自分らしく生きる生き方そのものが人を健康にする

NVY-intro18

ナチュラル ヴォイス ヨガ入門 18

   2015年7月号 (No.190)

姿勢について

 この号の2ページ目に、プライベートレッスンとその後の体験を掲載しました。内容は「姿勢を正す」ということ、そして、その正しさを保とうとする 意識が心の状態を一変させてしまうということです。 

 姿勢を正すとはどういうことでしょうか。まず体の面では、 背筋を伸ばして立てるという感じでしょうか。そして、心の面では、まっすぐに向き合うとか、呼吸や心を調えてとか、人や物事に対する心構えのよりよい姿についての話に思えます。

 ここには、私たちが受け継いできた、心と体の共通性をあたりまえのこととして受け入れて暮らす、恵まれた感性があるように思えます。

沖先生がインド風ではないヨガを求めそして伝えたのには、本来のヨガを自分のものにするための素晴らしい土壌の中に私たちが暮らしていることを生かす、大切にするという意味もあったことと思います。

 姿勢を正すには、背筋を伸ばす、顎を引く、頭頂を天に向かって伸ばす、胸を高く、肩の力を抜く、下腹を引く、肛門を締める・・・・などなど多くの意識の持ち方が必要でしょう。でもそのエッセンスは伸び伸びするということに尽きるのではないでしょうか。

 23歳のとき沖先生の強化法で、「肛門を締めろ、肩を下げろ」などと繰り返し言われて以来、いつも姿勢には気を配るようになりました。しかし、そんな昔に真髄を教えていただいた割には進歩が遅くて困ったものです。

 たしかに、このような体の使い方が、生命の働きに沿い生き生きと健康に生きるために不可欠なものだ、ということは、やればやるほどに実感されます。そして、どのような瞬間もその状態で生きていたいと思い続けて45年も経ちましたが、まだまだ意識が十分ではありません。

もしこの伸びるということ一つが完璧にできるようになったら、きっとそのときは他の生きるという作業も素晴らしく良い状態に変わっていることでしょう。しかし、自分の持つ異常がきれいさっぱりと解消されていないということはきっとまだまだなのでしょう。

 歩いているときは姿勢が固まらず、上に伸ばしていながら気を下げるという、バランスのとれた状態を生みだしやすい。そのため、歩くときにはいつも意識をしている。それでもまだまだ伸びる余地がある。その分もっと自分の重さを地面に預ける安心の呼吸があるということも感じる。

 気が付けば力が止まっている。伸びていると感じる状態であっても、そこで止まれば、その瞬間はもう伸びていない。表情の固まりも、心の捉われも、姿勢の停止も同じものだ、強くも弱くも、硬くも柔らかくも、そして速くも遅くも、勢いのある姿こそが本来の姿勢だ。 

止まってはいけない。どれだけ一生懸命に伸ばしても、止まった時は固定されている。頑張るのではなく、柔らかく弾力があり、アメーバ―のように軟体動物のようにどこにも引っかからず、意識が自分の皮膚を超え、どこまでも広く大きく伸び広がっていく時だけが伸びているといえる。

そのときには、重力に体を預けて心をゆったりとして任せて生きるという、そんな意識も同時に高まっている。そして、豊かさと温かさのなかに自分を置くことができる。このような伸び続ける意識を育てることを「姿勢を正す」というのだ。

 姿勢が正しくなると呼吸が深くなる。そして意識が広くなる。体感空間が広がるのだ。歩いていると、姿勢とともに、どのような呼吸をするのが良いのかも分かってくる。

 若い時からずっと、このように考え実践し、本にも書き、レッスンやセミナーで話をしている。それなのにいつの間にか忘れている。 実践にはまだまだ自分に甘いものがある。

 さて、どこかが縮み、どこかの力が抜け、どこか他のところに不要な力が入ることで正しい姿勢が維持できなくなる。そのパターンは様々ですが、そのうちの一つとして「反り腰」があります。

 背中が前に屈んで曲がっていると、いかにも姿勢が良くないと思えるのですが、反り腰になっている人の多くは、背筋を伸ばすということを、腰を前に押し出すことだと思い込んでいて、本人は良い姿勢をしていると勘違いしていることが多いので要注意です。

 この場合は、お腹の力が抜けるからそうなっているということを体で感じ、それに対して下腹を引き上げるような意識をもつことが必要です。
 
 頭頂が天に向かって伸び、体の重さを重力に任せるように感じられているときは、息は前にも後ろにも横にも入ってくる、そして、吐く息に移る前には息が止まり、軽いクムバクの状態、「息が調和」した状態になり、まるで柔らかい風船が体の内側から外側に向かって広がり、皮膚を超えて、より大きな空間にその風船が広がっているように感じられる。これは、胸やお腹がしょんぼりと下がっていては感じられない。反り腰になっていてもやはり感じることはできない。

 Netで、「姿勢」とか「反り腰」というキーワードで検索するとたくさんの画像が出てきますが、上の画像のように背骨が前や後ろに行きすぎてまっすぐ立った時の無理のことを書いたサイトばかりのようです。私たちの心と呼吸の状態が姿勢を生み出しているというような記述は、きっとあるのでしょうが、簡単には出てきません。

 ということで、個人レッスンに来られた岡田さんにもそのような伸びる意識を持ち続けるということをやってもらうことにしました。

立っていても座っていても、体の意識を固定化させずに伸ばす、ということはなかなか難しい。それならと、二人で外に出て、歩きながらのレッスンに変更。

 声楽、特にイタリアの古典歌曲が好きで、とてもきれいな声で歌を歌う岡田さんだが、外で歩きながらのレッスンでは大きな声を出さず呼吸に意識をむけてもらう。

歩きながら伸びながら息を吐いたり、軽くハミングで声を出したりし、吸う息の時もその伸びが緩まないよう、息の方から体に流れ込むように感じ、そのまま息を止め、肛門を締めて息を調和させる。肛門を締めるのは、女性の場合は膣を締めて引き上げるという感覚がわかりやすいそうだ。会陰をすぼめて引き上げるという感覚なら男女兼用でいけるかも・・・。

 強くなく、息を受け止めるように肛門を締め、体の中の息が全身にまんべんなく均等な圧力で内側から外に向けて広がるように感じる・・・息を調和させる・・・、そして苦しくならないうちに伸びた意識のまま息を出したあとは、吸い込まず、息の方から流れ入ってくる。そしてその息以上には吸い込まない。胸が高く、肋骨が広がっていれば十分な量の空気が確保される。このとき、入ってくる息は下向きに流れ入る。

 首がすくんだり顔が前に出てきたりすると、胸が落ち、肋骨が狭まるので、吸う息を少し深くしようとするだけで、胸を上げ、上向きの気の流れで息が入って来る。そして次に吐くときは下向きの気の流れで息が出ることになる。この気の逆転が声を出にくくするばかりでなく、健康や心の安定の妨げになる。

 早く歩くと息が短くなって留めている余裕はない。すこしゆっくり歩き、「吐く・吸う・留る」を、数を数えながらゆっくりと リズミカルにやる。

 冥想の時も、声を出すときも、話をするときも笑っているときも、このような気の流れが維持できるように自分の体を使う。
もちろん体の動き方は千変万化、ただ歩いているとき、ただ座っているだけの時のようなわけにはいかないだろう。しかし、そのような呼吸がいつでもできるような状態のときだけが冥想の呼吸であり、心の安定と汲めど尽きない喜びの中に身を置くことが可能なのだ。

 仕事をしていても寝ころんでいても、どのような姿勢をしていても、このような心の安定に沿った気の流れの呼吸をするなら、正しい姿勢、禅の状態になっている。禅とは、ヨガでいうディアーナのこと。

 岡田さんの場合も、歩くことに集中するからそのほかのことを考えられなくなる、ということともう一つ、良い姿勢そのものがもたらす生命の快感を味わっているときには、その他のことを考え、今をより良いものにするための思いを持つ必要がないのだということなのでしょう。その意味では、今この刹那のみを生きるということです。

 とはいうものの、次の一瞬、敷いたはずのその豊かで温かいレールから外れたとたん、以前からよく知っていた世界に引き戻される。どうすればその素晴らしい世界に常住する呼吸を維持することができるのか、この道を求めてやみません。



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