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NVY-intro35

ナチュラル ヴォイス ヨガ入門 35

 和気愛会 2017年1月号 (No.208)

ナチュラル ヴォイス ヨガの本を書いたあとの読者の反応から、体験を伴わないで私のヨガを伝えることは、どれだけ丁寧に書いても難しいと、文章で伝える限界を感じていました。

それから5年、新たに伝えたい呼吸法や体操をまとめて形あるものにしようと模索し、「調和呼吸法」というタイトルで書き始めていました。

実際のやり方をDVDにすればより正しく伝えることが可能だろうと半年近く考えを練っていました。しかし、結局は前の本を書いた時と同じで、文であろうと映像であろうと一方通行では伝わらないという結論に行きつきました。

もちろんDVDを作る作業は続けますが、これを出版したり会報で紹介したりはせず、セミナー等で実際に体験を通じて学ぶ方だけに頒布するという方向でやることにしました。 2ヶ月続けての書きかけ途中で申し訳ありませんが中断します。また方向性が定まった時点で報告します。

 正月号は投稿がたくさん来るつもりで頁を空けていましたが、原稿が少なく編集が年末ギリギリだったことで原稿が足らなくなり、2回に分けて紹介するつもりの群馬前橋でのセミナーのレジュメ全部を4ページ使って掲載します。

ということで正月早々活字だらけの号になってしまいました。
 
さて、セミナーの度に何か書いていますが、そのたびに内から衝いて出る思いがありますが、それはほとんど“感じ”と言ってもよいようなものです。その”感じ”をなんとか自分の使い慣れた言葉や言い回しで、紙やパソコンの上に出そうとしますが、出してみると思いとは合致しません。

仕方がないので、ランダムに出てくる言葉をまずはただただ書き出し、それを後から一つ一つ感覚に合うように徐々に修正していくことになります。

まあそんなことで、今の私の活動の大半をその作業が占めています。朝起きたらパソコンに向かい、食事ですよと何度か言われて、気が付くと夜も更けている。

というようなことで、今回は11月の末の群馬前橋のセミナーのレジュメとして自分の思いを書き出したことを紹介します。

“バンダってなに?”というお題をいただいていたので、そこからのアプローチです。
 

バンダとは

 ヨガの行法のなかに「バンダ」という作法があります。日本語では「締め付け」と訳されています。

 3つのバンダがありますが、これは特殊な身体の操作ではなく、特殊な効果もないと考えるべきものです。

体と心が安定した状態になるための体の使い方、例えば、「肩の力を抜く」とか「背すじを伸ばす」というのと同じような身体の使い方を教えています。

そしてこの3つは、バラバラに単独にやるものではなく、全身的な体の使い方として同時に行い、全身が 協力して行動できる、「統一体」の状態になるため、そして、心が分散せず協力して働くことのできる「統一心」の状態になるための基礎的な体の使い方、力の方向性の意識の持ち方なのです。

もちろんやり方によってはそのうちの一つだけを 深化して別な結果を引き出すことができるでしょう。しかし本来の意味合いがどこにあるのか、多くのヨギ達が何を目指し何を残そうとしたのかを、生命の要求から感じ取り、そこを目指さない限り、その技法はヨガの目的に向かうことはありません。

さて、3つのバンダは、ムーラバンダ、ウッディアーナバンダ、ジャランダラバンダと呼ばれます。

まず、ムーラバンダは「肛門(または会陰)を締めて引き上げる」ということ。次に、ウッディアーナバンダは、「腹を締めて、腹壁や内蔵を引き上げる」こと。

ジャランダラバンダは「喉の締め付け」といわれています。どのバンダも力ずくで締めるものではありませんが、特にジャランダラバンダは、決して顎で締めたり、喉に力を入れたりせず、肋骨が高く首の力が抜け、結果として喉仏が体の中に引き込まれるような状態になるよう他のバンダと協力し、深い呼吸の状態を生みだします。

ただし、3つのバンダをしているときにその3つだけの作業をしているわけではなく、他にも多くの体の部分がそれに協力することによって、その3つのバンダが正しく行われます。

これらのバンダが同時に働き、協力し合っているときには、呼吸が深く、起立筋、横隔膜、骨盤底の筋肉も協力し、上がる気と下がる気のバランスがとれており、姿勢も呼吸も楽になり、体が軽くなります。

また、息を吸い入れるための筋肉で肋骨を引き上げるのではなく、起立筋(背骨を立てる筋肉)が強く働いて肋骨を高く保ちます。そして、腰の後ろ側や背中、肋骨の後ろ側も含めた全身が開き、息の入る体感空間が広がるほどに、肋骨全体が高く引き上がります。

ジャランダラバンダ

 どのバンダも他のバンダの働きを助けて、統一された体の使い方を生み出しますが、ジャランダラバンダは間違えやすいので自習をする場合は特に注意が必要です。

このバンダは、他の2つのバンダの働きに支えられて、頭頂が天に伸びるような働きと共に胸椎の最上部、頚椎まで背骨が伸び、そこで、頭を体幹の上で安定させて気を下ろし、胸骨の上端部で顎を押し上げるように肋骨を引き上げ、首の力を抜いて顎を胸骨の先端に下ろします。

決して力で顎を下げたり喉を締め付けないことが大切です。このとき、喉頭部が体の奥に引き込まれるとか、体の中に沈んでいくというように感じられます。

首が固かったり力が抜けない場合は無理に下げるのではなく、力が楽に抜けるような工夫が必要です。
(顎と胸骨の先端との間にハンドタオルを丸めたような柔らかい緩衝材を入れ、それに顎をもたせ掛け、背骨の角度を変えず、顎に頭の重さを預けて首の力を抜く。肋骨が高くなるほどにやりやすくなる)

そのまま、柔らかく、広く深く、温かい呼吸をします。力で喉頭部を引っぱるのではなく、力を抜くことで喉の方から楽に落ちてきます。正しい発声に欠かせない“喉仏の状態”というのはこのことです。決して力で喉仏を下げたり引っ張ったりしません。

「喉は受け身」が大切と、拙著の中でも何度も書いていますが、伸びやかな体の使い方と伸びやかな声の出し方は同じであり、喉に力を入れて声を出すのではなく、「喉が受身」で声が出るような状態を作ることが大切なのです。

他のバンダが協力してジャランダラバンダが出来る状態になると、喉に負担をかけずに声を出すことができます。“「う」の母音メソッド頭かかえ”はこの喉の状態の体得に役立ちます。

このように、これらをバラバラにやるのではなく、連携したひとつの動作として把握します。いつもそれを実践し、片時もその使い方から離れないよう意識し、完全に自分のものにすることが大切です。

バンダというのは身体と意識がひとつにまとまった状態を維持する目安なのです。求めるところは和らいだ状態、決して「締めつけ」ということばに惑わされないことが大切です。

正しいやり方を発見する

 ヨガの行者達が自分の心や身体だけを使い、自分の感覚だけを頼りにして発見していった“大切な気づき”が今に伝えられています。

しかしその貴重な体験は、その時代の感覚と言葉で表現されており、例えば「不老不死」とか「万病を治す」というような、今の感覚では荒唐無稽な表現もたくさんあります。

それと同じで、宗教、神、チャクラ、クンダリーニなどの言葉の捉え方、そしてこのバンダの捉え方ややり方も、行法を残した人達と同じ体験をするまでは、その言葉の真意はわかりません。時代感覚だけの問題だけではなく、自分が感じ、自分の“生きる”という実感と結びつかない限り分からないものなのです。

ヨガをするには「自分の体験したことだけが自分のものだ」という徹底した学びの姿勢が必要です。古聖たちの言葉を鵜呑みにはせず、しかし残してくださった 大切な教示を参考にして、自分の感覚で正しい心や体の使い方、そして呼吸やバンダができるようにするのです。 

ヨガはマップ

 それではどのような指針でその自分の体験を得ていけばいいのでしょうか。いくら体験が大切だと言ってもすべてを体験することなどできるわけがありません。

そこで頼りになるのは自分の生命から発せられる信号をキャッチして、必要なことを選択して行動し、“生きる”ということにいかに協力するかという気づきを得るのです。

よりよい“生きる”を求めて根本的にそこに到る方法を説くのがヨガであり、古来のヨギ達も現在の私たちも、その生かせてくれている働きに協力する以外の方法はないのです。

それでは、ヨガが残してくれている文献はどのような意味を持つのでしょうか。

それはきっと、生命の教えを訊くことによって生み出された“喜びに至る道へのマップ”であると私は捉えています。

八段階や十段階のマップもこれに沿って歩いてみることが必要です。歩くほどに、実感が増えるほどに、「なるほどそうだ」という確信を持つに至ることでしょう。そこからはまっしぐらに進むことが出来ます。

古来、ヨギ達がやってきたのと同じようにして、そのマップが頼りにできるかどうかを自分の生命からの教えに従って判断するしかありません。

もちろん、現代の書物にも大切な示唆をいただけるものが多くあることでしょう、しかしその情報の選択は、権威や名声を基準にするのではなく、“マップ”と“生命の教え”のフィルタに掛ける以外、真に自分にとっての栄養にできるものを選択することはできないでしょう。

