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周平の沖ヨガ読本(8)

周平の沖ヨガ読本(8)



 - 沖ヨガとは-2 -   2013年5月号(No.164)

前回は私の体験した沖ヨガ道場の生活の一部を紹介しました。続いて沖ヨガについて考えていきます。

さて、私はこれまで何十年も沖ヨガをやってきたと思い、そして沖ヨガを伝えるべくヨガ指導をしていると思っています。ですから、「あなたのやっているヨガはどんなヨガですか?」と問われれば当然「沖ヨガです」と胸を張って答えるべきなのですが、よく考えてみるとそれが沖ヨガであるかどうか、ちょっと定かではなくなってきます。

沖先生が私たちに教えてくださった内容を沖ヨガと呼ぶなら、自分のやってきたことはまあ、沖ヨガと呼べなくはありません、しかし、沖先生が実践されたヨガを沖ヨガと呼ぶなら私の実践するヨガは沖ヨガではありません。

たしかに沖先生から多大な影響を受けてはいますが、先生が実践されたヨガと私のヨガは全く別のものです。

それでは沖先生はどんなことを、どんなヨガをされたのでしょうか。これをまとめるのは先生の伝記を書くようなものでひと筋縄ではいかないでしょうが、あえて私の把握の中で簡単に一言にまとめてみます。

沖先生はホセイニ師やガンジー師、その他の多くの先達に直接学び、また、真実を求めて多くの宗教・修行法・医療法・武道・健康法・職業・などを勉強かつ体験し、そこからご自分の生命哲学を把握・確立し、《生命即神》という言葉にすべての生き方と行法内容を集約されました。ご自身はたくさんのテクニックを駆使して病人を治し、人を導かれましたが、最終的には生命に聞いて生きなさい、と教えられました。 

というようなところです。しかし、多くを学び体験し、それを表現されたために、沖ヨガは雑多の寄せ集めだという人もあります。

世の中には良いといわれることがたくさんありますが、単純に良いもの悪いものがあるわけではありません。あるものを自分にとってよく活かせるかどうか、その哲学が自分にあるかどうかが大切です。

沖ヨガには《生命即神》の哲学があるからこそ、その雑多に見える情報やテクニックが整然と一つの目的に向かって使うことができるのです。

どのような情報も自分の生命を活かすために大切な材料としていかすなら、それは寄せ集めではありません。大切なことはそれをまとめる哲学が基にあるか、そしてそれを使いこなす力があるかどうかなのです。

このように私は沖先生から学びそれを実践してきています。この意味では私も沖ヨガをやっているということができる、と私自身は思っています。

しかし、沖ヨガの指導者を標榜している者にとっても、沖先生と同じ言葉を使って沖ヨガを説くことはできません。沖先生は「聖俗半々にやれ」と言われましたが、沖先生の説かれた《聖》の本当の意味を知らない私にはこの言葉を使って沖ヨガを説明することはできません。

別な土俵であればこの《聖》という言葉は辞書にある意味で問題ありませんが、沖ヨガの中では沖先生が使われた意味でなくてはなりません。また、ヨガこそ本物の宗教であると説かれていますが、キリスト教と仏教の表面を撫でただけで、その他の色々な宗教の信者になったわけでもなく、深く研究したわけでもない私には他との比較のしようがありません。

ただ、自分が沖先生の言葉や著書に従って生き方の工夫をするにつけ、健康度や心の自由が大きくなっていくので、やはりこれは本当だと認識できたことがたくさんあります。今までやってきて、その中で自分が得、他の人にも役立つであろうと思われることを表現しています。

そこで把握できたこと、そして万人にあてはまり得る内容をその中から皆さんにお伝えしようと思う。というやり方が私にとっての沖ヨガです。

ですから、沖先生の言葉をそのままマネして伝えようというのは沖ヨガのようであるけれど似て非なるもの、似非(えせ)沖ヨガになってしまいます。

沖先生は《人真似をするな自分が体験して把握したことをつたえよ、物まねは嘘つきだ。》と強く諭しておられます。

このようにみていくと、さて沖ヨガを標榜するということは沖ヨガを否定することにもなるジレンマを抱えることなのかもしれません。沖ヨガという言葉を謳い文句にするには大きな問題があるように思います。

現実に沖先生が亡くなってもうすぐ28年も経つというのに、そして沖ヨガを標榜する指導者はたくさんいるのに、いまだに、「沖ヨガではこれを習得すべきである」というものが規定されていません。まだそのように組織的に組み立てられたことがないのです。これからの問題だ、ということなのかもしれませんが、もしこれから作られていけば、本来の沖ヨガと呼ぶには似ても似つかぬ荒唐無稽なものになる可能性も大きいのではないかと思います。

やはり私にとっての沖ヨガは、ナチュラル ヴォイス ヨガ(NVY)という形でしか他の方には表現できないのかもしれないと思うこのごろです。

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