プロフィール
当サイトの運営者
ナチュラル・ヴォイス・ヨガの著者 プロフィール
木村周平
1946年生まれ 大阪市淀川区の新大阪駅の近くに在住
声・身体・心・呼吸の在り方を研究実践し、生きる喜びを追及している。
社会的活動としてはナチュラル ヴォイス ヨガと沖ヨガの指導
そしてヴォイストレーナーをしている
経歴
4歳から現在まで、大阪・西宮・川西・新大阪と、
阪神間や北大阪近辺から離れることなく生活。
16歳のときにドイツリート、
17歳のときにラテンの歌、そして西式健康法、などに出会い、
フォークソンググループやグリークラブのコンダクターをやるうち、
ドイツリートへのあこがれが強くなり声楽を志し、20歳から初めてピアノのレッスンを受け、音楽大学へ進学。
声楽を始めた20歳のときに《こんにゃく体操》に出会い、
21歳のときインド人(エス・ディアン)の書いたヨガの書物を読み、ヨガの思想に共鳴。そして独習。
23歳のとき沖ヨガ道場に入門、
沖正弘、桜沢如一、野口晴哉、野口三千三、ラーマクリシュナ、ヴィヴェーカナンダ、アイアンガー、
その他多くの偉人、諸師の影響を受け、生きる方向性が定まり、以来沖ヨガを軸に生活。
1973年大阪音楽大学 音楽学部 声楽科 卒
ヴォイストレーナー・ヨガ指導・ヨガ教室と音楽教室の経営、
株式会社木村工業所社長、コーヒーハウスSai経営
国際総合ヨガ日本協会(現NPO法人沖ヨガ協会)の役員及び講師
沖ヨガ道場(求道実行会)責任役員
NPO法人沖ヨガ協会関西連合会の講師と世話役などを経て
現在は
*トータル ライフ デザイン会報《和気愛会》の発行
毎月発行する会報『和気愛会』の記事を書いたり編集をしたり、
2016/5月号で第200号を発行。2019年4月号で20周年になる。
*《ヴォイストレーニング》と《ナチュラル ヴォイス ヨガの指導》
これがライフワーク、面白くて面白くてたまらない。
*沖ヨガの指導
世の中で高齢者と呼ばれる歳になっても、元気に生きがいを持って、役に立てる生活を
続けられているのは、若いときに沖先生に出会って本当の生き方を教わったおかげ。
そのご恩返しは、学んだ生き方を他の人に伝えることと思い活動している。
などに明け暮れる生活
一番好きな歌は音楽を始めるきっかけになったドイツリード、一番多く歌ったのは
カンツォーネとラテン。
カラオケに行くとカンツォーネやラテンは少ないので、
ナットキングコールやフランクシナトラなど英語のナンバーを歌って悦に入っている。
息抜きは京都府宮津市の天橋立あたりに出かけ、
山の中の過疎村にある畑で野良仕事をすること。
著書 本当の自分と出会う ― ナチュラル・ヴォイス・ヨガ ―
トータル ライフ デザインについて
トータル ライフ デザインの出発
1999年4月にトータル ライフ デザインの会報、「和気愛会」の第1号を発行し、発行できない月が何度かありましたが、なんとかほぼ毎月出してきて、2016年5月で、
第200号を発行しました。
今も同じ思いでいますが、そのころの私にとっても、世の中の多くの商業ベースに乗ったヨガが、私の指向するものとは大きく違うと感じていました。沖ヨガには二つの全国組織がありますが、そのどちらにも深く関わり、沖先生からいただいた生きるための珠玉の知恵を残すためにその組織の中で活動していましたが、この中でもやはり、多くの指導者たちとは指向するところが相当に違うと感じていたことが、会報を作ろうとする一番のきっかけでした。
ですから、多くのヨガ教場やヨガの団体とは違ったアプローチで、ヨガを求める方たちの交流の場にしたいということ、そして私自身の表現の場にもしたいという思いで会報を出し始めました。
このサイトもその思いの延長で始めました。教場を大きくしたり生徒さんを増やしたりするために立ち上げたわけではありません。
当然、私の考えを大声で叫び広げるためではなく、興味を持ち賛同する方が読み、役に立て、またもっと深く知りたい方や追及したい方がコンタクトを取れるために運営しています。
「トータル ライフ デザイン」の名称
39歳のとき、1986年の3月、沖先生が前年の7月に亡くなられてまだ間もない頃ですが、父のやっていた会社の仕事をするために、それまでやっていたヨガや音楽の教室を指導員に譲り、カルチャー教室のヨガ講師もやめました。
そのとき、それまで使っていた「ミュージック ヨガ」の名称ごと譲ったので、その全く同じ3月に始まった国際総合ヨガ日本協会関西連合会のメンバーとして登録する所属名がつけられなくなってしまい、何か名前を考えようとつけたのが「トータル ライフ デザイン」でした。
当時、神戸の方で、何をメインに活動されていたのかは覚えていないのですが、沖ヨガの関係者の木村妙さんという方が「ライフデザイン研究所」という名前で仕事をされていました。
