自分らしく生きる生き方そのものが人を健康にする

NVY-intro23

ナチュラル ヴォイス ヨガ入門 23

   2015年12月号 (No.195)

ヨガの三密

会報のためにこの記事を書いていたところでちょうど東京での第3回目のセミナーになり、先にそちらで配りました。 参加された方には内容が重複して申し訳ありません。

 筋力をつける、柔らかくする、インドの気候と同じ暑い中でポーズをしながら汗をかく、などなど、激しいものからソフトなもの、簡単なものからハードルの高いものと、様々なボディワークがあります、それらはいったい何を目指しているのでしょう。それが私たちの生にどう活きるのでしょう。

どれも何らかの目的を謳っていますが、実はその目的はとてもあいまいです。脂肪を減らし、デトックスをし、その先にあるものは何なのでしょう。

単に実践する人の意識の問題なのかもしれませんが、 先の先まで、これをこうすることが必要だからこうするのだ、と明確な意思を持って行動しておらず、その行き先は不明確です。また、多くの人にとっては、健康に生きるということが大きな目標かもしれません。

 それでは健康ってどんな状態でしょう。 痛くないこと? 検査結果で医者が大丈夫という状態? 明日突然に血管のどこかが破裂するかもしれないけれど、いまが元気そうに動けていれば健康? ということなのでしょうか。

そしてその上に、健康はいいことだ、健康は幸せにつながる、幸せなのはいいことだという常識に見える迷信が横行しているから厄介です。

私たちは健康になるために生きているのでしょうか?幸せになるために生きているのでしょうか?実のところそれが何を意味し、何をもたらすのか、その思考を理解しようとしても、どこが目的でその手段は何なのかというところが私にはさっぱりわかりません。

 でも多分、本当のところは、欲しいと思う心から解放されたいと思考している、「欲」の縛りから解放されたいと思い行動している。みな解放されて自由になりたいと求めているのだと思います。

しかし、こんな言葉を使うと、こちらの方がつかみどころがないように思え、もっと簡単な解決法はないかと、手近なところにアプローチをしているのではないでしょうか?

 前置きが長くなってしまいましたが、ここでお話ししたいこと、知っていただきたいことはとてもシンプルなことです。

 それは、自由を得たければもっと直接的に自由になる方法があるということなのです。自分が喜びたければ喜び、伸びのびしたければ伸びのびとすればいいのです、という簡単なことです。あまりにシンプルだといってバカにしないでください。このことをヨガではプラティヤハラといいます。

 いやな思いをするとき、腹が立つとき、卑屈になったり焦燥感にあおられる時、それらは決して自分から進んで望んだ心の状態ではありません。でも多くの場面で自分の望まない状態に遭遇します。そしてそれが昂じれば体の病や心の病に侵されるという結果にもなります。

 色々なことが起こるけれど、それを冷静に受け止め、心が左右されず正しく対処する力はどこから出てくるのでしょうか。そいう強い心を持っている人はどのようにその力を得ているのでしょうか。

 この、自らの心を自分の自由にできるように、自分が自分の主人になる訓練をしましょう、というのがプラティヤハラなのです。

 自由に、とまではいわないまでも、自分の望まない心の状態に縛られたり捉われたりするそんな心から解き放たれるよう自分を調教することです。

 さあ、とんでもなく難しそうに聞こえますか? たしかに、その自分の望まない嫌な心と戦ってねじ伏せようと思っても簡単にはできることではありません、大抵は失敗することでしょう。

強靭な心が身につくような育ち方をしてきた方にとってはそれができるかもしれませんが、私を含めほとんどの方はそのような恵まれた才能を持ち合わせていません。

だからと言って簡単にあきらめるのも早計です。ヨガではこれを誰もが取り組めるよう、段階的に学ぶのです。まず前段階として最低限の基本的な心の修養を行い、体の使い方を学び、食べ物や食べ方、そして呼吸のあり方を学び、それらがある程度身に付いたら、これらと並行して心をコントロールする方法も学ぶのです。

しかし、その自分の望まない心の状態から解放されるにはとても大切なコツがあります。
それは心を心でコントロールしようとしないことなのです。

 この鍵が「ヨガの三密」の中にあります。ヨガの三密とは「体・呼吸・心」をさし、これらが一体のものであるということ、または、同じ自分というもののそれぞれ別な観点、別な切り口で見た姿が、体・呼吸・心なのだということを意味し、自分を把握したり、自分を良い状態に変えていきたいなら、この三つの面全部からアプローチすることが大切なのだ、ということなのです。

この鍵を使い、自分の力で自分をより自由な世界へと導きます。

 この三密の事実は長年伝えられ残されてきたヨガの英知なのです。自分という生きている実体を見つめ、分析的ではなく総合的な観点から体験を通して把握するという作業で発見していったものです。

ただし、これは残された文献でこれが正しい知識ですよと教えているのではなく、このように実践するとあなたも同じような体験をし、同じ知識を自分の発見として持つことができますよ、と言っており、まさに今この瞬間を生きる私たちに呼びかけている言葉なのです。

決してカビの生えた本に書かれた知識ではありません。ヨガが説くこの意味を理解して実践し、自分が自分の心と体で真理を把握していくという、このやり方をしたとき初めてヨガをしているということができます。

それ以外の意味でヨガという言葉をつかうヨガは全て本来のヨガではありません。

 自分で真理をつかみ、自分にとってのより良い生き方を発見し、自分で自分の豊かさを身につける人はヨガという言葉を使わなくても、私の目から見ればヨガの行者です。

そしていわゆる自分と思える問題だけに取り組んでも、自分の問題は解決しないし、他との問題だけでもやはり解決しないということがその方はきっとわかっておられるはずです。

たとえば、人を許せないというような嫌な感情を持っているときには心が狭くなっています。同時に体の使い方も、胸が狭くなって力が入っています。この時、呼吸も自由に伸びのびととはできていません。当然、心が広いという状態ではありません。

 この、心が狭いとか広いとかいうのは自分の感じている呼吸の状態ですが、そこで姿勢を変えて背筋を伸ばし、肋骨が高くなって吐く息に力がこもってくると、呼吸が深くなり、意識空間が広がり、感情が落ち着いて楽になり、自分の感情を客観的に見ることができるようになってくるのです。

疑いや妬み、恨み、そのような心を持っているときは呼吸が浅く、心が狭くなっていますが、深くて伸びのびとした呼吸をしているときは意識状態が広く深くなり、心がゆったりとしてくるのです。

この呼吸で相対することが広い心を持つということです。そしてゆったりした空間を感じているときに出てくる声を意識的に出そうというのがナチュラル ヴォイス ヨガなのです。

その声を意識的に身につければ、意識的に心を広げることができるのです。そして、ここでお話ししている「体と心と呼吸」というのは、私たちの表れた姿の総てであり、自分のどのような変化もこの三つの変化として表れている。

ですから、自分の人生を何らかの形で変えたいと願うなら、この三つの変化を促すようなアプローチをする他ないということです。だからこそ、この三つから声を変えていくことができるし、この三つが変わるような声の出し方をすれば人生を変えていくことができるのです。

声も変わるが人生も変わる、という本物のやり方をナチュラル ヴォイス ヨガは求めています。

  三密を理解し、生命がより喜ぶ体や心の使い方があるということを知り、そしてその先にある人生を夢見て生きるのはとても楽しい作業です。

私にとってのヨガは、ヨガを始めた頃のイメージとは大きく変わりましたが、楽で喜ばしい変化です。このための具体的な手法の一つとして、母音メソッドが役に立てばこれに勝る喜びはありません。



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