自分らしく生きる生き方そのものが人を健康にする

NVY-intro32

ナチュラル ヴォイス ヨガ入門 32

 和気愛会 2016年10月号 (No.205)

先日の東京のセミナーのレジュメを基に加筆したものを皆さんにも読んでいただきます。

最近はなんでも加齢のせいにして、『歳だから仕方ない』とあきらめてしまうような言葉が氾濫しています。声についても、『加齢とともに声帯が痩せてくるので声がかすれてくるのはやむを得ないことです』、などと説明をするお医者さんが多いので、多くの方が「そうか~、仕方ないのか」とあきらめているのではないでしょうか。

加齢で声帯が痩せるのではありません。加齢とともに姿勢が緩み背筋を伸ばす働きを弱らせている人が多いだけのことなのです。もちろん年齢と共に筋肉が弱るという部分があるとしても、そのために背中が曲がって姿勢が崩れてくるわけではありません。

生きている限りは生きる喜びを味わって生きるべきなのに、その喜びを享受するために欠かせない、重力に負けずに伸びのびとする力を弱らせているだけのことなのです。せっかく神様に与えていただいた心と体です、絶対に弱らせてはいけないところがあるのです。それが背筋を伸ばす働きなのです。

そんなに強い筋力を要求されているわけではありません。スッと伸びる意識をいつも持っていればいつの間にかついている程度の筋力です。

生きるということは重力に逆らって伸びることです。気落ちをすると若い人でも胸が落ちて背筋が緩むでしょう。その姿勢の中に喜びが感じられるでしょうか。どれだけ年齢を重ねようと、起きて背筋を伸ばす筋肉を持っている限り、心が自由を得て喜んで生きるための使い方があるのです。

声のことでも同じことが言えます。 メカニズムはちょっと複雑です。

声帯そのものは主に筋肉でできていて、縮んで短くなるのが仕事です。そして反対に声帯を引っ張り伸ばす働きを持った筋肉が声帯の周りにあります。大雑把な表現ですが、この二つの働きの拮抗で適度に張りを持った左右の声帯が閉じたところに息が流れて声が出ています。

ヴァイオリンは適度に弦を張ることでよい音が出ますが、その弦を緩めるとどんな音になるでしょう、まずは音が低くなり、それを過ぎると張りがなくなって音が出なくなります。これは声帯の働き方をイメージするための例ですが、実際、高齢になって声が低くなったりしわがれるというのは、声帯が緩み過ぎていることが一番の原因なのです。また、左右の声帯を寄せて閉じる働きが弱ることで声が出にくくなったり、かすれるということもあります。

もう一つ、声帯が縮む力を発揮するためには引っ張り伸ばす働きがないとヌカに釘みたいに力の入れようがありません。いつも張りのない声帯の使い方をしていると、筋肉でできている声帯がしっかりと縮むことができず、だんだんに筋肉が痩せてくることになります。

肉が痩せてくると、閉じたときに左右がきっちり合わさらず、隙間が大きくなるために、ちゃんと音が出ずにかすれ声やしわがれ声になるということもあります。

このように声帯の張りが少なくなってくることが声の衰えをもたらしています。しかしこの声帯の問題は、どのようにして起こっているかがわかれば、歳と共に衰える必要がまったくないということがわかります。

声帯を外から引っ張り伸ばす働きは声帯のまわりの筋肉が担っていますが、そこだけの作業でできているわけではありません。どんな筋肉も足場があってはじめて力を入れることが出来ます。

声帯を引き伸ばす働きも、その足場は最終的には、背骨や骨盤にあり、背骨を起こし伸ばし肋骨を引上げ、横隔膜を下げ、肩や肩甲骨を下げるなどの、気を引上げる働きと引き下げる働きがあってはじめてうまく働くことが出来ます。

ですから背筋(せすじ)が緩むと結果として声帯を引き伸ばす働きが減り、その結果、仕事を十分にさせてもらえない声帯は肉が痩せ、結果として声がかすれたり、しわがれてきたりするのです。

