しずつでも退化していくことを待つというやり方です。

 自分の求める自分になるように養うには、まず自分の身体や心の性質を知って賢く手懐けていかなければなりません。正しい方向性に気付き、そこに至る道を見出したなら、頑張るのではなく、それが自分のものになるまで繰り返し、筋肉や心の働く新しい回路を強め、そのことを事もなげにできるところまで教え込んで初めて、それが実現します。頑張ってねじ伏せてできるようなものでは決してありません。

 え~そんなに難しいの?というような話をしてしまいましたが、この話は声に限りません。成したいことがあるなら、どのようなことであれこの過程が必要です。ナチュラル・ヴォイス・ヨガではこのことに「声」という題材でアプローチしていきますが、方法さえ間違わなければ着実に目的に向かって進むだけのことですし、目的地は、元々私たちに与えられている働き(能力)を思い出すことですから、得られないのではと不安を抱いたり焦ったりする必要は何一つありません。毎日毎日毎時毎時そこに向かって歩き続ける、ひょっとしたらジョギングを続けるのかもしれませんが、見ている方向の先に生命の働きがあるなら確実にそこに向かい、いつの間にか目的の到達点を通り過ぎていることでしょう。

身体・心・呼吸

 さて、本来の方向性に気づいてそこに至るという、この正すべき対象は身体・心・呼吸ですが、呼吸は肉体や心とともに働いているので、心が変わらなければ呼吸は変わりませんし、身体が変わらなければ呼吸が変わりません。でも、呼吸が変わらなければ肉体も心も変わりません。

 この矛盾はどういうことでしょう。私達がよりよく生きるために手に入れたい「呼吸力」「心の強さ」「強健な身体」というような働きは、生命が生きるというたった一つのことのそれぞれの側面であって別のものではないので、同時に変化しているように見えるのです。生命の働きの見える面を「身体の働き」として、また、見えない面を「心の働き」として、私たちはとらえています。そしてどちらの働きもが表れている、見えないようで見えているところに「呼吸の働き」があります。このあいまいな感じの「呼吸の働き」にこそ「体感空間」というイメージを生み出す原理が隠されていて、これが心と身体をつなぐ鍵になります。

 この三つは元々同じものですから、一つが変わるということは他の面から見ても変化しています。どこからアプローチしようと生命の働きを相手にするのですから、心からでも身体からでもある意味同じことです。しかし、それぞれ人によってわかりやすい面わかりにくい面があり、また得手不得手がありますし、その上、自分を変えていこうとする作業は自分にとって分からないところに向かうのですから、ある意味いつでも手探り状態で、色々なアプローチが必要になります。それを大別して、身体、心、呼吸という三つのアプローチがある、というのが「ヨガの三密」です。

 このことを逆から見れば、身体の使い方を変えていくことができたと思っていても、それが呼吸や心に良い変化をもたらしていないなら、その体の変化は生命から見た進化したとはいえません。

 身体からのアプローチは目に見えるのでわかりやすいと思うかもしれませんが、目に見えるだけに表面的なところにとらわれやすいという面があり、ヨガのポーズがその良い例です。ヨガは身体においても心においても正しさを求めますが、身体を伸ばしたり曲げたり、表に現れた体の動きばかりに目が向いてしまい、ストレッチや軽い運動ととらえられることが多くなります。精緻なところにまで目と意識が向くなら正しいポーズになり呼吸も正しく変化しますが、ただ形をまねても正しくよい呼吸の状態にはなりません。呼吸法も同じで、吐いて吸っての順番だけやっても何も起こりません。身体であれ心であれ、確実な指標がなければ正しく前には進めません。どのようなアプローチにもそれぞれに難しいところがありますが、そこに間違いのない指針を見出すことができれば、時間がかかっても今は目に見えなくても、自信をもって進むことが出来ます。

