自分らしく生きる生き方そのものが人を健康にする

沖先生の思い出

沖先生の思い出


その1 入門


23歳のとき、昭和45年6月に初めて沖ヨガ道場の門をたたきました。

それまでの数年、インド人のヨギの書いた本を読み、ポーズや呼吸法を独習して、そこに書かれているポーズが上手?にできるようになっていました。

沖先生に会いたいという気持ちと、「ひとつ腕試し」のような気分も混ざっての入門でした。

道場は静岡県三島市の山のふもとあたりの小さな川の流れのそばにありました。

道場生活も沖先生もとんでもなく強いインパクトで迫り、

10日から2週間程の間にそれまでの価値観が180度変わったように感じました。

2ヶ月の修業願いを出して入門したのですが、入って2~3日でねをあげました。

強化法や厳しい冥想法の指導で、体中が筋肉痛、少ない食事でとても空腹。

今までの生活とのあまりの違いに、こんなところにいても何も得るものはないだろうと、

逃げ出したくなりましたが、入門時に受付で財布を預けているので電車賃もありません。

三島から大阪まで飲まず食わずで歩いて帰るわけにもいかず、なんとか帰る許可をもらおうと、

色々策を弄して帰る理由をこじつけて帰省願いを出すのですが、全く聞き入れられませんでした。

しかし1週間ほど経ったある日の強化法の時間、

強化法は心身一如の積極心を養うハードな肉体訓練ですが、先生はいつものように竹刀を持ち、

受講生や研修生に、跳べ!とか 早く行け!と大声で怒鳴り、そして竹刀で叩いていました。

皆の気持ちを鼓舞して積極心を養うために叩く、それもその人にとって必要なところを的確に叩くのですが、それほど痛かったわけではありません。

でもとても恐ろしくて、目立たないようにしようとか、先生の見ていないときに跳んでしまおう、

などとできるだけ要領をかましてやっていました。この日も、1週間毎日やられてきたとおり、

御多分に漏れず、私にも、「こらー木村~!」と竹刀が振り上げられました。

これまでは、この竹刀が恐ろしくて、つい後ろに逃げ隠れしようとしていた私でしたが、

なぜかこのとき、恐ろしいとか逃げようと思う気持ちがまったく湧かず、

先生の振り上げた竹刀を頭に受けるため頭を下げて前に出していました。

先生は竹刀を振り上げたまま口をアングリと開け、多分ほんの一瞬、

私にはとても長い時間に感じられましたが、そのままの姿勢で私を見つめ、

次に踵を反して他の受講生の所に行ってまた、「このやろ~」とやり出しました。

何が起こったのか、なぜ怖くなかったのか、

とても素直な気分でしたが、私の中に大きな変化が生じていました。

そしてその2日後、「木村、もう帰れ」と沖先生にいわれ、

2ヶ月の予定を2週間に縮めて帰宅したのです。

後日、講義の時間に、「居心地が良い奴はもう帰れ、こんなところに居たって仕方無いんだ、だけど、居心地が悪いと思っている奴は返さん。」

と話されていました。

結局、第1回目のヨガ道場修業生活はたったの2週間で終わりましたが、

そのときに受けた心や体の変化は自分でも驚くほど大きく、全てに積極的になり、

それ以降の人生の舵が大きく変わったと思います。

私は道場に長期滞在して修業する、研修生や奉仕生の道は選びませんでしたが、

毎年何度か、1泊・2泊とか1週間とかという短い単位で道場に来て、道場生活を思い出し、

先生の講義や質疑応答を聞き、強化法、そして他の所ではまず体験することのできない、

沖先生独特の冥想法などをし、明け方近くまで研修生や他の修行生と話しをし、

朝の5時には道場の前に流れる真冬の川で水浴をする、などという修行生活を楽しみました。

あるとき沖先生に、「最近の道場は随分優しく緩やかになりましたね」とお話をしたら、

「道場は変わらん、お前が変わったんだ。」と言われたことを思い出します。

その2 笑いの行法


沖ヨガ道場の一日は、体を使い頭を使いまた体を使い、

屋内・屋外、動・静、ハードな行法・ゆったりとした休憩、

風呂一つとっても、温浴、冷浴、温冷浴、薬湯浴と、

バラエティに富んだ色々な刺激を次から次へと与えられます。

温める刺激の後は冷やす刺激を、動いた後は静かなことを、

講義があれば次に自分の思いや考えを原稿用紙に書きだす、

というように、常にバランスをとることを意識したプログラムでした。

でも受講生の適応力を高めるため、次が予測できないように、

決まったプログラムにならないよう工夫もされていました。

色々な行法の中でも、沖先生の指導する《強化行法》や《冥想行法》は迫力があり、

「今から強化行法!」と研修生の大きな声の伝達をきくと、きりりと身が引き締まりました。

もうひとつの極めつけは《笑いの行法》です。

100人くらいの受講生を道場に集め、