歳をとっても背筋がすっと伸びる働きを高めることが良い声を保つことになります。そして声に限らず、若さを保ち元気で喜びに満ちて生きることができるための秘訣にもなります。

但し、背筋(せすじ)が伸びるというのは背筋(はいきん)が強いという意味ではありませんし、また、真直ぐに立っているという意味でもありません。あくまで伸びるということを意味しています。

重力に逆らい伸び続けるように天に向かって伸び、地球の中心に向かって伸び、伸び続けるのです。これが生きるすべての基本であり、この働きを思い出すためにこそ、生命の働きに沿った呼吸法やボディーワークをする必要があるのです。

それでは呼吸法についてもう少し深く考えてみましょう。

呼吸法の根本は何か、どこを押さえてどう実践すればいいのか、というところをここでも何度かお話ししています。

「スックと伸びて」、「ド~ンと安心」というところです。歳をとっていてもとっていなくても、スックと伸びている人は見ているだけで気持ちがいいですね。

「スックと伸びて」、というところは「元気で伸びのび」と置き換えることもできますが、多くの方が年齢と共に重力に負け、縮んでいきます。生きるということは重力に逆らって伸びることです。まずはその働きを高めることが生きて行動することの何をする場合にもすべての基本でありコツになるのです。

目を瞑ったり体の中に意識を向けて吸ったり吐いたりするばかりが呼吸法ではありません。酸素を多く取り入れ老廃物を吐き出すというのも呼吸法の作業のほんの一部でしかありません。

『呼吸』は人間の本質である『生命の姿』そのものであり、また捉えどころのない『心』と、『体』とを、私たちの意識の中で繋ぎ結び、コントロールするための道具でもあります。心も体も、自分の在りたい状態を生み出すには呼吸をコントロールすればいいのです。心も体もなかなか自分の思い通りにはできない難物ですが、それに対して別な感じ方やアプローチの方法を提供し、コントロールを容易にしてくれるのが呼吸なのです。

私たちは何のために生きているのか、それは、ただ起こってくる欲望に身を任せるためではなく、また健康に長生きするためでもない。その要求の背後、その要求の根本にある本質的な『生命からの要望』に応えるために生きているのであり、そこを追及しているのがヨガなのです。そしてそのような、生命からの要望に応えることができる呼吸を身につけるための作業が呼吸法なのです。呼吸法に限らず、ヨガの行法すべては生命の要求から生まれ、生命の要求に従ってやるものです。

私たちは『生命の働き』によって生かされています。生命はそれそのもので完結した在り方と機能を本質的に備えており、そこに足したり引いたりすることは何も必要ないし、元々できないことなのです。

本来持っている働きにいかに逆らわず、いかに協力するか、できることはそれしかありません。生命に訊いて生命に従う。これこそが本来私たちが生きる作業としてできる唯一のことなのです。

もちろん逆らうこともできますが、生命はそれに対して是正の揺り戻しを求めます。それが悩みや病気という形で表れ、症状を通して元に引き戻されるのですが、その行ったり来たりの無駄なエネルギーの浪費で疲れ果てるのか、それとも初めから生命の要求に従って喜びに満ちた生き方をするのか、いくつになってもこの選択次第でそれ以降の人生が変わります。

生命はいつも、温かい、喜ばしい、気持ちがいいというような感じ方でその働きを私たちに伝えています。ところがその感覚は独り歩きをすることが可能な作りになっていて、感覚の使い方を誤ったり、感覚を鈍らせたりすると、お腹がいっぱいでももっと食べたいというように、自分にとって全く必要のないものを欲しがるようになったり、体にとって害になるものを美味しいと感じるというようなことが生じてきます。

また、体が鈍ってくると、本来の生命の要求である、もっと燃えて完全燃焼したい、損得抜きの気持ちの良い汗をかくのが気持ち良いというような感覚が失われてきて、決して無理をしているわけではないのにもっともっと楽をしたいと思うようになったり、無理なことを無理と感じなくなったりするのです。