とてもシャレたいい名前だなと思っていたので、「生活ヨガ」という沖ヨガでとても大切にすることばをイメージできる「ライフ デザイン」という言葉をいただき、その上に総合ヨガの意味を込めた「トータル」という言葉を加え、「トータル ライフ デザイン」(Total Life Design)の名前を付けました。
名前を付けたときは、私は関西連合会を発足させたメンバーの一人として理事をしていました。他の理事には大々的に教室を運営する人が多かったのですが、私といえば、自分が直接ヨガ指導をする教室などはなくなっていたので、自分一人の会の名前になってしまいました。それでもヨガ関係の所属名としてこの名前を使うことにしたのです。
余談ですが、当時としては相当早くから、MS-DOSで動くパソコンで会社の業務を合理化させようとしていました。数メガ~数十メガのハードディスクが何十万円もしていた時代です。しばらくするうちにWindows3.1が出て、これに乗り換えることにしました。そしてインターネットやメールをするうちに、トータル ライフ デザイン専用のドメインを取得したいと考え、tldの3文字のドメインを申し込んだところ、tld.co.jpが取得できてしましました。当時でもこんな3文字のドメインが取得できたのはとてもラッキーなことだと、ドメイン管理会社の担当が驚いていました。
その後ずいぶん経ってから、大々的にドメイン名を増やし取得しやすいようにする動きがあり、もっと簡単な「tld.jp」を取得したいと思ったこともありましたが、残念ながら取得できませんでした。ということで、最初からずっとメールアドレスもホームページもずっとtld.co.jpで通しています。
トータル ライフ デザイン 第2の出発
トータル ライフ デザインという名称だけの会を作って以降、ヨガや発声の先生業は棚に預け、小さな会社の社長として極端に忙しい生活をしていました。
意識だけは生活ヨガの実践者を自負していましたが、毎晩酒漬けで、食事は外食ばかり、体操は週に一度、お客さんのところで始めたヨガクラブや、月一度の大阪の青年会議所のヨガクラブで指導するくらいで、ヨガというにはかけ離れた生活の仕方でしたが、これも適応力を高めるためのヨガ修行の一つと考えてやっていました。
その積極的な考えのおかげか、今まで徹底してやってきたヨガの貯金のおかげか、最初の5年間、体はビクともせず、たまにやるポーズも楽にでき、柔らかい体を維持できていました。
ところが、それを過ぎたころからは少しずつガタが出始め、十数年経ったときには、あちらこちら故障だらけになってしまっていました。
やはり精神力だけではだめ、いくら心が頑張ろうと思っても、体がいうことを聞かないことが増えてくる現実を味わうことになりました。
そんな頃、当時私の持っていた価値観とは大きく異なるタイプの女性と知り合い、それがきっかけでこのトータル ライフ デザインという名称のもと、新たな活動を始めることになりました。
その女性は現在の私の伴侶であり、ヨガの師匠であり弟子であり、よき協力者です。
またその頃、精神世界的なことに関心のあるメンバーも多く集まっていたのですが、私の標榜するヨガの色合いが強くなるにつけ、だんだんとその数が減って、現在の会員はほとんどがヨガ関係か声関係の方たちです。
会社人間として忙しく働いている当時、自分を見つめてみたとき、行動の基準がすべてにおいて効率に合わせられていて、それがとても窮屈に感じられ、その功利的・効率的とでもいえる価値基準を捨てて行動したいと強く思うようになり、それがトータル ライフ デザインの会の第2の出発点、この会報「和気愛会」の発行のきっかけになりました。
そして1999年4月、A4の紙面1枚の会報の創刊号を発行しました。この「和気愛会(わきあいあい)」の名付け親は妻の采佳です。
さて、この功利的という言葉は、日本語が持つ利己的功利の語感をまったく意味していませんが、当時も今も感じていることは、根本としては頭の判断ではなく、もっと生命の側から発せられる要求や警告に従って生きる、ということをしようと思ったのです。
もちろん、社会的な責任を無視しないというフィルターにはかけますが、トータル ライフ デザインという会をやったり会報を発行して利益を得たりということでなく、ただ生命の要求を表現する場としての会や会報が必要と思ったのです。
そのため、採算を無視してフリースペースを作ったり、赤字でも色々な行事を企画して行ったりしましたが、これはやはり無理がありました。
こんな理念を掲げていても、会場費としてはただに近いような年会費だけで使える貸し教場としてしか捉えていない会員が増えてきて、何のために運営しているフリースペースかわからくなり、結局閉鎖することになりました。
おかげでわたしも大切なことを多く学ばせていただきました。現在はその反対の何の得にもならないけれど、ずっとお付き合いくださる会員の皆様のおかげで会報を発行し続けることができています。
そして一番ありがたい思いをしているのは、毎号トレーニングをさせていただいている私なのです。