「いまから笑いの行法をやる、さあ笑え~」と沖先生が掛け声をかけます。

リード役の研修生たちが大声で「あ~っはっはっはっは~~」と笑いだします、

しかし、受講生たちは急に笑えと言われても戸惑いがあってすぐには笑いだしません。

沖先生も「こんな風にやるんだ~」、とお腹をかかえて全身で大声で笑ってから、

皆を床に転がらせ、怒っているのか笑っているのかわからないものすごい形相で、

「笑わんかー」とどなりながら、

皆の腹を竹刀で小突きまわるのです。

怒鳴られて笑わんかと言われても全く可笑しくないですから、

皆仕方なくなく気の抜けた笑い声を出し始めます。

でも可笑しくもないのに笑えるものかとずっと突っ立っている受講生もいます。

沖先生はそんな人には「このやろー笑わんか―」と突き飛ばして転がしています。

私を含めた多くの受講生は殴られたくもないし、

まあ笑ってみるかと腹を抱えて笑ったふりで「はっはっは~」と笑っていました。

ところがです、面白いことに、そんなことをしている自分が面白くなってきて、

いつのまにか本当の笑いになり、心底腹から笑っているではありませんか。

周りの人たちも同じような様子でだんだんと全体の笑い声が大きくなってくるのです。

集団心理のちょっと特殊な心の状態もありましたが、そこにいるほとんどの受講生は、

笑っているうちに本当に可笑しくなるということを身を持って体験したのです。

道場に行くたびに笑いの行法がありましたが、

2回目以降は率先して大声で心底腹から笑うようになりました。

別なところで、沖先生が講義の時、「可笑しいから笑う、悲しいから泣くと思っているだろう。」

「笑うから可笑しいんだ、泣くから悲しいんだ。」ということを言われていました。

どちらが先ということではなく、《心・体・呼吸の三つが一体のものである》

ということをこの笑いの行法で教えていただき、

笑う力も能力であるとその時気付くことができました。

同じように、《喜ぶのも、幸せを感じるのも、全てその人の能力である》

ということがそのときに分かり、それ以来生き方が変わったように思います。

その3 ヨガ指導を始めた頃


ちょっと長いですが、2011年8月号和気愛会に掲載したものをそのまま掲載します。

 私がヨガを教えるようになったきっかけ、ヨガを伝えるということの原点になったことです。

 私がヨガを始めたのはまだ21~22歳の頃でした。

若かったからか、学校にもあまり行かずヨガ漬けの生活をしたからか、

始めてまもなく体が柔らかくなり、色々な難しいポーズもできるようになりました。

そして呼吸法も面白くて色々やるうちに体がとても元気になったのです。

幼少時からどちらかというと弱い子供として育ってきたのですが、

始めた動機が声を良くするということで、健康目的ではありませんでしたから、

元気になったのは私にとっては副作用のようなもので、とても驚かされたものでした。

 1~2年の独習後、沖先生の本に出会い、腕試し気分で沖ヨガ道場に行ったのですが、

青天の霹靂、2週間沖先生にしごかれたことで、私の価値観は180度ひっくり返り、

周りからは別の人間になったのではないかと思われるくらい生活が変貌しました。

そして家に帰ってからは、沖ヨガ -私にとっては、道場で学んだこと、沖先生の話や本の内容、断食など- を、がむしゃらにやっていきました。

寝ない、食べない、働き続ける、がその頃のスローガンでした。

また、最初の4~5年はひたすら沖先生のテープレコーダーになって、

口を開けば沖先生の言葉が口から出る熱狂的信者をやり、

そのことに気付いてこれではいけないと、今度は沖先生の言葉を使わない訓練を4~5年やるうちに、

私の中に「これは自分自身の体験で感じる私自身の言葉である」と思える一つの確信が強く起こってきて、

これを多くの人に伝えたいと思うようになりました。当時思っていたことはこんなことでした。

人が健康になるのも幸せに生きることもすべて自分の身につけた能力次第なのだ。

喜べる、感謝できる、そんな能力を自分の身につけることが必要だ。

そしてそれを身につけるために、生きがいを持って生きるためにこそヨガで心身を調え、心と体の能力を高めることが必要なのだ。

というようなことでした。

30歳になった頃、ヴォイストレーナーと歌の先生をしていましたが、生徒にはヨガをさせ、ヨガの合宿セミナーも度々開いていました。

このころにはヨガ教室も所々にできていて、自分もヨガ教室をやりたいと思うようになりました。

内容はヨガだが体操教室とは違う「生きがい教室」という名前がいいかな?などと思っていました。

そんなある時、沖先生が大阪に講演に来られたとき、

講演会の始まる前に「ヨガ教室をさせてください」とお願いをしました。

ご返事をいただかないまま講演が始まり、私は会場の一番後ろで聞いていたのですが、

沖先生はいつものように体や心のことをお話しされていました。

お話の一段落ついたところで突然、講演の席から、

「木村っ!! ヨガはこういうことを教えるんだ、こういうことを伝えるんだ!!」…

「こういう話ができなきゃだめなんだ、わかったかっ、木村っ!!」

と、叫ぶような、とてもとても強い言葉で言われました。その瞬間、驚きと怖れ、そして何でしょう、

与えられた責任の大きさや重さのためでしょうか、顔や頭から火を噴くのではないかと思うほどカーッと熱くなりました。

本当のことを伝える意思のない、またはその能力のないヨガ教室が乱立しつつある状態に我慢ならないという心がそのままぶつけられたのでしょうか。

ただそれだけのご返事でやってよいとも悪いとも一言もありません、でもどうやら許可が出たような感じなので、

それ以来あちらこちらでヨガ教室を開き、合宿を催し、歌の生徒に個人的に伝えたり、カルチャースクールで教えたりしていました。

それから10年近くたって父親の会社を引き継ぐために教室活動や経営はやめましたが、ずっと色々なところで指導を続けています。

しかしこのときに沖先生に太く大きな釘を刺されたことは今も私の中で生き続け、私の原動力にもなっています。

 現在のヨガブームの火種を付けた沖先生ですし、健康のことも多く説かれました。

しかしヨガはそれだけを相手にするのではありません。人間としてどう生きるかをヨガが教えており、

また健康や成功、そして世界平和までそのなかに包含しているということをまず自分の心と体と生活に実現しつつ、

それを世に伝える使命を私たちが担っているということを沖先生は説かれていたのです。

 

その4 子どもの名前


初めての子どもが生まれた時のことです。

そのとき28歳、考えていることはヨガのこと、体のこと心のこと呼吸のこと、そして瞑想のこと、毎日毎日ヨガ一色で生きているような感じの生活を送っていました。

そして沖先生の話の中によくあった言葉、
子どもは神様から預かっているのだ、自分の都合の良いように育てるんじゃない!
これが私の頭に心に染みついていました。

その子がお腹にいるときから、断食をしたり瞑想をしながら、神様ならどんな風に育てるのだろう、どうすればいいのか、と色々よく考えたものでした。

腹帯は本当に必要なのだろうか? 胎児はどのような食べ物を欲しているのだろうかなどと妊娠したとわかった時からその作業が始まりましたが、実際にその時になるまで、あれこれとあらかじめいくら考えても、「神様の・・・」はもうひとつピンときませんでした。

何かが起こって初めてどう行動するのかについて本気で考えることができるということがわかる事態が出産してすぐにやってきました。

無事に、赤ちゃんとは思えないくらいすっきりときれいな顔をした女の子が生まれ、この子がどんなふうに育ってほしいのかを自分に問いかけ、

僕の持ち物ではない、預かり物だ、僕の持ち物ではない、預かり物だ、と反復し、どう育てば一番幸せなのか・・・、神様ならどう考えるのか・・・、という思いをまずこの子の名前に反映しようと考えました。

名前に使える漢字は決まっているので、その全てを印字して一つ一つの字を眺め、自分の思いと合致する字を選んでいき、数十の漢字にしぼり、

それを読んだときの音を確かめ、それをまた眺めて組み合わせ、意味と音を確かめ、そして瞑想をして心を空っぽにして、と、ほぼ3日間ほとんど寝ないで決まった名前が水晶(みあき)という名前でした。

最初から水晶(すいしょう)を意識したわけではなく、サラサラと流れ、どのような形にもとらわれない「水」、そしてキラキラと光にあふれるさまを意味する「晶」という二つの漢字が気に入り、つなぐとたまたまスイショウになってしまったのです。

「ミアキ」は、母音が [i] [a] [i] で[o] [u] [e]が含まれず少々きついけれど明るい印象で音も気に入りました。

よしこれでいくぞと墨を磨って書いたり両親に報告したりしていました。

ところが、家内の実家にそのことを伝えたところ、予期しない反応が返ってきました。

「水晶」は「冷たい」「硬い」印象があるからよくない、「水」もよくない、水が入る、なんでも流れてしまう、というのです。

まあ、言っていることは理解しましたが、私としてはその印象を上回るよい印象、その時に私の考える人間として生きる最高の状態をイメージして選んだ名前だから、わざわざその悪いところを意識して無難な名前にしたいとは思わなかったので、「アドバイスの意味はわかりましたが、考えて考えて、考え抜いたこの名前で行きます。」と伝えました。

さあ、それからが大変、家内の実家の母親が執拗にその名前はだめだと食い下がってきて、それを断ると今度は実家の親戚の男性を地方から呼び寄せ、その人に言わせてまでその命名を阻もうとするのです。

あまりの反対行動に、ここまで反対するというのはやはりそこになにか大きな意味があるのだろうかと、とうとう自分の思いにも疑問を持つようになりました。

いくら考えても神様の思いがそのまま分かるわけではない、この親がどれだけ神の意に沿った願いを持つことができるのかということが大切なのだ。

どういわれようと、この子が僕の元に生れ出てきたこと言うことは、この子の持って生まれた運命で選びようのない事実なのだから、この親の責任で、この親の考えで名前を付けるのがいいのだ。という思いと、いやいや、これは自分のわがままなのかもしれない、という思いが交錯しどう判断すべきか、名前を考えるときよりもずっと長く考え思いあぐねていました。

ちょうどそのとき沖先生が大阪に来られるということが分かったので、これは沖先生に相談をしてみようと思いました。

いままで私は人にものを相談してきめるということをしたことがなかったのですが、この時ばかりはどうにも困っていたのです。

私の車は先生にゆったりと乗っていただけるようないい車ではなかったのですが、運転手をさせてもらい、新大阪駅から会場までの話の中で、義母の考えと私の考えをそのままお話ししました。

このときも即答では答えられませんでしたが、会場の控室で羽織袴に着替えをしておられる時に、「なあ木村、名前は親の願いだよ、いい名前じゃないか」、そして少し間を開けて、「普通の人にはわからないよ」とも言われました。

沖先生に話す時に、「親の願い」という言葉は使わなかったのですが、私の思いを理解され、全面的に肯定してくださったので、私としては本当にホッとして、どんなに反対をされても自分の願いを込めたこの名前をつけようと心が落ち着いたことを今も憶えています。

ゆっくりと親身になって考えてくださるやさしい先生だと強く思いました。

その後3人、合計4人の子供が生まれましたが、みなその時点での、私が子供に強く願う思いを名前に乗せました。

強化法や瞑想法の指導、講義、質疑応答、個人指導、個人面談、などなど、色々な顔を見せられますが、底に流れる思いは優しさにあふれておられました。


その5 沖先生の冥想指導


 沖先生の冥想指導を懐かしく思い出したので皆さんにも紹介します。50年近く前の話です。

道場での冥想行法の体験についてです。 冥想そのものについての話はまた別の機会にします。

 沖先生の冥想指導は強化法や質疑応答と同じく、とても迫力のあるものでした。

 先生の指導を受けるまでは、冥想というのは、意識がぼんやりしてボーっとしている状態だろうと思っていましたし、また、本を読んで一人でやっていたときはそのような状態になっていました。

 ですから、沖先生の指導する冥想行法の時間は青天の霹靂、え~っ! これが冥想なの? とびっくり仰天でした。 冥想に限らず、沖ヨガ道場の中ではどの行法も驚くことばかりでした。

 ヨガを独習し始めて数年、それなりにポーズや呼吸法、そして瞑想法などを自分なりにやっていましたし、それで健康度が高まっていましたから、自分のやり方に何の疑問も持っていませんでした。

もちろん、「サマージ」がどんなものだろうか、「悟り」ってどんな状態になるのだろうとか、想像はしましたが、きっと遠い世界のことだろうと思い、冥想が重要とはさほど意識しませんでした。

そして、腕試しのつもりで静岡県三島市の沖ヨガ道場に入門したところ、ヨガについて、ヨガ道場について、健康観について、自分自身のことについて、生き方について、何から何まで先入観を壊され続けました。

 初めて道場に入って数日、体は筋肉痛で結構つらかったのですが、研修生が指導する冥想指導はプレッシャーもなく、自由な感じで気分よくやれていました。 

昼間の場合は、《黒点冥想》といって、各自で白紙に直径6~7センチくらいの丸を書いて黒マジックで塗りつぶし、それを壁の目の高さに貼り付け、1.5~2メートルくらい離れて座り、その黒点を凝視するという方法でした。

 夜の場合は《ローソク冥想》、受講生が一本のローソクの周りに円座になり、電気を消して、揺らめく炎をじっと凝視するというものでした。 禅寺のように長時間座ることはありませんでしたが、きっと集中力を保てる時間にしておくことで、より効果的に集中力を身につけるということだったのだろうと思います。

 ただボーっとするのではなく、しっかり目を開けて何かに集中して行う冥想はとても新鮮でしたし、心も体もクリアになりとても気持ちの良いものでした。

 ところが、何日目かの夜、多分10時か11時頃、そろそろ就寝だろうと思っていたけっこう遅い時間に突然、「冥想行法~」という研修生の声が響きました、エッこんな時間に? と驚きましたが慌てて皆が集まり、火のついたローソクの周りに座り、「冥想行法の誓い」を皆で唱和します。どんな文章か紹介しておきましょう。