生きるということをどう捉え、どう行動するのが自分にとって最良なのかを感じ取る力を育てる。それが呼吸法です。それは喜ばしいものなのか苦しいものなのか、温かいものなのか冷たいものなのか、和かなものなのか棘々したものなのか、生命から私たちの意識にのぼる感じ方をより間違いのないように、そして精妙になるよう育てるのです。

まずは元気で重力に負けず、その元気を持ったままゆったりどっしりと心が安心・安定した状態を実現する呼吸を身につけるのです。どちらも生命が本来求めている私たちの状態であり、そのバランスの取れた状態がヨガそのものなのです。

それでは、「スックと伸びる」ためにどのようにしていけばいいのでしょうか。

これも何度もお話ししていることですが、まずは元気で気持ちよくのびのびと声を出している子供と、疲れて顎を出していたり、首をすくませて嗄れ声をだしたりしている年寄りの体の使い方を比べてみるとよくわかります。

重力に負けずにどこまでも伸び続け、無理なく楽に立ち、余分な心配をせず、機嫌の良い状態を維持する、それを自ら作り出す工夫をするのです。これしかないのです。
歳をとったからといってその働きを投げ出してしまう必要はないのです。

では、「ドンと安心」についてはどうでしょう。これも伸びていて初めてできる使い方ですが、なにかに追われたりプレッシャーを感じたりしていない元気な子供を思い浮かべればわかります。

時間は無限にあり、将来の心配もない。今この時の興味に全力を傾けている。この不安のない状態を忘れてしまっているのではないでしょうか。私たちは、多くの困難やプレッシャーがあってもこの心を養い保つことのできる能力を持っています。

とはいうものの、どんなに元気で屈託のない子供でも、叱られたりいじめられたり、いやなことをしなければならない状況ではそのような心は消えてしまいます。どのような状態にあっても余分な心配をしないとか機嫌のよい状態を生み出すということは子供には難しいことですが 大人にはできるはずのことなのです。

現代では失われつつある考え方ですが、このような心を養い育ててこそ大人になったと自他ともに認められるような社会がありました。この心の能力こそが大人になったといえる本来の人間の値打ちです。そしてそれを身につけるために子供のような心と体を失う必要はなかったはずなのです。

とはいうものの、自らの心と向き合うだけで心をコントロールすることは至難の業です。これに体の使い方と呼吸の在り方を一つのものとして一緒にコントロールをすることでうまくいくのです。心・体・呼吸という別々に見える自分を同じ自分の互いの影のようにアプローチします。

ヨガでは呼吸法に大きなウエイトを置きますが、それはこのためなのです。このためにこそ呼吸法があるのです。

沖ヨガの創始者沖正弘先生は、「吐く息に力を込めよ」、「呼吸は、深く・長く・力強く」、また、「冥想の呼吸は笑う息を長~く引き伸ばしたものだ」と、そして、「冥想とは、広く深く感じることだ」とも言われました。

そのような呼吸と冥想の状態を自分のものにするための呼吸法を毎日行います。 伸びのびと肋骨が広く高い状態でゆったりとした深い呼吸をすると、それが体に心に反映し、生活に反映するのです。

また、色々なヨガのポーズは正しくやればとても良いものです。しかし、正しくやるというのが、形にとらわれていてはうまくいきません。体の中の動きこそが大切なのです。その体の中の動きというのは呼吸の動き、気の動きなのです。

このようによりよい呼吸を実現していくための、以前に紹介したものや新たに組み立てた呼吸法を一連の呼吸法として、「調和呼吸法」と名前をつけてまとめた形にしましたので、 次回はこの呼吸法を紹介します。

体の中から使い方を変化させるこの呼吸法を、声のためにも、正しくポーズを行うためにも是非マスターしていただきたいと思います。



  → 次へ

  → 目次から選ぶ

  → 周平のヨガ記事に戻る

powered by Quick Homepage Maker 4.91
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional