2014.03.22
痛い処に手を当てる。
歯が痛いと頬に。
肩が凝るとつい肩に。
というように、私たちは無意識に、痛い所や、不調のある所に手を当ててしまいます。
此の手当がすばらしい効果があると、きっと潜在意識で分かっているのでしょう。
先日の個人指導で背骨を読むということを少し取り入れました。
背骨の何番はどこどこに関連しているので何番に刺激を入れて不調を整えるというのが目的です。
お互いの背骨を見ながらさわっているうちに、
ふっと昔ある先生に、「何番等と探していたら、こちらの緊張が、相手に伝わり緩めない、こちらが緩んで感覚を研ぎ澄ませば勝手に手が悪い所にさわってしまう状態になるのが良い」と云われたことを思い出しました。
その当時は、とにかく弛むという練習をしました。
2時間のレッスン中、徹底的に、自分で緩めるという訓練を先生の誘導の元で行じ、
半分あちらの世界へ行っているような時間を繰り返し持つうちに、
相手との感応現象があらわれ、とてもクリアに物事が感じられるようになっていました。
今、自分が実際に治療する時には、スッと緩んで
勝手に手が持って行かれるところで、愉気をすることが多いです。
しかし、教える時には、理屈も必要かとつい思ってしまい教えてしまう訳です。
その日も実際に打ち身を負っていたTさんには結局手当(愉気)をしました。
手当をする時に大事なのは欲を持たない事です。
治って欲しいとか、痛みを取って欲しいなどと、願いを込めることは禁物です。
命の働きは人の欲望などに反応はしません。
「相手の命の働きにお任せするのです」相手の命の働きが最大発揮されるよう、
こちらも無心で相手の命と向き合います。
お互いの気の感応は、鈍感ではなかなか感じられません。
采佳ヨガでは、敏感な状態を作る練習に、「合掌行気」をして
手を育てるということをします。
指導者のNさんは前回の個人指導の後から「合掌行気」を続けているということで、
もともと敏感な彼女はとても良い手になってきていました。
ちなみに「愉気」というのは愉快の愉です。
命の働きは「陽の気」が「元の気」なのです。
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