冥想行法の誓い


人間の一番正しい状態、それは自然であることです。
自然であるとは、調和のとれていることです。
調和のとれている時には、安定しており、平静を保っております。
私たち人間の一番陥りやすい状態、それは偏ること、とらわれることであります。
でありますから私たちは、意識的に逆の状態の訓練をして、
バランス維持の働きを高めなければならないことに気づきました。
ただ今より、とらわれない心身を造る修業の、冥想行法を行わさせていただきます。
心身の統一と放下の訓練を通じて、自己を無にすることを誓います。

 と、こんな言葉を皆で唱和した後、結跏趺坐でローソクの炎に集中していると、そこに沖先生が回ってきました。

 禅寺ならここで警策を受けるところなのでしょうが、先生は 強化法のときと同じく竹刀を持って、「頭で天を突け」とか 「肩を下げろ」などと大きな声で言いながら、一人ひとりの前に立っていきます。

 向かいあたりにいた受講生のところにきた時、「丹田に力を込めろ」というなり、その男性の胸を竹刀で突いたから大変、後ろにドーンとひっくり返ってしまいました。

「肚に力を込めろ、力がこもってないと転ぶぞ!」と言いながら次の人の前に静かに立って座り方を見る。

 えーっ! すごいことをするんだ、丹田に力を込めなくっちゃ。 と、なんだかよくわからないけれど、竹刀で突き飛ばされたくないものだから、頭や肩や腹や胸やと、言われていることを全部やろうと一生懸命でした。

何人かが竹刀でひっくり返された後、ラッキー?なことに私の番まで来ないうちに、先生はちょっとイラついたような声で、「えーい、みんな立て~! 二人組みで並べ!」と大声で指示しました。

 そのときの冥想行法に使っていた部屋は、建築途中の沢地(三島市のなかの地名)の道場の二階にありましたが、その部屋の端は壁も柱もなく、一階の大部屋に飛び降りるのに何の障害もない切りっぱなしになっていました。電気をつけないで入ってきたら転落間違いなしの構造です。

 そして二人組の一方をその切りっぱなしの端に立たせ、下に見えている一階の方を向かせておいて、もう一方が少し離れたところから助走をして腰の下部に後ろから「跳び足蹴り」をするというのです。

 蹴られる側が切りっぱなしの部屋の端に一列に並んだところで、「蹴られた奴は片足1歩踏み出すことだけで受け止めろ、2歩出すと落ちるぞ、顎を引け、腰を落として肚に力を込めろ、後ろの奴は手加減をするな」と、とんでもない注文です。

 後から蹴られてオットットと2歩前に動いてしまえば、3メートルはある一階に落ちてしまうのです。落ちて死ぬことはないでしょうが、変な落ち方をすると怪我をしかねませんから、エ~ッ まじ~? でも、これまでの数日の沖先生の指導をみれば冗談などあるわけがないのは身に染みてわかっている。怖じ気て逃げ出すこともできない、やるしかない。

 「よーし そうと決まったらやったるで~」と心を決めて、端から一歩のところで腰を落とし、いつ来るかわからない後からの 蹴りに備えて、顎をグッと引きつけ、ムゥーンと肚に力を込めて待つことしばし、突然、ドーンとむち打ちになりそうな強いショックが全身に走ったけれど、右足を一歩踏み出しただけでなんとか耐えて踏みとどまりました。

 女性は、まずは蹴り役にまわり、交代して受け側になったときは、後ろの蹴り役は走らずに足で押すだけにしてもらえという指示が出ていました。見ていると女性は手加減せずに蹴り飛ばしていますが、男性はそうはいきません、いくら先生が手加減するなと言っても、自分が力一杯蹴ったら相手はきっと本当に下まで吹っ飛んでしまうだろうと思えるので、やはり皆適当に手加減をしていました。

 「顎を引け」ということも何度も強く言われたのですが、受講生の一人が、どうも顎を引くという意味が分からなかったらしく、蹴られたとたんにアゴが上がり、本当にむち打ちになってしまいましたから、道場では気を抜いてはいられません。 しかしこの緊張感こそが大切なことでした。

 次は相手を後から蹴る側にまわり、何度か交代してやりましたが誰も下には落ちず、その緊張感のあるままもう一度ローソクを囲んで座ると、しばしの喧騒が嘘のように静まり、今度は素晴らしく安定して集中し、沖先生も緊張感を与えるための強面の必要がなくなって怖さがなくなり、とてもクリアに気持ちよく座っている自分がありました。冥想はボーっとしているものではないということが真底分かった瞬間でした。

 この部屋は2階から飛び降りて前に転がり、落ちるショックのエネルギーを回転に変えて衝撃を減らすという、レインジャー部隊さながらの強化法の訓練にも使われていました。

 この後も何度も道場に行き、冥想行法の指導も数多く受けました。 また今度そのお話をします。


その6 沖先生の冥想指導-2


沖ヨガ道場での冥想行法の体験記の続きです。

 沖ヨガ道場に通うようになって1~2年経った頃のことです。  沖先生の指導は迫力があるので、受講生も研修生も皆がとても緊張して、ピーンと張り詰めた空気の中で円座になって座っていました。 

