ナチュラル ヴォイス ヨガ

最高の生き方

2014年 2  月号 No.173

 ナチュラル ヴォイス ヨガは沖ヨガを受け継ぐヨガであると同時にヴォイストレーニング法でもあります。単に声が良く出るというだけではなく、心身の気の流れを統制する、“本当の意味でのよい声”を求めるヴォイストレーニング法です。

 体の使い方そして呼吸を誘導することができれば、伸びのびとした良い声を出すことはそんなに難しくはありません。今までやってみた方はみんな、少し手伝うだけで今までに出したことのないような広がりのある声をその場で出します。これを独力で再現するにはそれなりの勉強も必要ですが、そのときその場で短時間(2~3時間)のうちにそれを実感することができるということは、誰の中にもそのような呼吸と声の能力、気を統制(呼吸コントロール)する能力があるということです。
 でも、声を使って呼吸や体の使い方を誘導して自分や他の方の声がよく出るようになればそれでいいのでしょうか。いいえ、私としてはそれでおしまいではありません。

 歌を歌う人なら、声が出やすくなることはとても重要ですし、歌手でなくても歌いやすくなることは楽しく、人生の潤いが増えます。また伸びやかな声でイメージアップしたり対人関係を良くしたり、というような色々なメリットが考えられます。でもそれらの変化は、声という切り口だけで見たときのものです。そこでそれらの変化を次々と新しい切り口で観ていくと、つまりその変化を身体の使い方や呼吸、そして心の変化という切り口で見ていくと、それは結局ヨガの説く人間の生き方に行きついてしまいます。そこが何十年か私がヨガで声が良くできるのではないかと求めて得た気づきのひとつ、拙著《-本当の自分と出会う-ナチュラル ヴォイス ヨガ》の前書きに書いたことです。

 声とヨガを追及するうちに、その境界がなくなってきました。ヨガで教える体や心の使い方そして呼吸の方法は、良い声を出すための方法と全く同じでした。
 本来の自分の声を求めることを通して心と身体の調和を実現し、人生の目標に近づく生き方をしていくこと、これもヨガの門の一つであったのです。そしてそれをナチュラル ヴォイス ヨガとして実践し、又指導していく中で母音と体の使い方の相関関係に気づき、「母音メソッド」が生まれました。
 この母音メソッドを応用していくと“こんな声が私にも出るんだ!!”と驚くような声を、生徒たちの誰もが簡単に出すことができます。これは、声が良くなるということが特殊なことではなく、人間の当たり前の営みの延長上にある
ということの裏付けであると思います。《-本当の自分と出会う-ナチュラル ヴォイス ヨガ》の前書きより

 ヨガは“人間として最高の生き方をしましょう”という提案をしています。
 何千年もかけて多くの人の経験と直感によって最高の生き方をするための考え方、メカニズムとノウハウを提供してくれているのです。それも、こんなにすごい情報を何の代価も求めずにです。

 ヨガの教室に通うには少し費用が掛かりますが、それよりももっともっと安価に数冊の本の中に書かれているのです。もちろん本は選ばねばなりませんし、研究しようとすれば何千冊読んでも足らないでしょう。しかし、何をどうすればよいのかということはとてもシンプルに表現されています。簡単ではないかもしれませんが、いくつかのことを自分の心身に訓練させてクリアしていくと、こんな境地になりますよと書かれています。そしてそれが人間としての最高の状態です、と全体像を提供しています。

 それは見えない世界、現在の自分には分からない世界かもしれません。でもその全体像の地図に従って少しずつ歩んでみて、自分がどのように変化するか、いや、どう変化したかをふりかえり、それが自分にとって好ましいものであれば、もう少しその地図に従って歩いてみようと誰もが考えることでしょう。私はそう思いながら、進歩の速さは関係なく、やっていることとその結果が自分にとって好ましく感じられるので、現在もその指針を目安にして生きています。その目安がどこを向いているのかというと、それがより豊かな心の状態なのです。その行きつくところはきっと、「最高の生き方」です。

 それを「悟り」という人もいるだろうし、「最高の喜びを得て生きる」という人もいるでしょう。自分の能力を最高度に高めて生きること、最高に他と和合すること、神と一体になることなど色々な表現がされています。この中の「最高の喜びを得て生きる」ということばが私にはしっくりきます。悟りとか神というと私には難しすぎてしり込みしてしまいますが、「喜び」という言葉は親しみやすく気持ちも和み、取り組みやすく感じます。ですから、声を変えていくということを題材にして少しでも「最高の喜びの世界」に近づきたいというのがナチュラル ヴォイス ヨガの目的なのです。そして、現実に自分も他の人も、声が変化してより自分らしい声が出ると同時に気分が良くなったり綺麗になったりするのです。誇張ではありません、レッスンをしている女性が本当に綺麗になって一瞬呆気にとられることも度々です。
 会報の各頁に“自分らしい生き方が人を健康にする”と書いていますが、このような例を見るにつけ、自分らしいということがいかに大切なことかがよくわかります。