大切なことは、自分の生命に訊くこと、すなわち、心も体も調い和らぎ、心が拘らず解放され、温かく 優しく、気持ちがよく、体が軽く、気持ちがよい、統一体、統一心の状態であり、背筋が伸びて頭頂が天を突き、肋骨が高く広がり、肩や肩甲骨が下がり、首の力が抜け、お腹が締まり肛門が締まっている。これらが目安なのです。

中には直接神の啓示を受けるような生命の声を聞く人もいるかもしれませんが、常に頭を冷まし(覚まし)て冥想の状態で生きることを目指せば、どう生きるべきかどう行動すべきかはだんだんと的確に分かるようになってきます。

さて、生命に即して生きるという目的のためには、功利的な行動は決して益しません。

功利的という言葉の意味は、現代の使われ方の利己的功利という意味ではありません。効果や利益のみを重視するというだけの意味で使っていますが、そのような価値観による行動は生命の究極の求め、その中心に向かうことはありません。

功利的な目的が生まれたとたんに、その目的という壁ができ、それを解決したとしてもまた新たな途探しが必要になります。

ご飯を食べて排泄し、セックスをし、お金を儲け、名を売り、そして朽ち果てる。現象はこのように進んでいるとしても、その“生”の中で光を浴びて喜びに満ちた“別の生”が同時に進行しています。

そしてそれはいつも私の中にいます。とヨガのマップに書かれ、このように説く人たちがあらゆるところにいます。しかしそれは幻想かもしれないし、手の届かない、余りにも遠いところにあるのかもしれません。

ヨガが提示するジグソーパズルのマップがあり、自分にとって分かったことを白地図の上に置いていくと、だんだん地図の全体像がおぼろげに見えてきます。そしてその地図はやはり、私の生は “喜びに満ちた生” なのだと語ります。

誰にとっても、喜びに満ちた“別の生”が確実にあるものだとわかることができれば、選択と行動は大きく変わることでしょう。現代はその証拠を目に見える形にしないと納得しません。しかし多分それはできないことなのでしょう。「見ずして信じる者は幸いである」という言葉が浮かび上がってきます。

生命の働きと要求

 さて自分の人生を俯瞰ではなく中から見てみると、それは中心に向かってエネルギーが流れています。

茫漠としたとりとめのない世界から中心に向かって、すべての方向から中心に向かって直線的に、生きるエネルギーをそこにまとめる焦点があります。それは、“生命の要求”に向かうということです。

砂鉄をただ紙の上にばらまいた状態と、その下に磁石を置いて磁力線の中に置いた時とでは全く状態が変わる。そんな映像を見たことがあるでしょうか。

功利的行動は、まるでマッチ棒を床にばらまいたようで、頭に火をつけてもその軸の火はそこで終わり、次のマッチには移らない。

即ち、一つ一つのマッチ棒が一つの価値観によってなされる行動とすれば、そのすべてのマッチ棒を一方向に並べなければ火はつながらず、中心まで届かない。

磁石で砂鉄の方向が一定の方向を向くように、すべてのマッチ棒を中心に向かってつないで並べれば、その方向性は大きな力を持ちます。これで初めてその中心に向かうことが出来ます。この磁力こそが生命の働きといえるでしょう。

ヨガの目的

 私たちはいつも多くの功利的価値観を具体化して生きていますが、その行動をまとめて一つの方向に向けてやらなければ人間としての真に生きる力にはなりません。

その中心自身が求めるように、生命の要求、生命の喜び、生きる根本という焦点に向けて、たくさんのバラバラのマッチ棒を並べるように仕向けねばなりません。それが生命に忠実に生きるということです。それをまとめるのが本来の宗教です。そして哲学的に考察し、すべてが自分の中心に向かって行動するように 仕向けることが必要なのです。

ヨガの技法についても同じことが言えます。このポーズが便秘にいいとか、腎臓にいいとか、言われている。たしかに部分的にはそうかもしれない。しかし、それを全部集めれば全部の内臓がよくなって、そのようなことをもっともっと積み上げればそれはヨガの求める究極に到達するということでしょうか。

何千年も前から多くの人たちが学んだことを体系化してきたヨガが求めてきたことは、いいと思われることを寄せ集めたものなのでしょうか、いや決してそうではありません。ヨガの各種の技法がどのように生まれてきたのか、それらは現在、それぞれのやり方と効能をうたい、詳しく解説されてはいますが、本来はそういう効能をうたって行われていたものではないことでしょう。

ヨガの目的はただ一つ。人間としてより良い生き方を目指し、必要なものを取り込み、いらぬものを省き、哲学的にも科学的にも、そして宗教的にも、目的そのものを進化させて行き、その目的のためにはどうしても辿らねばならない道筋を見つけ、そこに到ろうとする。その道筋がヨガとして伝えられているのです。