頭で天を突け! 胸を突き出せ! 肛門を締めろ! などなど沖先生から檄を受け、なんとかその指示通りに姿勢を整えようと、結跏趺坐で一生懸命に座っていた時です、 

「そうだ、それでいいんだ!」

といわれたことがありました。その時の私の状態は、胸が高く広がっていて、普段の胸の状態とはずいぶん違いました。

 そしてとても体が軽く、それまで自分が上虚下実、正しい姿勢と思っていた状態とも全く違い、普段とっていた冥想の姿勢ともかなり違いがありました。

 「へ~? これがいい姿勢? 軽くて気持ちがいい、でもこんなに楽でいいのかな?」などと、不思議マークが頭にいっぱいのまま座っていました。

これは昭和46~47年頃の話で、およそ45年も前のことです。その時の姿勢の印象や沖先生の言葉は今も憶えていますが、その姿勢そのものの感覚はいつの間にか忘れてしまっていました。

 突然現在の話になりますが、最近、私がセミナーや教室で指導している内容、特に個人指導では、一般的なヨガ教室ではやらない、あまりヨガらしく見えないような内容が多くなっています。

 中でも特に力を入れているのが《跳躍呼吸法》、この呼吸法をやりながら、肋骨が高く広がり吐く息に力がこもり、吸う息が楽に流れ込んでくるような状態を作っていき、そこで、声をバロメーターにしながら姿勢や呼吸を調えていきます。

 こんなやり方をしていると、ピタッと姿勢が納まるという体験をする人がときどき現れ、最近はその数が増えています。

 その姿勢は、結果として3つのバンダができている状態なのです。背筋が伸び、頭頂が天を突き、お腹が締まり、肛門が締まり、肋骨が高く、首の力が抜け、胸骨の先端が顎を押し上げるような感じになっている。とても楽で気持ちよく、充実感のある姿勢です。

 力の入れ方や気の方向性などの色々なことを言葉で言ったり手を添えたりして直し、そして声の響きや出る方向などを調えていったときに、フッとその状態に入ることがあるのです。

 「そうだ、それでいいんだ!」 と、その瞬間、口をついて “この言葉” が出てきます。上がる気と下がる気、締める働きと緩む働きのバランスのとれた状態、上虚下実、丹田に意識を置いている姿勢、勝手に肛門が締まり下腹が引けている状態が生まれているのです。 このときはバンダをしようなどとは思わないでも、いつの間にかそのような力がこもっているのです。

 大昔に沖先生が教えてくださった姿勢がこの姿勢だった。 「それでいいんだ!」と自分が言ったときに、何十年も前の記憶がよみがえった。そうだったんだ、あの時に教えていただいたことがこれだったんだ。

 そして、そのままあの状態を素直に求めていればもっと早く進化できたかもしれない、などとも考えたけれど、それは 一瞬だけ、よく思い起こしてみれば、紆余曲折があったからこそ現在の私があるわけで、それを無駄な時間や行動ととらえる必要は全くない。

その時それがそのまま体の悟りに繋がらなかったのはそれなりに意味のあることなのだと思いながらも、あのときのはてなマークのような感覚を懐かしく思い出している。

 そして面白いことに、長年求めてきた姿勢を自分で再現できるようになり、そしてそれを他の人も体験させることができた瞬間、何十年も前に沖先生に言われたのと同じ言葉が衝いて出るのです。 「そうだ、それでいいんだ!」

 あの時沖先生が言ってくださったのはこのことだったのだ。と今はわかります。そのときはたまたまできただけ、でも意識的に再現するには、その頃はまだまだ自分のものにできていることが少なすぎたのです。そして人に伝えることが出来るようになるにはもっともっと沢山の時間が必要でした。

 冬の寒い日に、座っているだけなのに汗をかくほどの緊張をさせ、その中で安らぎを得る姿勢と呼吸を体得せよと言われていたのです。 得難い体験をさせていただき感謝に堪えない思いがあふれてきます。

 そして、自分が体得し、人にその姿勢を体験させることが出来るようになって初めて、あの時の沖先生の喜びを感じることが出来ます。
 生徒も同じことが出来たとき、体験できたとき、それが無上の幸せを感じる瞬間です。


その7 入れたら出す



沖先生の思い出のほとんどは道場体験記になってしまいます。
会報 ”和気愛会”(210-1703号)の掲示板の中に少しだけ道場のことを書いたので、それに少し加えて転記しておきます。

