沖先生の思い出

沖先生の冥想指導 1

  沖先生の冥想指導を懐かしく思い出したので皆さんにも紹介します。50年近く前の話で、道場での冥想行法の体験についてです。冥想そのものについての話はまた別の機会にします。

 沖先生の冥想指導は強化法や質疑応答と同じく、とても迫力のあるものでした。先生の指導を受けるまでは、冥想というのは、意識がぼんやりしてボーっとしている状態だろうと思っていましたし、また、本を読んで一人でやっていたときはそのような状態になっていました。

 ですから、沖先生の指導する冥想行法の時間は青天の霹靂、え~っ! これが冥想なの? とびっくり仰天でした。 冥想に限らず、沖ヨガ道場の中ではどの行法も驚くことばかりでした。また、講義や質疑応答の時には、「冥想と瞑想とは全くの別物だ、瞑想は目をつむって想うことだが、冥想の冥は広い深い世界のことであり、冥想は広く深く感じることだ」といわれ、「すべての活動を冥想行法として行うのだ」とも言われていました。

 ヨガを独習し始めて数年、それなりにポーズや呼吸法、そして瞑想法などを自分なりにやっていましたし、それで健康度が高まっていましたから、自分のやり方に何の疑問も持っていませんでした。もちろん、「サマージ」がどんなものだろうか、「悟り」ってどんな状態になるのだろうとか、想像はしましたが、きっと遠い世界のことだろうと思い、冥想が重要とはさほど意識していませんでした。

 そして、半分腕試しのつもりで静岡県三島市の沖ヨガ道場に入門したところ、ヨガについて、ヨガ道場について、健康観について、自分自身のことについて、生き方について、何から何まで先入観を壊され続けました。

 初めて道場に入って数日、体は筋肉痛で結構つらかったのですが、研修生が指導する冥想指導はプレッシャーもなく、自由な感じで気分よくやれていました。 

昼間の場合は、《黒点冥想》といって、各自で白紙に直径6~7センチくらいの丸を書いて黒マジックで塗りつぶし、それを壁の目の高さに貼り付け、1.5~2メートルくらい離れて座り、その黒点を凝視するという方法でした。

 夜の場合は《ローソク冥想》、受講生が一本のローソクの周りに円座になり、電気を消して、揺らめく炎をじっと凝視するというものでした。 禅寺のように長時間座ることはありませんでしたが、きっと集中力を保てる時間にしておくことで、より効果的に集中力を身につけるということだったのだろうと思います。

 ただボ~っとするのではなく、しっかり目を開けて何かに集中して行う冥想はとても新鮮でしたし、心も体もクリアになりとても気持ちの良いものでした。ところが、何日目かの夜、多分10時か11時頃、そろそろ就寝だろうと思っていたけっこう遅い時間に突然、「冥想行法~」という研修生の声が響きました、エッこんな時間に? と一瞬は驚きましたが、いつもの突然行法だ、急がなくっちゃと皆が集まり、火のついたローソクの周りに座り、「冥想行法の誓い」を皆で唱和します。どんな言葉を唱えるのか紹介しておきましょう。

冥想行法の誓い

人間の一番正しい状態、それは自然であることです。
自然であるとは、調和のとれていることです。
調和のとれている時には、安定しており、平静を保っております。
私たち人間の一番陥りやすい状態、それは偏ること、とらわれることであります。
でありますから私たちは、意識的に逆の状態の訓練をして、
バランス維持の働きを高めなければならないことに気づきました。
ただ今より、とらわれない心身を造る修業の、冥想行法を行わさせていただきます。
心身の統一と放下の訓練を通じて、自己を無にすることを誓います。

 と、この言葉を皆で唱和した後、結跏趺坐でローソクの炎に集中していると、そこに沖先生が入ってきました。

 禅寺ならここで警策を受けるところなのでしょうが、先生は強化法のときと同じく竹刀を持って、「頭で天を突け」とか、「肩を下げろ」などと一人ひとりの前に立って声をかけていきます。