その目的に適うための技法というものは、バラバラのマッチ棒をただたくさん集めるのではなく、神の磁力、生命の教え、生命の要求に従って、すべてが初めからその中心に向かっていることが必要なのです。そうでなければ、その技法はその目的にとって何のエネルギーも持たず、何も生じず、そこには到達できません。

感知力を高める

 サプリを飲んで元気が増えたら、腫瘍を切り取って 健康になったら、次はお金を儲けて、お金が出来たら海外旅行に行って楽しい思いができるし、体が楽をできればもっと健康になるだろうし、・・、そしたら座禅を組んで悟りを啓けるかもしれない・・などなど、そんな道筋で何かが得られるなら、金持ちはみな健康になり悟りを啓くことでしょう。

本来ヨガの技法はそのような継ぎ接ぎの目的に沿って生まれたものではなく、最終目的に直結して、本来の気の流れ、本来の体の楽な使い方から、神にいただいたままの自然な生き方を自分にさせるという、そこに直結した体の使い方、そして心の使い方を教えていたはずなのです。

それでは具体的に何を指針にすればよいのか、そしてその状態の可否はどのようにして判断されるのでしょうか。

これもまた、その結論である生命の側から教えられその指示に従うしかないのです。私たちは何一つ自分で生み出したものはありません、すべて神様にいただいたものですから、その指示を聞く耳を養う、即ち感知力を高めることが大切なのです。

ひょっとしたらグルに出会うためにその感知力が働くかもしれません。それとも今なすべき行動を知らせてくれるかもしれません。それは、一言でいえば、すっきり爽やか気持ちよくやれるよう、体の使い方を工夫し、心の使い方を工夫し、その声が聞こえるような呼吸ができるようにするのです。それを追い求め、その感覚に鋭敏になり、少しの狂いでもこれは違うと分かるようになるまで自分を研ぎ澄ますのです。そしてそれすらも生命の側からの教えで成り立っている智慧なのです。
 
情報の選択

 さて、ネットのサイトやyoutubeを見ていると色々な情報や映像が飛び交っています。バンダについても驚くほど色々な情報が飛び交っていますが、それらは本の受け売りや誰かの言ったことの丸写しがほとんど、というのが私の実感です。

まともなサイトを見つけることはとても難しいのですが、どうしてこんなことになっているのでしょう?

それはこの世の中が、余りに知識偏重になっているからにほかなりません。本で読めば分かったつもり、権威のある人が言えばそれは正しい。学校で習ったことをそのまま覚えればいい点数が取れていい学校に行けるという教育の成果です。

人の頭を支配したい人たちにとってはとても便利な世の中になっています。自分の頭で考えなくても正解を用意しておき、それを覚えるのが勉強だからです。

そのためでしょうか、ニュースで言っていることは正しい。朝から晩まで殺人者扱いのニュースを流せばほとんどの日本人がその人に対して怒りや嫌悪の感情を持つ。信じやすいというか馬鹿というか、新聞であろうがニュースであろうが政治家であろうが学者であろうが、どんな権威者であっても、その発言や情報の出てくる理由は、自分の頭で考えればわかりそうなものだがそれをしないで、判断を人任せにしている。

 情報はたくさんあってもよい、しかしそれは、 “そのような情報がある”ということが真実であり、その内容の真偽とは関係のないことです。

 政治的プロパガンダも、サプリのコマーシャルも、報道番組も、すべては嘘でも真でもない、“その人がそう言っている”という事実があるだけなのです。

ヨガの伝承

ヨガは本来、グルから弟子に直接、体験を通じて伝えられたものです。活字ができてからもその情報が独り歩きができない形でヨガが伝えられてきたようです。

しかし現代に至って情報が拡散し、情報だけが独り歩きをしています。その情報を読み解く力のない人はただただ翻弄されるだけです。

ですから、その情報は嘘でも真でもないという観点に立った、ヨガの取り組み方が必要なのです。人の言うこと、本に書いてあること、すべては“この人はこんなことを言っている”という事実があるだけ。

しかし、ほとんどの人が欲目で見るからサプリやヨガのポーズが身体に良いように思える。現実にヨガのインストラクターと言われる人たちの多くが身体を傷めている。自分の欲や虚栄心から離れた観点で観る習慣の人、いつも頭の覚めている人にとっては、そのような雑多な情報の中からでも少しずつ真実が見えてくるだろう。

それでは、多くのヨガの書物に真実はないのか、いやあるかもしれないし、ないかもしれない。人の受け売りなのか目立ちたがりの嘘つきなのか、読み手はそれを判断しなければならない。それができなければ、せっかくのヨガの宝をもらうはずが、石ころや毒を受け取ることになるのです。



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