今はもう無くなってしまった沖ヨガ修道場では、早朝から夜中まで常に意識をして暮らしなさいと、様々な訓練を課されていました。

中でも “出す” ということに関しては多くの面で色々な方法で訓練が行われていました。

まずはウンチを出せ~、「便秘の奴は精神的便秘だ~」 と沖先生の檄が飛びます。

言われて出るものでもないですが、なぜ出ないのか自分を見つめ直す大きな材料になります。当たり前ですが便秘薬は一切使いません。断食をしている人にはいわゆる薬ではなく水分の吸収を抑えるものや浣腸なども併用していましたが、鍛錬班のメンバーにはそのようなものは一切関係なく、朝の浄化体操で腸の動きを良くして出すという一番の正攻法を毎朝全員でやっていました。

「取り込むな、もらうことばかり考えるな」

「知識もお金も体験も、いただいたら出せ~~」

そして、特技を持つ人には、
「持てるものを出せ、それを指導せよ」と突然行法をさせられます。

余談ですが、「便秘の奴は精神的便秘だ~」、に似たタイプの表現で、

「近視のやつは精神的近眼だ」という言葉もよく聞きました。

また、心の中や頭の中を出すため、道場に入門したときには《自己反省文》、退所するときには《総合感想文》、毎日の《体調報告》、そして各行法の《感想文》、とひたすら書くことばかり。

《自己反省文》は自分を振り返り、幼児の頃から現在に至るまでを思い起こし、特筆すべきところを書き出しました。昼食後の長い休憩時間や夜皆が寝静まってから書くのですが、結構時間がかかってしまい、他の毎日の感想文と並行して書いているとなかなか進まず、退所時の《総合感想文》とも並行して書いていたりと、毎日毎日空いた時間は書き続けていました。

まあなにしろ道場生活は刺激的で面白いところでした。 ということで、《気づき》もいただいたら他の方にお分けできるよう、より良い表現ができるよう取り組んでいきたいと思っています。

また、トータル ライフ デザインの月刊会報に掲載したヨガ関係の記事をこのサイトの
「周平のヨガ記事」にアップしていきます。読んでみてください。


その8 感知力

2012年11月号の《周平の沖ヨガ読本》に掲載した記事ですが、《沖先生の思い出》の内容なのでここにも転記しました。

 9月号(1)(→《周平の沖ヨガ読本(3)》)では、「生命は神である」、「生命は間違わない」、「生命の教えに従いなさい」、「生命の声である気分に聴いて生活をしなさい」ということをお話ししました。

そして10月号の(2)(→《周平の沖ヨガ読本(4))》)では自律神経系が本来の正しい働きをとり戻すためには、今の体の働きの循環、もしよくない循環があるならそれを一度断ち切らなければ元の正常な働きをとり戻すことが難しいというお話をしました。

 そこで、判断力と意志力を使って悪循環を断ち切る切っ掛けを作るわけですが、その後の「生命の教えに従う」ということが出来なければせっかくの努力も徒労に終わります。

 生命の教えに従う、生命の声を聴くというのは実際に耳に聞こえるわけではないでしょう。そんな能力のある方もおられるかもしれませんが、凡人にはできない相談です。ではどのように聴くのでしょうか? それは「感じる」ということです。

この「感じる働きを高めよ」という沖先生の教えが大切です。

 ヨガを始めて10年も経たない30歳くらいの頃、それまで3日から10日位の断食は時折していましたが、ある時思い立って肉断ちをしてみようと思い立ち、結局3年間、鰹ダシさえ口に入らないよう、一切動物性のものを摂らず、小食生活をしました。外食はコーヒー以外のものは一切摂りませんでした。

その時には多くのことが分かるようになりました。啓示というほどの大それたものではないですが、色々起こることの神様の側からの感じ方というか、解釈が分かると思うようになりました。

それってただの思い込みかもしれませんが・・・、でもその感じ方をしている時は心が満たされ頭が冴え、天にも昇るとてもいい気分でした。

またこんなこともありました。

 これも同じ頃のことでしたが、≪求道実行≫と≪ヒマラヤ聖者の生活探究≫という本のことです。

 ≪求道実行≫誌は、当初は≪ヨガ≫という題名で、昭和34年から刊行され、沖先生と弟子や会員の文章が掲載された月刊誌です。

途中から≪求道実行≫という名前に変わり、沖ヨガ道場の会員には毎月送られ、沖先生が亡くなった後も刊行されていましたが、今は廃刊になっています。サイズはB6からA5程度に変わったりしましたが、薄い雑誌なのでいつも持ち歩き、電車やバスでよく読んでいました。

 この≪求道実行≫を読んでいると、不思議なことに、胸のあたりから温かいものがあふれ出てきて、体中そして心までが温かくなって天にも昇るようないい気持になるのです。

どうしてだろう? といつも思っていたのですが、別のときに、霞が関書房からでている≪ヒマラヤ聖者の生活探究≫という本を読んでいて、全く同じように温かくなるという状態になったのです。