 輪になった向かいあたりの受講生のところにきた時、大きな声で「丹田に力を込めろ」というなり、その男性の胸を竹刀で突いたから大変、後ろにドーンとひっくり返ってしまいました。

「肚に力を込めろ、力がこもってないと転ぶぞ!」と言いながら次の人の前に静かに立って座り方を見ている。

 えーっ! すごいことをするんだ、丹田に力を込めなくっちゃ。と、なんだかよくわからないけれど、竹刀で突き飛ばされたくないものだから、頭や肩や腹や胸やと、言われていることを全部やろうと一生懸命でした。

 何人かが竹刀でひっくり返された後、ラッキー?なことに私の番まで来ないうちに、先生はちょっとイラついたような声で、「えーい、みんな立て~! 二人組みで並べ!」と大声で指示しました。

 そのときの冥想行法に使っていた部屋は、建築途中というわけでもなかった沢地(三島市のなかの地名)の道場の二階にありましたが、その部屋の端は壁も柱もなく、一階の大部屋に飛び降りるのに何の障害もない切りっぱなしになっていました。意図的にそのようにしていたのでしょうが、電気をつけないで入ってきたら転落間違いなしの構造です。

 そして二人組の一方をその切りっぱなしの端に立たせ、下に見えている一階の方を向かせておいて、もう一方が少し離れたところから助走をして腰の下部に後ろから「跳び足蹴り」をするというのです。

 蹴られる側が切りっぱなしの部屋の端に一列に並んだところで、「蹴られた奴は片足1歩踏み出すことだけで受け止めろ、2歩出すと落ちるぞ、顎を引け、腰を落として肚に力を込めろ、後ろの奴は手加減をするな」と、とんでもない注文です。

 後から蹴られてオットットと2歩前に動いてしまえば、3メートルはある一階に落ちてしまうのです。落ちて死ぬことはないでしょうが、変な落ち方をすると怪我をしかねませんから、エ~ッ まじ~? でも、これまでの数日の沖先生の指導をみれば冗談などあるわけがないのは身に染みてわかっている。怖じ気て逃げ出すこともできない、やるしかない。

 「よーし そうと決まったらやったるで~」と心を決めて、端から一歩のところで腰を落とし、いつ来るかわからない後からの 蹴りに備えて、顎をグッと引きつけ、ムゥーンと肚に力を込めて待つことしばし、突然、ドーンとむち打ちになりそうな強いショックが全身に走ったけれど、右足を一歩踏み出しただけでなんとか耐えて踏みとどまりました。

 女性は、まずは蹴り役にまわり、交代して受け側になったときは、後ろの蹴り役は走らずに足で押すだけにしてもらえという指示が出ていました。見ていると女性は手加減せずに蹴り飛ばしていますが、男性はそうはいきません、いくら先生が手加減するなと言っても、自分が力一杯蹴ったら相手はきっと本当に下まで吹っ飛んでしまうだろうと思えるので、やはり皆適当に手加減をしていました。

 「顎を引け」ということも何度も強く言われたのですが、受講生の一人が、どうも顎を引くという意味が分からなかったらしく、蹴られたとたんにアゴが上がり、本当にむち打ちになってしまいましたから、道場では気を抜いてはいられません。しかしこの緊張感こそが大切なことでした。

 次は相手を後から蹴る側にまわり、何度か交代してやりましたが誰も下には落ちず、その緊張感のあるままもう一度ローソクを囲んで座ると、しばしの喧騒が嘘のように静まり、今度は素晴らしく安定して集中し、沖先生も緊張感を与えるための強面の必要がなくなって怖さがなくなり、とてもクリアに気持ちよく座っている自分がありました。冥想はボーっとしているものではないということが真底分かった瞬間でした。

 この部屋は2階から飛び降りて前に転がり、落ちるショックのエネルギーを回転に変えて衝撃を減らすという、レインジャー部隊さながらの強化法の訓練にも使われていました。

 この後も何度も道場に行き、冥想行法の指導も数多く受けました。また今度そのお話をします。

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