沖ヨガ道場の一日は、体を使い頭を使いまた体を使い、屋内・屋外、動・静、ハードな行法・ゆったりとした休憩。風呂一つとっても、温浴、冷浴、温冷浴、薬湯浴と、バラエティに富んだ色々な刺激を次から次へと与えられます。
温める刺激の後は冷やす刺激を、動いた後は静かなことを、講義があれば次に自分の思いや考えを原稿用紙に書きだす、というように、常にバランスをとることを意識したプログラムでした。でも受講生の適応力を高めるため、次が予測できないように、決まったプログラムにならないよう工夫もされていました。
色々な行法の中でも、沖先生の指導する《強化行法》や《冥想行法》は迫力があり、「今から強化行法!」と研修生の大きな声の伝達をきくと、きりりと身が引き締まりました。
もうひとつの極めつけは《笑いの行法》です。多い時には100人~200人近い修行生がいたと思いますが、全員を道場に集め、「いまから笑いの行法をやる、さあ笑え~」と沖先生が掛け声をかけます。そうすると、リード役の研修生たちが大声で「あ~っはっはっはっは~~」と笑いだします、しかし、受講生たちは急に笑えと言われても戸惑いがあってすぐには笑いだしません。
沖先生は「こんな風にやるんだ~」、とお腹をかかえて全身で大声で笑ってから、皆を床に転がらせ、怒っているのか笑っているのかわからないものすごい形相で、「笑わんか~」とどなりながら、皆の腹を竹刀で小突きまわるのです。
怒鳴られて笑わんか~と言われても全く可笑しくないですから、皆仕方なくなく気の抜けた笑い声を出し始めます。可笑しくもないのに笑えるものかとずっと突っ立っている受講生もいます。そんな人に、沖先生は「このやろー笑わんか―」と突き飛ばして転がしています。私を含めた多くの受講生は殴られたくもないし、まあ笑ってみるかと腹を抱えて笑ったふりで「はっはっは~」と笑っていました。
ところがです、面白いことに、そんなことをしている自分が面白くなってきて、いつのまにか本当の笑いになり、心底腹から笑っているではありませんか。周りの人たちも同じような様子でだんだんと全体の笑い声が大きくなってくるのです。集団心理のちょっと特殊な心の状態もありましたが、そこにいるほとんどの受講生は、笑っているうちに本当に可笑しくなるということを身を持って体験したのです。
道場に行くたびに笑いの行法がありましたが、2回目以降は率先して大声で心底腹から笑うようになりました。
別なところで、沖先生が講義の時、「可笑しいから笑う、悲しいから泣くと思っているだろう。」「笑うから可笑しいんだ、泣くから悲しいんだ。」ということを言われていました。どちらが先ということではなく、《心・体・呼吸の三つが一体のものである》ということをこの笑いの行法で教えていただき、笑う力も能力であるとその時気付くことができました。
同じように、《喜ぶのも、幸せを感じるのも、全てその人の能力である》ということがそのときに分かり、それ以来生き方が変わったように思います。
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