指針はどこにあるか

 その指針は誰にとってもとても近いところにあります。私たちがああなりたいこうありたいと願う肉体や心の奥に自身の本来あるべき姿があり、行動の指標もその中に隠されています。喜びも生きがいも、何もないところから生み出すのでなく、内在している無尽蔵の喜びや生きがいを感じ取ったり、かけた覆いを取って開け放つことで得られるものです。 

 この奥にある私たちの存在の元が『生命の働き』であり、そこからの指針が常に与えられています。それは快感や痛み、食欲や性欲、もう少し突っ込んでとらえればそれは『気分』として常に与えられています。生命からの指示、神の声、自身の生きる本質的要求、などととらえても同じことです。それなら、その指針は肉体や心の中にあるのかというとそうではありません。肉体や心もそれ自身の要求を持つので、方向性をもった指針に似た行動を引き起こしますが、その肉体や心の要求とは出発点の違うもっと奥、生命そのものでもなく、生命を生み出す働きの中にこそ本質的な要求や指針があります。その『生命を生み出す働き』そのものが、自身の生命の存在理由であり、それに従って生きることが本質的な居心地の良さをもたらします。

 指針はその存在理由の中にあり、そこからは常に指示が出されていて、反すれば苦しみが生じ、悩みが生じ、それでもなおかつ造反すれば肉体も心も崩壊に向かいます。

 しかし生命の働きによって生み出された被創造物である個体がいくら造反をしても全く無関係で、生命の働きが変化することはありません。逆らうほどに存在理由とのつながりを失い、悩み苦しむだけです。

 最初の発声法の話からとんでもないところに飛躍しているように思えるかもしれませんが。発声法が特別なものではないということ、健康道であれ悟道であれ、ただつつましやかに幸せに生きていたいという思いであれ、向上の悦びにとってはどれもまったく同じ道であるといえます。

 では具体的にどのようなアプローチをすればいいのでしょう。

 一言で言えば生命(イノチ)のいうことを訊くということです。これだけが正しい方向に向かう真の指針です。例えば、笑っている時と怒っている時とどちらの気分がいいでしょう。この気持ちよさは生命の声です。好きな仕事をしている時と嫌な仕事をしている時とどちらが楽でしょう。嫌いな方が少ないエネルギーで出来ることであっても、好きなことの方が楽でしょう。この楽さが生命の声です。それなら、笑って生きればいいし、好きなことをして生きればいいということです。生きているすべてを好きなことにしてしまい、すべてに笑って生きればいいのです。
 それなら働かないで美味しいものを食べて好き勝手に暮らせば一番いいと考える人がいるかもしれませんが、それは、快さや幸せが内在するものではなく外から与えられるものだと思うからです。実のところ喜びの正体は、指針に対する行動の仕方で与えられる、生命の働きが出す報酬なのです。

 生命の働きはいつも要求や指針を発していますが、それが肉体的なことであれ心理的なことであれ、すべてが心を通して感情や意思として意識に登ってきます。ところが、身体や心自身も、生命の働きとは離れたところで癖づいた働きや意識を持つため、生命の働きが表に出てくるときには癖に支配されたフィルターを通して出て来ることになります。表に出てくるのが生命の働きからの指針だけであれば誰もが間違うことなく楽に生きることが出来るのでしょうが、私たちの心身はそのようには出来ていません。そのため、ただ思いのままとか要求のままに生きると間違いやすいのです。結局、生命の働きからの要求は「心」でも「判断する脳みそ」でも分かりようがなく、味わうとか体験するというタイプの分かり方でしか納得できません。でもそのことが分かれば常にらくに楽しく生きることが出来ます。外からの喜びも大切ですが、それよりも、いつも笑える呼吸力を養うことできっと“汲めども尽きぬ生命の喜び”を得ることが出来ることでしょう。

 生命が喜んでこそ、夢、挑戦、愛、憧れ、成功、達成、共感、などのより高く深い悦びにつながる行動を生み出すことができます。それらの行動が、心も身体も、そして呼吸もここで話しているような状態にならないかぎり、その悦びも生じてきません。これこそが楽で悦びにあふれた人生のための原則です。

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