自分らしく生きる生き方そのものが人を健康にする

NVY-intro48

ナチュラル ヴォイス ヨガ入門 48

 和気愛会 2018年 2 月号 (No.221)


 何十年も前のことだけれど、車の運転席に座った時、その一瞬だけ、座ってもたれているまま身体が統一され、とても軽い。 そんなことを感じている時期がしばらくあった。
 背筋(せすじ)が楽で呼吸が気持ちいい、身体がとても軽く自由な感じがする。身体がまとまった感じがあってとてもいい気分だった。 頭の天辺の髪の毛を掴んでヒョイと持ち上げられると、運転姿勢そのままで体が浮き上がるのではないかと思えるくらい体が軽いのだ。

 この頃はすでに、統一体、統一心、統一息(調和息)、という沖先生の言葉を自分に実現すべく一生懸命だったのだ。 この、一瞬生じる“感じ”をなんとか維持し自分のものにしたいと思うのだけれど、それを持続することができない。

  シートに座って背もたれにもたれたままだし、その他のところも身体の力の入れ方は何ひとつ変化させないようにしているつもりだ。 でもいつのまにか身体の軽さがなくなっていく。背中のスッキリした感じも胸や呼吸の楽さも、いくら工夫をして色々とやってみてもどうしても消えてしまう。

 今考えればその理由はよく分かる。 テキパキと動いているときには体の中も結構躍動的に動いており、いわゆる“生きた状態”になっていた。 そして、ドアを開けて運転席に着いたその時にはまだ体の中の躍動感が残ったまま静止状態になっていたのだ。 要は、“それ”が残っている間はとても体が軽かったが、時間と共に体の中の躍動感までが沈んで静止してしまっていたのだ。

 仕方がないのでその時はあきらめるけれど、また次に運転を始める時には、座った最初はまたその気持ちいい状態が生じている。でもすぐに消えてしまう。 毎日その繰り返しだった。

 当時は、なぜ自由感が生じたり消えたりするのか分からずとても不思議な感じだった。
 でもどうにもできなまま、いつの間にかそんなことがあったことすら忘れていた。

 先日、駅のホームで電車を待っていてなぜかふとそのことを思い出した。 そして今なら“あの感じ”を自由に再現できる、と思った。
 それは、背筋に気が通り、肋骨が高く、首の力が抜け、肩の力が抜け、胸が柔らかい。要は私が毎日自分に課している呼吸の状態そのものなのだ。

 ドジな身体と心だけれど、昔どうしてもできなかったことが今はできるようになっている。 ああだこうだと紆余曲折しながらでも少しは変化、いや進化してきているのだ。
 心の軽さ、身体の自由感、生きることの楽さ、生活の楽しさ、仕事の面白さ、全ては呼吸の状態で決まる。 深く気持ちのいい呼吸をしていることがすべてのコツと言われていたことがそのまま納得できる。
 
 このような身体の感じ方として、もう一つ大切なことを若い頃に教わっていた。 それは野口三千三先生が提唱していた身体の感じ方だ。

 私は野口先生から直接に学んだことはないけれど、50年以上も前、東京芸大の声楽科の学生で、野口先生から体操を学び実践している少し歳上の先輩がいて、その人が大阪に帰って来る度に、その体操、すなわち“こんにゃく体操”と、そこから生まれた“こんにゃく発声法”を教えてくれていた。

 その先輩というのは、私が音楽大学に行こうと思い立って、それまでラテンソングを習っていた先生に声楽を習い始めた、その先生のところの兄弟子だった。

 今は“野口体操”といっているけれど、当時はその体操を“こんにゃく体操”と呼んでいた。 コンニャクのように柔らかく弾力のある体の使い方を身につけなさいと言うことだったのだろう。その先輩は後に、“こんにゃく座”というドサマワリのオペラ劇団を作り、日本語のオペラをレパートリーにして、野口先生の好きなサーカス団のように、日本中の学校をバスで生活しながら巡業していた。 そしてその先輩に習った最初の身体に対する感覚がそのまま、今も深めて行きたい感覚なのだ。

 身体を、水がいっぱい入った柔らかい革袋だとイメージする。
 木の丸太が立っている状態なら横から押せばズレるか倒れるかしかない。しかし水の入った革袋なら暖簾に腕押しのように、抵抗もせず負けもせずに力を吸収してしまう。身体の重さは床に任せ、かかる力は流して安定している。 そんなイメージを自分の身体に実現していく。

