自分らしく生きる生き方そのものが人を健康にする

NVY-intro41

ナチュラル ヴォイス ヨガ入門 41

 和気愛会 2017年7月号 (No.214)

身体を追及して本来の使い方を取り戻そうとするだけではヨガの目的に到達することはできない。 心を追及してもそれだけではやはりだめだ。

身体と心と呼吸という全く違うように見える別な観点から、3次元的に立体的にアプローチしてこそ目的に到達できる可能性は格段に上がる。

そこで、心のあり方が大切だということを私としてはいつも考えている。沖先生は心7身体3でやるんだと言われていた。でもこの欄に書いていることは、ほとんどが身体の使い方や呼吸のことばかりのように思える。 なぜだろうと考えてはじめて気づいた。

心を制御しようとすることは、もちろん簡単なことではないが、これが自分にとって余りにも当たり前の作業になっているからだ。できないまでも、“このようにありたい” というイメージが明確で強く、そのためには日々自分を見つめ、気づきを得てこそ少しづつでもそこに向かうことが出来ると考えているからだ。

そのことがあまりに当たり前になっている。
そして、その意識、その思い、そのエネルギーそのものが、身体の使い方や呼吸の在り方への新しい力を生み出している。

例えば、いつも伸び伸び生きているか? 面白くてしかたない生活をしているか?

貪らず、金も食事も与えられただけで満足しているか?

生命に訊いて食べているか?口当たりの良いものばかり口にしていないか?

人から取り立てられたい、有名になりたい、偉いと思われたいなどなど、人からどう思われるかで行動していないか?

愛ある心豊かな行動を取れているか?

見返りを求めて行動していないか。
うらやんだり嫉妬したり、憎んだり怨んだりしていないか?
自分の利ばかり求めていないか? 取り込もうとする分与えようとしているか?

誰であれいいことをしているならそれを真似ているか?

人のふり見て我が振りを直しているか?

ひとをバカにするよりも、もっとその人のいいところを見ることができるか?

思うことは躊躇なく行動しているか?

心のこだわりを見つけて、それをサラサラと流すことが出来ているか?

積極的になれるような姿勢になっているか?

積極的な心を保てているか?

物事のいい面を見て良い解釈をすることが出来ているか?

心の歪みを作りにくいような姿勢をとれているか?

そして、沖先生に与えられている課題、感謝懺悔下座奉仕は私の生活の中で生きているのだろうか、もう一つ、ヨガの指導をするからには“本当に正しいこと、体験したことのみを説きなさい” と釘を刺されたことを守り通しているだろうか?

などなどいくら挙げてもきりがないが、こうやって改めて取り出してみると、どれもこれも中途半端にしか出来ていないことばかりだ。 でもこんなことを思い、そのように行動したいといつも思っている。

このエネルギー、即ちもっと解放されていたい、もっと伸び伸びしていたい、どんなことがあってもこれをあきらめるものか、という思いが背筋をのばしてくれる。肋骨を高くしてくれる、吐く息に力を込めてくれる。

新しい体操法や呼吸法を年中生み出し、それが自分の心身を変化させているが、問題はノウハウではなく、求めるエネルギーそのもの、心のエネルギーのようだ。 何であれ自分の本来の姿、伸び伸びした姿をイメージしていてこそ体操法も呼吸法も生きてくる。

今から思えば苦しい10代を過ごしたが、その辛さが心の救いを求めさせた。 ヨガの捉え方に初めて接したときには『これだ!』と思い、また少しして沖先生の教えに接し、『これで解決した!』と思った。

50年もかかって少しずつ実現してきていることを実感する程度のことだが、あのとき、どうすれば良いのか、自分のすべきことがわかった。 自分のものにするには時間がかかるかもしれないが、やりさえすれば自分のものにできるという確信を持てたことは救われたのに等しい。

心身の解放を求め、何かしら心掛けているだけでも心が楽になる。体が楽になる、気持ちがよくなる。 ましてや、こんな思いと行動が一致するようになれば、ジレンマがなくなり、接するあらゆる人達が自分の味方になり、気付きと喜びを与えてくれる存在になるだろう。



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