 次に、声で気を統制するとどうして心や体を変えていくことができるのかということですが、これが分かるために大切な根本的なモノの捉え方があります。

 それは、「心身一如」という言葉にあらわされています。別物であるように見えている心と体は一つのモノであるかの(ごと)しであるといっているのですが、私たちにはどうしても同じものには見えません。脳みその構造上このことを直接把握することができないのです。
 頭(脳みそ)は色々なことを記憶したり判断したりすることができますが、頭ではどうしても把握できない不得手な分野も多くあります。それをあたかも分かっているかのような錯覚、いわば思い込みを持ってしまうことが往々にあり、そのために本質が見えなくなっていることが多々あります。

 例えば、「永遠」とか、「無限」などという概念はそれなりのイメージを持たせてはくれますが、そのイメージは常に「有限」であり、「限られた空間と時間」の中でのイメージしか持つことができません。でも、「無限の宇宙」というようなイメージを頭が描き、そのイメージが本当に「無限の空間」であるかのような錯覚を持ってしまうことが多いのです。

 それとよく似た勘違いの一つですが、あるモノや事象を把握するとき、“そのモノ自身”を、“それ”として全体把握をすることができていないのにそのつもりになっていることが多いのです。脳みそはそのような作りであるということを普段の生活の中で認識しにくいのです。

 私たちはリンゴというものをよく知っているように思っていますが、知っているのはその形、色、重さ、味、値段、香、などなど、リンゴ全体を把握しているのではなくその一部である切り口をたくさん知っているのです。たくさんといってもそれこそ無限にある切り口のほんのいくつかを把握しているのです。そしてその切り口を集めることで全体把握に近づきはしますが、けっしてリンゴそのものを直接把握することはできません。

 これは、同じものを映す角度によって形の変わる影絵のようなものでもあります。影絵の元になっているものを障子の向こうに見に行けば一目瞭然ですが、影絵から元のものが何かを知ることは難しいでしょう。でも、色々な角度からの影絵を見れば元のものが分かるかもしれません。心が体に影響したり、体が心に影響したりすることも同じです。同じ血液、同じ神経を使って心と体のそれぞれが別々に働いているようにも見えるのですが、実は心も体もそれぞれが「私」という「実体」の一つの側面であり、同じ一つのモノを別の角度からみた姿であるということがわかります。

 これと同じように私たちが人を見てその人の体や心や魂、というように見るのは、本来別々ではない「人」という実体の色々な面、色々な切り口の一つとして心があり、また体があると観ているのです。心が体に影響するというよりも、もともと心も体も同じ「人」の別な切り口を見ているに過ぎません。でも、このように理解をしてもやはり心と体は別なものとして見えているということに変わりはなく、これが頭の限界です。限界が分かっているならそれを克服するよう、まず分かったつもりにならない、わかったふりをしない、そしてできる限り切り口を増やしていくことが必要なのです。私たちが真実に近づくためにはその側面または切り口をたくさん持つことで、少しでも元の「実体」に近い把握に近づくことが必要なのです。

 このように見ていくと、声や顔つきであれ、体の部分やちょっとした仕草であれ、すべてその「実体」の切り口でしかありません。そしてこれを逆から捉えれば、一つの切り口から全体・実体に迫ることが可能だということです。昔からの人相学、経絡、関連部位、などもそのようなアプローチです。

 もちろんこのような手続きを踏まないと物事の把握に近づくことができない”ドジな頭”を使わず、すべてを直接に完全に把握する全く別な途があるかもしれません。「自他一如」を把握体感するというのはそのような世界を表しているのかもしれません。

 説明が長くなりましたが、このような観点に立てば、声も「人」・「私」・「あなた」の一つの切り口ですから、声が変化するということは心も体も変化しているということが当たり前のことなのです。でも体がどのように変化すれば声がどのように変化し、またどのような声がどのような体の使い方をしているのかなど、その因果関係を知るにはそれなりの研究や経験が必要です。

 何はともあれ、このような把握を実生活に応用すれば、声に限らず生きている全てを使って自分を見つけ自分を変革し、すべてのことを「最高の生き方」に結び付けていくことができるのです。

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