 そして次に、学校の理科室に置いてあった人体の骨格模型を思い浮かべて見る。 そこに立っている模型は心棒にぶら下げられ、隣り合った骨を針金で固定してあるので人体らしく見えるし、自立しているように見える。 でも実際には、生きた体の中で骨はきっちりと固定されているわけではない。
 身体の中が、水でチャポチャポしているような状態なら、バラバラの骸骨もその中でやはりチャポチャポと浮いているような状態だというのだ。

 骸骨をそのまま外に出して来たらただ潰れて重なりあってしまうだけで、骨格という固い枠組みは存在できない。 私たちの自分の身体に対するイメージは、模型の骸骨の周りに肉を付けたようなイメージを持っていないだろうか。それが知らず知らず自分の身体の使い方を固くしているというのだ。
 体を動かしているというよりも、固定されていない骸骨がユラユラと動いていると捉えることで体に対するイメージは大きく変わる。 

 この感覚はとても分かりやすく自分の身体に対する感じ方や使い方に大きな影響を与えてくれた。 しかし大きな落とし穴もある。自分のイメージは自分の現在の身体の使い方の中から構築されていくので、今現在固まっていて動いていない場所そのものを自分で発見することが難しいのだ。体の使い方の分かっている人がその指摘をしてくれれば発見可能だけれど・・・

 私自身は、いかにも全身を脱力したように、コンニャクのようになったつもりで動いても、そこからはどうしても喉に力の入った声しか出てこない。今から考えればその原因は簡単なことだった。

 胸が潰れた状態を胸の力が抜けた状態と勘違いしたまま徹底的なトレーニングをしたために胸に力の入った状態に固まり、結果として喉が閉っていたのだ。

 そこでその先輩は「ウガイみたいな声を出すんじゃない ‼」と強く言うだけなので、できない私としてはただ落ち込むしかなかったことを覚えている。

 でも最近、背骨で気を引上げ、吸気で気を引き下げ、肩の力が抜け、肩甲骨が締まり、胸が柔らかく高く広がる、という感じを生徒にレッスンをしていて、これこそがあのとき要求されていた、肋骨がチャポチャポと水の袋の中で浮いているような感じそのものなのだ、“こんにゃく体操”の最初に教わった感覚はこのことだったのだと思ったことでした。

 その先輩に習った体操の一つに、ピョンピョン飛び跳ねて体の中を生かすように動かす体操があった。 胸椎に異常を持つ私はそのやり方を間違え、方向性を大きく取り違えてしまっていた。 しかし当時はその間違いに気づくことはなかった。

 ピョンピョン飛び跳ねて、肩の力を抜く体操と私なりに理解して、毎日毎日何時間もピョンピョン飛び跳ねていたおかげで、脚はとても強靭になり、石でゴロゴロした河原を、石の上だけで跳んで走り抜けたり川を渡ったりが楽々できるようになってしまった。

 たしかにある程度いいこともあったのだが、その体操の意味、真に求めているところが全く理解できていなかった。 体の中が水のように、崩れたゼリーのように、ある時は鞭のようにも強くしなり、また、必要ならナマコのように瞬時にカチカチにもなることもできる。 体の感覚は 縦横無尽に状況に応じて変化する。 そのためには決して固めない使い方を覚えることが大切だ。

 屈託なく子供がピョンピョン飛び跳ねるような、体の中で肋骨が踊っているような、そんな柔らかい身体と呼吸の使い方こそが求められていたのだ。
 運転の初めに感じた体の軽さというのも体の中が躍動的に生きた状態になっているかどうかの問題だった。

 ヨガよりも先に覚えた“こんにゃく体操”だったけれど、この野口先生の言われる体の使い方はとても高度だ。体の調った人なら比較的簡単に感じ取り、その感覚を磨いていくことも難しくないのかもしれない。でも体の色々なところが委縮して固定化している人間にとっては、その感じ方を自分のものにすることはとても難しい。

 なにしろ感覚だけだから、自分がそう感じることが出来ていると思えば、正しかろうと間違っていようと、今感じているその感じ方の方向で追及していき、下手をすればとんでもないところに行ってしまう。

 私が覚えたやりかたは、その先輩が自分の課題を私たちにも求めただけのものなのかそれは定かではないが、野口先生の求めたやり方そのものが、最初からその究極の状態そのものを求めるようなやり方なのかもしれない。

 だとしたら、これは誰もが簡単に身につけたり、取り組んだりできる方法ではないだろう。 その意味ではヨガは、これだって十分に難しいが、もっと全体的で総合的なので、その気にさえなれば、様々な条件下にある誰もが取り組むことが可能な方法だと思える。

 私としては、どんなアプローチをとろうと、難解にすることなく、いい加減に端折ることなく、知ったかぶりをせず、誰もが快い生き方を手に入れることが出来るように、分かったことを伝えていきたいと思う。



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