自分らしく生きる生き方そのものが人を健康にする

NVY-intro40

ナチュラル ヴォイス ヨガ入門 40

 和気愛会 2017年6月号 (No.213)

少しずつ表現は変わってくるが、毎回同じことを書いているような気がする。 今の私にはこのことしか言えなくなっているのかもしれない。

お腹に力を込める。足腰に力を込める。肩や胸、上体の力を抜く。これらのことが大切だということを情報としてはけっこう多くの人が知っている。たしかにとても大切なことだし、そのようにできなければ体を正しく使うということができない。

腹(肚)に力を込める、胸の力を抜く、言葉にすればたったそれだけのことなのだが、それが簡単ではない。それができないから姿勢がくずれ、身体の感受性が鈍くなる、ひいては心の感受性まで損なわれ、心も身体も調子が狂ってくる。

このことを知っているつもりでいる人も、簡単ではないから上手くできず言葉倒れになりやすい。 そこには知識と実践のギャップがある。 ましてや知らない人は姿勢の正否が健康だけでなく、『生きている』ということの質を決めてしまうほどの重要なファクターとは夢にも思わない。

人は何万年も生きてきて、数えきれない程たくさんの人が生まれ、そして死んでいるけれど、その中には生命の真実に触れ、また把握した人たちがたくさんいたことだろう。その把握をした方たちの中には、出し惜しみをしないでその真実のところを伝えた人がお釈迦様だけではなく数多くおられたことだろう。何万年という時間は、生命の真実についての貴重な情報が人類の隅から隅まで浸透するのに十分な時間ではなかったのだろうか。

何が違って私たちの住む世界ではその真実が当たり前になっていないのだろう。 宗教やヨガではそのことが伝えられるべきなのに、その役目を担っているはずなのに、ここですらその真実は隠れている。 これだけたくさんのヨガ教室とたくさんのお医者さんがいるのに、なぜまだ病人が増え続け、なぜサプリの会社が増え続けるのだろう。 結局、実践を伴わない真実の言葉は日々の糧を稼ぐためだけのノウハウに貶められてしまっている。

「背筋を伸ばせ」 「顎を引け」というような基礎的なことは、昔は学校でも家庭でも当たり前に子供に要求していたのに、いまではそんな言葉も世の中から消えてしまうのではないだろうかと危惧する。 この70年で、軍国主義や国粋主義に対する反動が人間として必要なことまで失わせてしまったのかもしれない。

私の子ども時代にはすでにその風潮があったのだろう。人間の生き方として心の姿勢を正すという教育は受けたが身体の姿勢を正すということは最重要事項としては扱われていなかったように思う。そのせいだろうか、私の場合は、ボディワークや発声法を習う場で「余分な力を抜け」「胸の力を抜け」と言われてもよくわからなかった。

結局、要求されているそのことを、「背骨の力を抜いて胸を下げた状態」であると思い込み、その思い込んだ感覚を正しいと信じたまま体を使い声を出していたのだが、その期間がとても長かった。

「芯に力を込めて側の力を抜く」とか、「上虚下実」とか、頭では分かっているつもりなのに、身体の感覚としては間違った状態のイメージに向かって、それも一生懸命にやるからなお始末が悪かった。
きっと色々な人が自分の中でそれぞれ間違ったイメージを持っていることだろう、イメージが自然の理に適っていたら病気もしないし、怪我もしない。

世の中には、健康に良いとする体操や身体の使い方、治療の極意だとかがあふれかえるほどある。でもたくさんある割には真に健康な生き方をしている人がたくさんいるとは思えない。それらの方法はそれぞれに独自のやり方を持ちそれなりの効果があることだろう。でも生命の持つ力を十分に発揮できるような心と身体を本当に作ろうとしているのか。一人ひとり顔も身体も違い、生きてきた過程が違うのに一つのノウハウで人が正しい方向に変わることが出来るなどということがあり得るだろうか。

その人に合った、その人にとって正しい方向に変化しなければ真の健康が得られるはずもない。
本当に必要なのは、自分に必要なことを見つけ出すための【指針】なのだ。

確かに身体は色々な筋肉の働きの総和として動いている。だから、足らない働きや動きを今までの使い方に入れてやればいい、体を作っている組成は色々の栄養物なのだから足らないものを補えばいい、多くの人がそう思うのかもしれない。だからこそ筋トレやサプリなどという言葉が生まれ、ボディワークの標準の一つになっている。しかしそれは単純思考の結果でしかない。 そういえば沖先生がよく口にした『お前らは単純性脳膜炎だ』という言葉を思い出す。まったくその通りだ。

さて、正しく身体を使うための微妙なバランスや力加減というのはとって付けて生み出せるものではない。その行為その動作全体として把握するしかない。 同じことを別な捉え方で表現しよう。

健康にせよ健全な使い方にせよ、頭で考えて生み出してきたものではない。本来与えられている働きが、妨げられずに発揮できたときにできている働きなのだ。

当たり前に自然にできている状態を生み出す、再現できるようにする。そんなやり方をしなければできることではない。しかし、そのための本来あるべき姿をイメージできるだろうか。それが出来ない人にはそこに向かうことは無理かもしれない。