この二つの本は違うタイプの内容で、≪求道実行≫は、こうすればこうなる、ああすればああなるというような感じで、心・体・呼吸のこと、そして生き方について、生活ヨガについて淡々と書かれています。

一方≪ヒマラヤ聖者の生活探究≫はといえば、やはり生き方がテーマですが、著者が聖者たちと暮らしてその言葉や様子を記したという内容で、中にはテレパシーや瞬時に他の所に移動するテレポート、また暗闇の中でも体の周りから光が出てあたりを照らしているとか、常識から見れば荒唐無稽なことがいっぱい出てくるのです。

どうしてこんなにタイプの違う本で同じことが起こるのだろうと不思議でなりませんでした。

 ある時、三島のヨガ道場での何日間かの修業の帰り、新幹線で大阪に出かけられる沖先生と同じ便になり、隣に座りました。

先生はカバンを台にして、原稿の手直しをしておられ、私は隣で≪ヒマラヤ聖者の生活探究≫を読んでいました。

そのうち例のごとく、体がポーッと温かくなってきたので、これは良い機会、先生に聞いてみようと思い、原稿書きの手を止めていただき、起こっていることをお話ししました。

すると、答えは簡単。

『それは、本当のことが書いてあるからだ』との一言。

 最初はヒマラヤ・・・の常識的でない記述も事実だといわれているのだろうかと思いましたが、考えてみるとそうではありませんでした。

実際にあったかどうか、そんなことはどうでもいい、『生きるということの根本の捉え方について正しいことが書いてあるのだよ』ということを言って下さったのでした。そして後で、

『それが感知力の働きだ』とも言われました。

 このころは断食や動物性食品断ちをし、そしてとても小食にしていたので血液が浄化されやすい状態になっていたと思います。食事だけの問題ではありませんが、この血液浄化が感知力を高めるのでしょう。

『小食・小眠・多動・多考』と、沖先生に教わった生活法の一つの結果として生じてきたことと思います。

誰でも朝から晩まで何らかの感じ方をして生きているのですから、感じる働きを高めると言ってもどう高めるのかが問題です。

生命の声を聴くことが出来るような高め方をするということです。沖先生の教えに従えば『生命即神』ですから、生命の声を聴くということは神様の声を聴くのと同じことになります。

 血液が変われば感じ方も変わるということ、これをいくら頭で考えても分かりません。多くの宗教の修業でも結果として血液がきれいになるような食事や生活をしていると思います。


その9 沖先生の冥想指導-3

  最初は厳しくて耐えられないと感じた道場生活も回を重ねるうちに身体も心も適応力がついて、随分居心地の良くなってきていたある時の冥想行法の時間、このときも円座になり ローソクを囲んでそのゆらめく炎に集中していました。

 すると、「右か左か!」と大きな沖先生の声が聞こえました。何をしているのだろうと、炎への集中を忘れて先生の挙動に意識を向けましたが、先生の姿は見えません。そしてその受講生が「左!」と答えた途端、バシッと竹刀で叩く音がしました。 さあ、きっと肩のあたりに警策のような一撃をくれたのでしょう。

 「え~っ、また竹刀でビシバシだよ」と思いながら次の人の姿は見ることが出来ました。

「右か左か」と言いながら、竹刀の切先が、座っている受講生の肩の辺りにスーッと静かに降りていきます。先生は後ろに立っていますから、その人に竹刀の切先は見えません。「右ッ」という声に先生は「ヨシッ」と応え、また次の人に竹刀を降ろしていきます。

 これはえらいことになった、当てものなら五分五分の世界です。 当たらなければバシッが待っている。よし、何が何でも当ててやるぞと、もう一度ひたすらローソクの炎に意識を向け、呼吸を調え、私の番を待ちました。結構ビシバシと叩かれる音がしていましたが、とうとう沖先生が私の後ろに立ったので、すぐに竹刀を降ろしてくるだろうと息を止めて待つことしばし。

とても長い時間に感じられましたが、真後ろで「右か左か」と声がしました。目を開いたまま後ろの情景を見るように強く意識を向けると、右の耳から肩のあたりに何かを感じました。すかさず「右ッ」と叫ぶようにいうと、「ヨシッ」と返ってきました。

 ああよかった、姿勢を崩さず表情も崩さずただそのままホッとしたことを憶えています。集中力を高めよとか、感知力を高めよと言われていることそのままの訓練でした。見えないものをただ感じることができたのか、それともわずかな空気の動きを感じ取ったのか、それともそれを見ている他の人の意識を感じ取ったのか、よくわからないところもありますが、はっきり「右」と断言できる感覚がありました。

その世界を特には追及してはいませんが、以来、後ろの気配を感じることが多くなったのは事実で、見えない世界の方が見える世界よりもずっとずっとたくさんあってその中で生かされている自分なのだろう、と思うようになりました。

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