そのイメージを持ち続けてそれに自分を合わせ、慣らすように養い育てるしか方法はない。ねじ伏せるようなやり方では決して上手くいかない。さあ、そのためには・・・と考えているときに、ふと目にした沖先生の文章。

肉体訓練のコツは、笑いの状態で行うことです。

精神訓練のコツは、感謝する心を持って行うことです。

生活訓練のコツは、楽しむことです。

心の訓練は、感謝・懺悔・下座・奉仕することです。

なるほど、とてもわかりやすい。これらを目安にしていけばいいのだ。 とはいうものの、私にとって、このコツこそが大切なコツなのだと頭ではなく腑に落ちて納得するにはずいぶん時間のかかったことだ。結局近道はないのだろうか。全くのショ-トカットは無理としても、私が50年かけて少しわかったことを他の人にうまく使ってもらうことはできないのだろうか、ある程度は先人の開拓した歩きやすい道を歩いて少しでも先に行くことが出来ればいいのにと、私としては思ってしまう。

でも、この世から戦争が無くならないのも、不健康な人が減らないのも、心の病を持つ人が増える一方なのも、みんな同じ、そうならないような生き方のコツを残すことはできなくて、一人ひとりが生まれてから自分にコツコツと積み上げた体験でしかわからないからなのだろう。

ひょっとして前世からの持越しがあるとしても、他人が譲渡することはまったくできないことなのだろう。 それでも諸聖たちの言葉が残り、暗闇手探りでもその言葉を参考にできるだけでもどんなにかラッキーなことか。

私たちにはお釈迦さまやイエス様の言葉、沖先生や他の諸聖の方々の言葉が残されている。 中でもわかりやすいのは沖先生の言葉。

30年と少し前に亡くなられたけれど、私にとっては、直接聞き直接指導を受けた方なので、何よりも言葉の奥にある真理を理解しやすいと感じる。そして今生きている私たちとほぼ同じ時代を生きてこられた方なので、その悟りへの道の内容はきっと誰にとってもわかりやすく、これほどの恩恵はないと思う。

そこでは「このように考えてこのように実践するといいですよ」と教えてくれているけれど、その大切なところはけっしてノウハウではなく、実践のための必要な考え方、物事の捉え方なのだ。沖先生に限らずヨガの古い文献も他の偉人たちの教えも同じだ。

さて話を最初に戻そう。お腹に力がこもっているということが出来ている状態とは、お腹に力を入れるのではなく、その力がいつの間にかこもるような姿勢と心になっているからこそ出来ているということを認識することが必要だ。

誰でもいやいや仕事をしているときにはお腹の力が抜けて胸や肩に力が入るけれど、面白くて楽しい時にはいつの間にかお腹に力がこもっている。このいつの間にかこもっているという状態を自ら生み出すことがお腹に力を込めるということだ。

それでは面白くて仕方なくて集中して遊んだり仕事をしているときにはどんな体の使い方をしているのか、どんな呼吸をしているのか。反対にイヤイヤやっているときにはどんな状態になっているのか。きっと胸が狭く肋骨が落ち首がすくんでいる。

このように考えて自分の姿勢の誤りを一つひとつ正していく以外に方法はない。姿勢が調えば自律神経が調い、血行不良が正されバランスが取れる。呼吸が深くなってエネルギーがみなぎり心が安定して来る。 ここを追及してこそより良い生がある。

先日ナチュラル ヴォイス セミナーに参加した方が、「声を出すときにはお腹に力を込めるんだ」と民謡の先生にいわれるけれど、お腹に力を込めても、それで『いい声がでる』とか 『声が出やすくなる』というようには反映しない。どう考えればよいのかよくわからない。といっておられた。

良い声の出ている結果だけを見てもその基になっている働き、即ち原理はわからない。 ニュートンが発見した万有引力の法則も、その法則そのものが見えるわけではない。
しかしその法則によって生じている自然界の現象をいつも注意していれば、水は低い方に流れそれが止まれば表面は水平になることに気づく。

しかし宇宙は、引力の法則とファラデーの法則とそれから・・・と法則を合わせて成り立っているのではなく、表れているそれは全存在の一側面に過ぎない。
それと全く同じことなのだ。生命は見えないけれど毎日毎日一瞬一瞬、その見えない生命の働きで生き続けている。
その働きの統合がうまくいかないときには心も体も、もちろん声もうまくいかない。統一して働いた時に声もうまくでる。 そのときには勝手にお腹に力がこもっている。 このプロセスを無視してお腹に力を込めるにはどうすればいいのか?といくらあがいてもうまくいくものではない。

そして心から笑っている時、心底感謝し楽しんでいる時には統一されている状態になっているというような指針を自ら試しそれを生かし追及することで自身を最高の状態にまで高めるということが必要なのだ。本当の方法はこのやり方しかないし、これがヨガをするということなのだ。



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